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『本当の弱者は救いたい形をしていない。』について思うこと…

どうも、しま子です。

最近ネットで『本当の弱者は救いたい形をしていない。』という言葉を目撃しははぁなるほどね…と思いました。

この言葉は、真理をついているとも言えるが、ではどうして真の弱者は救いたい形をしていないのか、今回はそこについて深掘りしてみようと思います。

「救いたい形の弱者」とは何か?

まず、救いたくない弱者を考える前に救いたくなる弱者とはどんな形をしているのか?というところから考えてみようと思います。

私が考えた救いたくなる弱者の一例をまとめてみました。

明らかに体が弱っている人

身体的な理由で、今にも命が絶えそうな弱者は人間の本能的に助けたくなる弱者です。

よほど極悪人でもない限り、命の危険がある弱者は救いたくなります。

無力さや純粋さを感じる人

小さな子どもやお年寄り、明らかに身体的にハンディキャップがある人はその人に無力さや純粋さを感じ救いたくなるでしょう。

また、知的障害を持っている方は純粋な振る舞いをするので、弱者として救われやすい一例です。

共感できる事情がある人

不遇な生い立ちや生活を強いられている人は、救う側の共感を呼びます。

例えば、幼少期から虐待を受けていて過酷な環境で育った人や、会社で理不尽なパワハラを受けた人、不慮の事故で弱者になってしまった人など防ぎようがない理由で障害を追ってしまった弱者は助けたくなるでしょう。

自らSOSを出せる人

福祉は、意外と冷たいもので自らSOSを出せる人から救っていきます。また、周囲に対してどのような支援が必要なのかも伝えられる人は、周りも救いやすいでのです。

特に日本は、支援というのは生活保護や障害年金など、お金が絡む支援に対しては申請制な部分もあるので、自ら積極的に助けを求められる人が有利です。

手を差し伸べてくれたことに感謝する人

せっかく弱者を救っても、感謝されないと救った方はなんだか浮かばれない気持ちになります。

人間は、感謝されることで「もっとこの人のことを応援したい」と思うので、さらなる支援が期待できる場合もあるでしょう。

何事においても、感謝するというのは得なのです。

「救いたくない形の弱者」とは何か?

救いたい人の逆で、今度は支援や福祉から取り残されてしまいやすい「救いたくない形の弱者」とは、どういった特徴があるのか見ていきましょう。

支援を拒む人

支援を拒む人は、せっかくの救いを無駄にしてしまいます。本人が支援を受けないと頑なに拒めば周りも無理強いすることはできません。

支援が必要なのにも関わらず、拒む人は純粋さや可愛げがなく救いたくない弱者の典型例です。

支援を当たり前だと思って感謝しない人

支援を当たり前だと思って感謝しない人も、純粋さや可愛げを感じません。

せっかく助ける側が、一生懸命動いているのにそれをさも当然のように思っている人は、やはり救いがいのない弱者の一例です。

他責思考の人

「こんなに困っているのはあの人のせいだ」と、自分が弱者になったことを他責思考にしてしまう人も救う側からすれば、複雑な感情になってしまいます。

確かに、弱者になってしまったのは社会や周りの環境が原因のこともありますが、そればかりに執着していては前向きな感情は生まれません。

救う側は「支援で少しでも前向きになって自立してほしい」という気持ちなので、他責思考の人は救いたくない弱者になってしまいます。

他者に共感を呼びにくい態度や価値観を持つ人

支援に対する要求が理不尽だったり、反社会的な行動(犯罪や薬物など)を繰り返す人や、攻撃的な人は救いたくない弱者です。

救おうと手を差し伸べれば、自分も犯罪に巻き込まれてしまうかもしれないという恐怖が人間ですから当然救う側にもあります。

危険を犯してまで、救ってくれる人はかなり少ないでしょう。その結果、本当に困っている人に支援が届かないのです。

弱者の中でも支援差別が起こっているという現実

ここまで、救いたい弱者と救いたくない弱者を比較して思ったのは、弱者の中でも救われやすい者は支援が受けられやすく、そうでない人はいつまで経っても支援が受けられずに、より弱者への拍車がかかってしまうという二極化が起こっているという現実です。

こうした支援差別は、もちろん弱者側の素直さや謙虚さが足りない部分もありますが支援する側の選り好みな部分もあるのではないでしょうか?

本当の弱者が救われるには感情論を捨てた支援が必要

今回、私がこの言葉を深掘りして思ったことは、支援も感情論で動いているから「救いたくない形をした弱者」が生まれてしまうということです。

本来支援というのは、困っていれば誰もが受けられるものですが救う側の主観で「救いたくない」と思ってしまえば、救えるはずの人をいつまでも支援できないままになてしまいます。

たとえ周囲から見て「救いたくない形をした弱者」であっても、感情論を抜きにすれば「救うべき弱者」であることに変わりはありません。

なので、感情論を一旦抜きにして公平に支援が受けられるような制度が日本にはまだまだ足りないと思っています。

福祉支援こそ感情論抜きで行うべきで、取り残される弱者が生まれないことを望みます。


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