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「うつわやさん」須藤、note始めました。

『食器のことならうつわやさん』須藤真一郎です。
楽天市場ナチュラル和洋食器うつわやさん店長でもあります。       少しの間(いやかなり長いです)店長である私のお話におつきあいいただければ幸いです。

蛙、大海を志す

小さい時はとても記憶力のいい子どもでした。

3歳の時には日本で走っている自動車の全車種を覚えたりしてまわりの大人をおどろかせていました。

小学校高学年になると、政治に興味をもち、新聞を毎日よみ、生意気なことをいうちょっといやみな子どもになってました。先生たちにも正直好かれてませんでした。

ちなみに小学校の卒業文集に「国会議員になる」と書いて、
それを結婚式に招待した担任の先生に朗読されたという過去をもっております(苦笑)。

そんな田舎に嫌気がさし、当時はちょっと勉強ができると思ってたので、出来のいい奴が集まるとい噂の6年生が集められるという塾に行き、そこでも50人中、1ケタ後半か10番台前半の成績をとってました。

当然のように志望校に合格、勉強は中1の1学期の成績や周りの「ほんとにデキル奴ら」をみてあっさりあきらめました。それでも中学・高校6年間男子校でものすごく楽しい時間をすごし、ま、そこそこ格好のいい大学に行けばいいや、と

蛙、突然前にあった道をふさがれるが東の都に

忘れもしない高2の秋、私にとっての大きな悲劇がやってきました。
それは「進路を父親に決められた」ことです。

ぼんやりと「うちの商売はだれが継ぐのだろう」という思いはありました。
しかし私は小さな時から教育関連の仕事につきたいとおもっていました。
ところがある日突然「商売に関係のない大学・学部以外にはお金をださない」と父親に断言されたのです。
ショックでした・・でも、ここまでうちのような個人事業主で私立の中学・高校に通うことなんてほんとに家族の理解なしにはできなかったと解釈し

結局大学は経済学部に行ったのですが(商学部でなかったのはせめてもの抵抗)、そこで今度は資格取得して父親を納得させようと思ったのです。
商売が好きな父親の逆手をとって、「商売に会計の勉強が役立つから」と説得し大学に行きながら簿記、そして税理士の勉強もはじめました。パソコンを使い始めてたのもこのころからです。

大学卒業後1年半後、父親が心筋梗塞で倒れました。3度目でした。
簿記資格、税理士資格受験をアルバイト(学習塾講師とパソコンソフトのお店)をしながらつづけていましたが、これをきっかけに結局家業を継ぐことになり地元、美濃焼産地岐阜県土岐市に戻りました。

蛙、元の池に戻ったが、すぐ米へ逃亡

私には修行経験もなかったせいか(通常取引先などで2.3年の修行するのが慣例)、社内修行のように低賃金で丁稚奉公のような扱い、仕事も「背中をみて覚えろ」という感じでなにも教えてもらえませんでした。

正直「なんで僕がこんなことしなきゃならないの」という毎日をすごしていました。
幸いにも大学時代のバイトでしていた塾講師の経験を活かして、
夜は家庭教師をして少ない収入をおぎなうことはできました。

でもそんな日々が2年半つづいたある日のことです。
私は前々から密かに計画していた「アメリカ逃亡」を実施しました。
大学卒業時、アメリカへ旅行に行きました。
そしてその時ふれたおおらさかに「いつかここで生活したい」という思いを実行したかったのです。

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ウイスコンシン州というところでホームステイしながら英語学校に通っていました。
ホストファミリーはお父さんが公園のレンジャーの仕事、お母さんはパートでDIYショップの店員、
あと小さい男の子が一人で決して裕福といえる家庭ではありませんでした。
正直いうと「はずれの家庭にきちゃったなぁ」と当初は思ってました。

ところが週末は家族お弁当をもって公園におでかけしたり、ハイキングにいったりしてました。
平日の夕方ですら私はその家のお父さんとキャッチボールしたり鉄道模型に興じたりという、平凡だけどちょっと素敵な時間をすごしました。

その暮らしぶりにある日こんなことにきづいたんです。
「お金のあるなしではなく、暖かい家庭をつくるためにも仕事をするのだ」と。
そしてお父さんの仕事に対する情熱と誇りにも大きくこころを動かされました。

そしてまた、父親が倒れ(帰国まで知らされませんでした)たこともあり、私は元の池の中にポチャンと戻されたのです・・

蛙、池からはい出そうとする

その後はまじめに仕事をし、普通に結婚し、家業も順調でした。

でも、私はその家業が「下請け」であることが気になってしかたがありませんでした。

そこで、もう1本の経営上の柱をつくろうと考えました。それは意外なところにヒントがころがっていたのです・・

そのヒントを得た蛙はハタと膝をうちました

では、なぜ『うつわやさん』を開くにいたったのでしょうか。
それは私たち夫婦のこんな経験からなのです。

2000年、我が家を新築しました。

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いざ入居・・
卸問屋をしている関係上、以前から我が家にはいろいろな食器がありました。

色が多すぎたり、デザインが全面にあるために「食べ物をのせる」には
あまり適さなかったり、形が凝りすぎていたりして用途が限られてしまう食器たち。
新居の食器棚に納めるにあたり、その種類と量の多さにびっくりしました。

その全てを見ているうちに私たち夫婦は「はっ」ときづきました。
『きっと、多くの家庭で、こんな情景があるんじゃないか』と。

自然派指向の我が家の雰囲気にあった、食器自体が主張しすぎない、
そして食器棚があふれかえらない、シンプルなうつわでそろえたい。

そんな思いが沸いてきたのです。
そして、同じ思いをもつ方々が結構いらっしゃるのではないか、とも思いました。

こんな「おもい」ではじめたお店でしたが
当初宣伝費をたくさんかけたこともあってか売上自体は好調。
でも、忙しいだけでなにかちょっとむなしい・・
そんな状態が1年半ほど続きました。

蛙、今考えながらてしてること

でも、ある日「あれっ」と思ったのです。
それは「お金」に執着していたアメリカに行きたがっていた頃の自分と
今の自分が同じではないか
と。

そこでいろんなセミナー・勉強会に出向き、ネットショップの「手法」ではない勉強をはじめました。
その中ではじめたお客様のたくさんのアンケート、そしてそれまでいただいたレビューなどから
「ママが笑顔になるため」にはうつわにはなにを求められているかをうかがうことができました。
その結果、私は「収納」に着目しました。

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そこで整理収納の資格であるライフオーガナイザー1級を取得しました。
まさか資格取得をあきらめた20代でなく50歳を目の前にして資格取得の勉強をすることになるとは・・
なにかの縁だったのでしょうね。

そして学んでいる内に『ものの整理整頓ってこころの整理整頓』でもあるんだなぁ、
とお恥ずかしい話ですが改めてきづかされました。

そこで今まで取り扱っていた商品を全て「収納」という視点から見直しました。

そしてとあるシリーズに着目したのです。理由は2つあります。
1)「おうちごはん」というテーマの「うつわやさん」らしいオリジナルデザインであること。
2)元々洋食器メーカーが企画していることもあり「軽い」「薄い」ため、収納にスペースを
   とらずに済むこと。(和食器メーカーさんですとどうしても厚くて重くなってしまいます)

以上から、収納をアドバイスできるプロである店長の私が自信をもっておすすめできる
アイテムであると確信したのです。

今は楽天市場店ではこのベージュドットシリーズを中心に使いやすい、収納しやすい食器やカトラリーを販売する『ナチュラル和洋食器うつわやさん』店長。

【楽天市場】おしゃれでかわいい、収納しやすい食器の通販。グラタン皿、豆皿など。:ナチュラル和洋食器_うつわやさん_トップページ_


また、塾講師の経験を活かし、須藤真一郎として、セミナーやイベントなどでうつわの選び方、使い方、しまい方のお話をしたり、陶磁器産地でのお買い物同行、ツアーなどもしております。
こちらは楽天市場店とはちょっと違ったやきものの世界へご案内しております。

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ナチュラル&シンプルなライフスタイルの中で、
食に関する楽しさを見いだすお手伝いができれば幸いです。

そして私の活動とうつわやさんのうつわたちで『うつわをきっかけに家族が笑顔になれる』ことを祈っております。

うつわやさん

ナチュラル和洋食器うつわやさん楽天市場店


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須藤真一郎@うつわやさん
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