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「言い訳ばかりだね」が刺さって抜けない
小学生のころ。
親友に言われた言葉です。
私は責められたくもなければ咎められたくも、
怒られたくなければ追及もされたくない、
典型的な人間という自覚が今はあります。
しかし、
言われた当時は自分をそんな風に思っておらず、
当たり前の権利を主張するような、
風評被害をなくすようなものでした。
言われてからは「そ、その通りだ!」と思うようになり、
毎日頭を抱えています。
誰だって狡さはあります。
清廉潔白が模範的な生き方とは限らない。
嘘をつくこと、
誤魔化すこと、
嫌な仕事を避けること、
嫌なものを嫌ということ、
避けたいものを避けようと頭を使うこと。
その狡さは私をこれまで生かしてきました。
かえって窮地に陥ることもありましたが、
嫌なことでも全力で向き合わなければならないという
私には苦しすぎるところから逃がしてくれました。
しかし、
その親友が悪いわけでは全くありませんが、
(私の言い訳も大したものでしたからね)
絶対に言い訳してはならないと思い込んで、
運動音痴を極めた虚弱人間のくせに剣道部に入ったり、
包丁を扱えないくせに仕込みの仕事に半年務めて、
毎日怒られたりしてました。
何してるんでしょうね。
親友の言葉は私の中で単なる愛ある注意ではなく、
呪縛へとなり果てました。
今思えば、
私がいつでも言い訳がましかったのが問題であって、
あらゆることに挑まねばならないとは言われてないんです。
なのにあらゆるものに猪突猛進して、
はっきり言って邪魔に思われてたと思います。
それで、
なんで言い訳ばかりしていたんだろうと振り返ると、
怖かったからなんですよね。
他人からの評価に高所、
包丁に血、
目立つこと、
浮くこと、
できないことがばれること。
いろんな恐怖が私に付きまとっている。
昔から極度に怖がり、
神経質で、
いじめられっ子だった私はたいへん臆病です。
私は臆病な人間から卒業できるでしょうか。
言い訳をせず健全に物事に向き合えるでしょうか。
まっすぐ怖いですと伝えていれば違ったのでしょうか。
息を整え、
潜在意識に身を沈めるイメージをします。
「私は変われるでしょうか」
潜在意識の海で反響します。
額に唇が触れます。
指導霊は海に沈んでいた私を浜へ引き上げ、
私にキスをします。
ただ悲しげに私を見つめます。
私は彼にそんな顔をしてほしくないと思います。
お互いの掌がお互いの頬に触れて、
瞳はきらめいて、
「変わらなくていいから、消えないで」
大粒の涙が私の顔に降ってきます。
「どうして消えてはいけないの」と聞くと、
「どうして消えなければならないの」と返ってきます。
「性格が悪いから」と言うと、
「知ったこっちゃない」。
「嫌われていても、
性格が腐ってても、
そばにいてよ」
私の胸から輝く小さな腕が生えてきて、
その手を指導霊は取ります。
引き抜いて、
ああ、
存外内なる私はきれいな姿をしている。
「君の言い訳が好きだよ」
「いじらしくて、
かっこつけで、
可愛いから」
私の指導霊は、
私の恋人はそう言いました。
かっこよくなりたかったな。
意識を今ここに戻します。
足踏みしてグラウディング。
私は親友が好きでした。
親友の前でかっこいい人でありたかったです。
初めて私を加害しない友達だったので。