アダルト・チルドレンについて①

こんにちは、こんばんは、おはようございます。のん子です。
初めましての方は不思議な女がいるなぁと思ってみてくださいね。
他のブログ記事も見てから来てくれた方、ありがとうございます。
のん子とはなんなんだ?ってなる人もいますよね。
そんな方はもしよろしければこちらのリンク先、

私の簡単な自己紹介記事を読んでいただけたら幸いです。
では、今回もよろしくお願いします。


今回の投稿では、最近よく聞くようになったアダルトチルドレン(AC)について語ってみようと思います。

まず、のん子がアダルトチルドレンという言葉を知ったきっかけですが、ぶっちゃけた話、それはインターネットでたまたま見かけたことです。
この言葉を見つけたのは、つい一年ほど前、最近と言ってもいいくらいの話です。

当時の私は、うつ病真っただ中、最悪な時期でした。
不安ばかりで、どうにかしなくては…!という焦りに急かされるように休んでいていい期間にも拘わらず、必死に携帯を酷使してうつ病の治療方法や向き合い方などを検索して毎日数時間を掛けて一つのサイトを拝見させて頂く日々を過ごしていました。
文章を読むことが苦しくて、集中力が全く続かない中、よくやっていたと少しだけ当時の自分に声を掛けてもいいのかな、と思うこの頃です。

話しが逸れましたね。そんな時期にうつ病について調べる中で、私は自分の性格を大否定し、治したいと思ってそのようなワードを詰めてよく検索を掛けていました。
その時、たまたまこのアダルトチルドレンという言葉を見かけて読んでみたことがきっかけで、私はこの言葉を知ることができました。


アダルトチルドレンとは

アダルトチルドレンとは、もともとアメリカで「アルコール依存症の親の元で育った人(チャイルド・オブ・アルコホリクス)」をさした言葉です。
依存症者の子供が大人になった時、その生き方に共通の苦しさ不自由さを抱えていることが注目され、大きな共感呼びました。

アルコール依存者のいる家庭で育つ子供に見られる多くの共通点が「いい子」になるということです。
お酒を飲んでいる親と、飲酒問題を何とかしようとして必死になっているもう一人の親との間で、小さい頃から少しでも親を助けよう、親の役に立とう、親に世話をかけないようにしようと子供は必死になります。
両親と一緒に問題を解決したりできない状況です。
その中で、家族間の緊張を子供が親を庇い、親の秘密を守ろうとします。

しかし、いくら頑張っても事態は良くならない一方です。
それゆえ、もっと子供は頑張ります。
一生懸命に親の期待、すべてに応えようとします。

そうすれば、親から愛されるだろう、親に見捨てられることはないだろうと自分に言い聞かせるのです。

その中には、あえて自分が問題を起こしたり、病気になったりすることで、身体を張って両親を繋ぎとめようとする子供もいます。
無意識の行動であっても、結果的には子供がこうした問題を起こすことで家庭崩壊をぎりぎりで食い止めている場合があります。

子供たちは、自分の望むようにではなく、周囲の状況に応じて反応し、行動する自分を作り上げます。
ありのままの自分」でいると、周囲に受け入れられないから、傷ついてボロボロになっていくのです。
ボロボロになりたくないから、傷つきたくないから、「ありのままの自分」を先に心の奥底へ閉じ込めて、その身を守っているんです。

これが、今でいう、他人軸で生きている人を作り上げていると私は考えます。
「ありのままの自分」を受け入れてもらえなかった幼少期からの経験を大人になった今も忘れることも、捨てることもできず、傷つかないように、隠すことで、自分を消してしまう現象が起きるのです。

のん子も自分主体に動くことがとにかく苦手です。
本当にやっていいのか、本当にこんな考え方をもっていてもいいのか…?
とぐるぐる毎日考えて生きています。
他人の顔色を伺って自分を押し殺したくなんてないはずなのに、他人の顔色を伺ってしまう癖はなかなか抜けないのです。
自分の人生であるはずなのに、どこか私の人生ではない感覚がずっとあります。

たくさんの本を読み、多くの方のサイトを拝見させて頂いた今では、
私はアダルトチルドレンの特徴が多くあるな、と感じます。
病名ではないので、誰かに確実にアダルトチルドレンだと決定してもらえたわけでもない自己解釈の中での話なので、もしかしたら違うのかもしれませんが、今の私は自分と向き合う中であてはまるものが見つかり、少しずつ自分と向き合えるようになってきたと感じています。

他人や周囲を主体にして、自分自身を守ってきた経験が、変化を嫌い、対象者との共依存を産んでしまっていると、今になって少し理解できるのです。

アダルトチルドレンかもしれないと、いう方はもしかしたらのん子と似たような感覚が、子供時代の生き方から、パターンとして身に着いてしまっているのではないでしょうか?

生きづらいを知ったきっかけの本

私が生きづらいの原因を知ろうと思ったのは、
Pocheさん「悪いのは、あなたじゃない」(ダイヤモンド社出版)
を読んだことがきっかけです。

繊細さんやHSPの本も読んでいましたが、それ以上に私にとって生きづらいの理由はなにかあるんじゃないか?と考えていた時があります。
私自身も繊細さんの特徴や、HSPの特性を持っていると感じていましたが、それ以上に生きづらくしているのは、私や私の周辺で何かが起きたとき全て私のせいだと考えてしまう癖があるからだとこの本を読んで気づきました。

「○○さんが不機嫌なのは、私が何かしちゃったからかな…」
「お母さんがイライラしてるのは私のせいだ」
「家族が仲良くできないのは私が上手に立ち回れなかったから」
「○○さんを喜ばせられなかったのは、私に力がなかったせい」

「全部私のせい……私が全部悪いんだ」

小さい時から当たり前にあったこの現象は家庭に収まらず、家の外の世界でも社会人になった現在も続いています。
だから人と会うのも、話をするのも本当は怖くて仕方がないのです。

けれど、Pocheさんのこの本を読んでから、本当に全部、私が悪かったの…?と疑問を持つようになりました。
フラッシュバックしてパニックになって、自己嫌悪するときも、でも…と一瞬止まれる瞬間が生まれることも、数は少ないですができるようになったのです。

・小さい頃からの癖が今も引き継いでいること。
・過去と今の区別ができなくなる瞬間が多々存在してしまうこと。
・誰かを悪者にしたいわけではなく、ただ少しだけ自分だけのせいではないと勇気をもらえること。

私はこれら3つが「悪いのは、あなたじゃない」には含まれていると感じました。
イラストもありとても読みやすい本だと思います。
ぜひ、一度手に取って頂き、この本を通じて自分と向き合ってみる勇気を取り戻してはいかがでしょうか?

アダルトチルドレンがあてはまっていると感じたこと

1.家族の中での役割

→私の家庭では私が家事を一番しなくてはならない立場にありました。
「お母さんだって忙しいの!」「なんでお母さんばっかり!」「のん子までお母さんだけに押し付けるの!?」
兄妹たちのように家事をさぼろうとすればこんな言葉ばかり。
体調が悪かろうと、次の日テストだから勉強していようとだれも私のことなど気にかけてくれないのに…

女の子なんだから」を理由に兄は家事をしなくてよくて、
お姉ちゃんなんだから」を理由に妹も家事をしなくてよかったのです。

必死に自室で勉強をしている私が呼び出されて家事をやらされる。
それに対して、リビングでただゴロゴロとテレビを見ている妹と兄は何も言われないのです。

当時からの怒りはすさまじいものでした。
反抗しようものなら、母は被害者ぶり、父は聞く耳を持たずに私が遊び惚けていると決めつけるのですから。

私はいなくてもいいものであり、都合のいい家政婦であることが、幼少期からの家庭での役割であると考えています。

2.共依存のルール

家庭内で、見て見ぬふりをしなければいけないことは少なくともあると、私は考えます。
しかし、私の場合、私が感じたことを口にするな、という圧があったと感じています。

その理由は、兄妹間で差別的な扱いを受けていると感じることがあるとしましょう。
兄や妹がそれを言ったときは、私が注意を受けることが多々ありました。
現実的に、二人は文句を言うことが許される立場にあったと言うことです。
対して、私が彼らと同じようになにか悲観的なことを言ったり、嫌だと思ったと言うことを口に出せば、真っ先に「のん子の考えすぎ」「お母さんだって」「お父さんだって大変だった」「のん子の努力が足りてないから」
これらでまともに話を聞いてもらえて、受け入れてもらえた記憶などかけらもありません。
私は文句を言うことが許されない立場であったと言うことです。
もしあったとして、それはきっと私にとっては、他の否定されてきた言葉によって見えなくなるほど小さく、数が少なかったのだと思います。
それくらいの、否定を、話のすり替えを受けて来たのですから。

これを兄妹によって差別的だと反抗すれば、泣き落しです。
私が差別されているように感じていることがおかしいのだと泣きながら否定され続け、私の言葉などまともに聞く耳を持たないのです。

よって、幼少期から現在に至るまで私が構築したのは、

辛いことがあっても、悲しいことがあっても、誰かに相談せず平気なふりをしてへらへら笑っていれば、否定されなくて済む。

でした。
事実、これを実行することによって、私は私のテリトリーに両親を踏み込ませる回数が圧倒的に減りました。
しかし、それに比例するように両親たちからの理想の押し付けは増していき、口答えもできなくなったのは現実としてあります。

家庭において、私は何も反抗しないいい子なのん子であれ、というのがルールだと今では考えます。

3.子供の頃の自分は常に泣いている

自分がアダルトチルドレンかどうか考えるときの方法として、子供の頃の自分を見つけると言うものがあるのだと多くの本で読みました。

ワークを通して小さい頃の自分を想像した時、それは小学二年生くらいの女の子の姿をしていました。
部屋の隅に隠れ、必死に声を殺すように口元を覆って泣いているのです。
その部屋の壁は全て透明になっており、隔てた先の光景が見えました。
私以外の家族全員が、私がいないことなど気にせず楽しそうに笑っているのです。
泣いていることに、いないことになど気づかない様子で心から笑っているように私には見えました。

「さみしい」「一人はこわい」「だれかに見て欲しい」
「のん子だって……がんばったよ」

兄妹の影に隠れる私を見つけてほしいと泣いているのです。
ただ一人の子供として見て欲しいと私はずっと泣いています。
恥ずかしい話ですが、私はそのままの、子供の頃から何も変えることができないまま大人になったのです。

そんな子供時代の自分を見つけたから、今の自分への影響を考えることができて、私は自分がアダルトチルドレンなのだろうと判断し、多くの検索ワードを絞り、本を探し、調べることができました。

まとめ

今回の内容では、

①アダルトチルドレンとは
②生きづらいを知るきっかけになるもの
③アダルトチルドレンだと感じたこと

この三つを知ってもらえればいいかと思います。
私の例ではありますが、それらを自分に当てはめて頂きたいと思います。
まずは、自分の状態について、次に自分を取り巻く環境についての理解を深めていくのがスタートの一歩になるのではないでしょうか。

次回では、上記の様な状態に自分があったことを気づくことができた方法についてまとめられたらと思います。
もし続きが気になってもらえたら、見に来ていただきたいと思います。

では、また!

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