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生きづらさのこと。

久々にnoteに書きたくなったがタイトルが思いつかなかった。

『生きづらさ』にクローズアップしているココ最近の社会。
私的にはありがたい。
そう思ったのには理由がある。

「皆、何らか苦労している」は聞き手の視点。

夫の話を不幸自慢と捉えられることが増え、自己嫌悪に陥ることが増えた。
聞かれたことに答えた過去を、
「皆何らかの苦労してきたんだよ」
と返されると、
(あっ、なんかごめんなさい…聞かれたから答えただけなんです…)
となる私はまぁ自己肯定感の欠片も持ってないのだが。
聞かれたことに答えて、共感してほしいわけでもないから、あえて明るく答えてもこの返事。
かと言って、どの答えが正解とかではなく。

(この人は聞き上手ではないのだな)
と思うことにした。
キャッチボールで例えられるコミュニケーションで言えば、
とんでもない変化球がきて
「そんなもん取れねーよ」とグローブすら構えない人なんだな。
しかも飛んでったボールを、投げた相手に拾わせる人なんだな。
私の過去が変化球と言いたいわけではなく、
コミュニケーションの相手によって、さらに生きづらさや心苦しさを感じる人がいることも知ってほしくて、3年ぶりに書いときました。

これは私が今後、管理者として、看護師として、親として、一人の人間として、覚えておきたいから。
私の備忘録。

#生きづらさ
#想いの言語化
#備忘録

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