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大好きなゲームのサービス終了を目前にして。

憂鬱だった二日連続の通院も午前中のうちに終え、シャワーを浴びて、ブラックラグーンの双子回を見直して、明日サービス終了するゲームの音声を録画しまくって、ご飯食べて、ぼーっとして、昼寝した。


ツイッターのTLに「メンタルがやられた時のために貯金しておいたのを美味い食事を食べることなどに使ったらメンタルが回復した」というような旨のツイートが流れてきて、それで回復できる人は羨ましいなと思った。

もっと深いところに病巣がある人間は、美味い飯を食うとか、ちょっと良い経験をするとか、そういう一時的な処置ではどうにもならない。どうにもできない。すぐ剥がれる絆創膏のようなものだ。永続性の無い、一瞬で過ぎ去る幸福でしかない。

高いカウンセリングを受けて病巣の根元から徐々に治していくしかないの、不公平だよなあ。


とはいえ、小さな何かを積み重ねていくことでしか我々のような人間は生きられない。

「明日回転寿司行く」とか「明日友人に会う」とか「見たい映画がある」とか「もうすぐ給料日」とか……そういう小さな未来への希望を少しでも多く積み上げることでなんとかギリギリ生きられるんだと思う。

本当にギリギリだけどね。



話は変わる。


私の愛するゲーム「ワールドエンドヒーローズ」が明日サービス終了する。

明日の午前中。もちろん何も予定は入れていない。サービス終了のその瞬間を、見守るために。

ゲームのサービス終了というのは本当に悲しいものだ。なにせ「日常」の一部が欠けてしまうということなのだから。

毎日ログインして、毎日推しに挨拶されて、毎日推したちの挙動を見ていた生活の一部が、ごっそり無くなってしまうのである。

その寂しさたるや。なかなか言葉にできるものではない。まるで体の一部がもがれてしまうような苦しみだ。

そしてもっと悲しいのは、そうやって一部が失われた日常でも、当たり前のように明日、明後日、そのまた次の日、と連綿と続いていくということだ。

大切な人が死んでも、太陽は上がって、月は昇って、夜は明けて、お腹は空く、あの悲しみと同じ。

今度は「その作品の無い日常」が当たり前になっていく。


それが、とても、寂しいのだ。泣いてしまうくらいに。


私は去年「千銃士」という作品で同じ喪失を味わった。

あの寂しさは忘れられない。

明日もきっと、感謝の気持ちと、寂しくてしょうがない気持ちの二つが私を包むのだろう。


最後のアップデート、「オフライン版」への移行は明日の朝10時に行われる。

残り約17時間。

オンライン版で遊べる、最後の一夜だ。大切にしよう。

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