仔猫のバニラ(ショートストーリー)
高校へ入学して半年ほどが過ぎ、いつの間にかケンジの成績はまた中の中になっていた。
これは、今に始まったことではなく、物心ついたときからケンジは、存在感の薄い子どもだった。
ケンジは、校内ではひっそりとした生活をしていた。
しかし、この学校で唯一気に入っているところがあった。それは、川原が近いこと。
この学校には、下校するまで校外に出てはいけないという校則があるらしいが、ケンジは、昼休みは、川原で弁当を食べることに決めていた。
昼休み、ケンジは、こっそりと学校を出て川原へ向かった。
いつものように川原へ腰を下ろし、弁当箱の蓋を開けようとした時、やせ細った白い仔猫が目に止まった。
ケンジは猫が大好きだったが、2つ上の姉のヨウコが猫アレルギーだったため、家で猫を飼うことは叶わなかった。
小学生の頃、野良猫に餌をやっては近所から苦情が出て、親が謝りに行っていた。
しかし今、小学生の頃のワクワクした気持ちがよみがえってきていた。
ケンジは、そぉっと仔猫に近付こうとした。しかし、仔猫はすばしっこく草むらに隠れてしまった。
午後の授業のことが気にかかったが、駅前で餌を2~3個買って、すぐ川原に戻ってみた。
やはり、仔猫は見当たらない。
ケンジは落胆した。しかしその時、草むらに何かいる気配がした。
「もしかして……」
ケンジは、買ってきた餌のパックを開けて、気配のした方にそっと置いてみることにした。
「匂いにつられてやって来るかも……」
そう言って1時間ほどが過ぎた頃、仔猫がひょっこりと草むらから姿を現した。
それを見たケンジは両手の拳を力強く握った。そして、焦るなと自分に言い聞かせていた。
「ここは焦ったら負けだ。気長に待とう。」
腰を下ろし、ケンジは鞄から弁当を取り出した。時間は午後3時を回っていた。
「食べながらゆっくり待つか。」
ケンジは、仔猫の様子を見ながら、弁当を食べ始めた。
しばらくして、警戒しながらも餌に近づいてきた仔猫はクンクン匂いをかいでいるようだったが、一気に食べ切ってしまった。
何日も何も食べていなかったに違いない。満腹になった仔猫は、ぺろぺろと口の周りをなめながら、草むらの中に消えていった。
翌朝、ケンジは、学校へは行かず、川原へ直行した。もちろん、仔猫の様子が知りたかったからだ。
昨日買った餌がまだ残っていた。
昨日と同じように、その餌で気長に待ってみることにした。しかし、予想に反して、仔猫は直ぐに姿を現した。そして、一気に食べ切って、直ぐに草むらに消えてしまった。
ほっとしたケンジは、学校へ向かった。
学校へ行ってみると、1時限目が終わろうとしていた。2時限目から出席したが、誰もケンジに声をかける者はいなかった。
誰ともしゃべらないわけではなかったが、いつのまにかケンジは、必要な事以外はしゃべらないようになっていた。付き合いの煩わしさを考えると、このままでいいとさえ思っていた。クラスの生徒からどう思われているかは想像がついていたが、今の気楽さを手放す気はさらさらなかった。
朝、川原へ直行するようになって、4日が過ぎていた。4日目ともなると、餌を開けると、姿を現わすようになっていた。まだ近付いては来ないが、警戒心は薄らいできているようだった。
「もうしばらく通ってみるか。」
そう言うと、ケンジは川原を後にした。
家族へは図書館へ行くと嘘をつき、ケンジは、土日も河原へ通った。
姉のヨウコからは、「図書館?嘘臭っ!」と疑われたが、他に理由が見つからなかったので、次の日もその理由で通すことにした。
1週間もすると、仔猫はケンジのそばまで来るようになっていた。こうなるともう情が移っているので、見捨てることなど出来なくなっていた。
「おいお前、まだ名前がなかったな。」そう言うと、仔猫は「ニャー。」と鳴いた。
「お前、俺の言ってることがわかったのか!」親ばかのような気分になっていた。
「じゃあ、考えとくから変な名前って言うなよ。」
また「ニャー。」と鳴いた。
翌日、ケンジが川原に着くと、仔猫はひょっこりと草むらから顔を出してきた。
「名前だけど、お前白いから、バニラっていうのどうだ?」
仔猫がケンジにすり寄ってきた。それは、「その名前で良いよ。」と言っているかのようだった。
蝉時雨も聞かなくなり、少し肌寒い季節になっていた。早、1ヶ月が過ぎようとしていたが、この仔猫の親らしい姿は見たことがなかった。これからどんどん寒くなる。だから、その前に、なんとかしなければならなかった。
「うちには猫アレルギーの姉貴がいるしなぁ。なんとかしなくちゃなんないな。」
情も移っている。でも、家には連れて行けないし、かといって猫が飼える知り合いもいない。でも、離れたくない。ケンジは焦っていた。
その数日後、朝起きると、土砂降りになっていた。ケンジはかなり焦っていた。家族が何か言っているのも耳に入らず、とりあえず、バスタオルをリュックに詰め込んで、家を飛び出していた。
川原に着くと、とにかく、名前を呼び続けた。すると、奇跡的とも言うべきか、仔猫は姿を見せてくれた。
「バニラ!」と叫んで、ケンジは仔猫に駆け寄り抱き上げた。
「寒かっただろう。ごめんな。」
ケンジは、仔猫をバスタオルにくるんだ。
「うちに行こう。」
ケンジは子猫をリュックに入れて家に急いだ。
「ちょっとの間、我慢してくれよ。」
ケンジは仔猫の事以外、何も考えられなかった。今までは、何をやっても面白いと思えることがなかったし、こんなに真剣に何かを考えたことはなかった。ケンジは自分にこんな一面がある事に心底驚いていた。
家に着くやいなや、ケンジは2階の自分の部屋に駆け込んでいた。
ヨウコがドアを叩きながら、「ちょっと、あんた、やばいことしてんじゃないでしょうね!」と言ってきた。
「あれ?鍵かけてんじゃない。何なの?開けなさいよ。」ヨウコの性格からして引くわけもなかった。
「ちょっと、姉貴、静かにしてくれよ。」
「ねぇ、何してんの!」
「わかったから、ちょっと待って。下で話そう。だから、下行ってて。」
「ちょっと、あんた、そこに誰かいるの?」
事は重大になってしまっていた。
ケンジが1階に降りて行った。
「あんた、2階に誰か連れ込んでんじゃないでしょうね?」
ヨウコはケンジを睨みつけた。
「ちょっと、冷静になってよ。ちゃんと話すから。」
「何それ、むかつく!」
「実は、黙ってたことがあるんだけど……」
「あんた、最近、変だったよね?」
「ちょっと、待って。」
「じゃあ、何なの?」
ケンジもいらいらしてきていた。
「ちゃんと話すって言ってるじゃん。だから、つまり……」
いざ話すとなると、ケンジは少し口ごもってしまった。
「猫だよ……」
「猫?今、2階にいるの猫なの?」
「実は、1ヶ月くらい、学校の近くの川原で世話してたんだ。」
「ちょっと、どうするつもり?あたしが猫アレルギーって知ってんでしょ。」
「俺も調べたよ。白だったり、雌のほうがアレルゲンが少ないとか、掃除をまめにするとか、アレルギーでも飼う方法はあるみたいなんだ。もっと、ちゃんと調べて対策するから。」
「あんたがそこまで言うなんて珍しいから、様子みてもいいけど……」
「ありがとう。でも、どうしてもダメだった時は、ちゃんと考えるから。」
そう言うと、ケンジには、なんとかなりそうな予感がしていた。
これはケンジから家族への、小さな告白だった。
高校1年の秋の事だった。
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