#4 インターフェイス
ジョカンを巡礼する人たちは、誰もがまずバルコルをコルラする。2002年、初めてラサを訪れた夏は、羊飼いや千キロ以上離れた土地から五体投地してきた遊牧民たちが、まだ数多く、つるつるとした石畳の上を右繞していた。
バルコルにはバルコルの香りがある。そこの老舗トゥクパ屋ともなると、チベットバターの中にダイブしたような、まとわりつくような濃密な空気に包まれている。あの夏の日、僕は何時間も、トゥクパ屋の常連客20人くらいに、腹たぷたぷになるまでプージャを飲まされていた。気を抜くと、吐きそうなほどに。
そろそろ脱出しようかと思案していると、6歳くらいの男の子の物乞いがお店に入ってきて目の前で立ちどまった。彼は物欲しそうに僕の顔を覗き込み、モジモジしながら右手を差し出した。
「いくらあげたらいいんだろ」と迷いながらポケットをまさぐって、とりあえず、のつもりで1元札を手渡そうとした。当時のレートで15円弱くらいのものである。すると、対面に座っていたイェシェが「NO、NO」と僕の手からお札を取り上げた。店内のほかのチベットおじさんたちもみんな、僕を見て黙って首を振っている。「お金をあげるな」という合図だ。給仕の少女も、片目をつむり首を振る。
僕は身振り手振りを交えながら、「なんで?」と問う。少年は不穏な空気を察し、気まずそうに僕を見つめている。
イェシェは40代くらいの男性。チベット大学を出ているらしく、トゥクパ屋の客の中でも幅を利かせていた。唯一カタコトの英語が話せたので、店内では僕の通訳を担ってくれていた。その彼が、まっすぐ僕を見て、熱っぽく話す。
「いいか。物乞いがいる、っていうのは我々チベット人の問題だ。チベット人が解決しなきゃいけない。彼らが外国人を頼るようになったり、たかるようになったらいけない。お前も写真を撮ったりしたときにお金を要求されても絶対に渡すんじゃないぞ。チベット人の誇りがなくなってしまう。そういう精神(物乞いの精神)が広まるのはよくないんだ」
イェシェはひとしきり僕に向かって言葉を紡ぐと今度は、ほかの常連客や、最奥に鎮座するオーラビンビンの長老にも持論を演説した。「今、俺は、こいつ(僕)にこんな話を伝えたがみんなはどう思う?」と聞いているようだった。話を聞いた全員が「そうだ、そうだ」と合唱する。僕に対して、それぞれが「お金を渡すんじゃない」とジェスチャーする。
常連たちの矛先は、少年に向かった。イェシェを筆頭に、語気強めの言葉が少年に浴びせられる。「もう外人にたかるんじゃねぇぞ、ガキ」と言っているように聞こえる。
大人たちに八方から集団説教され、少年は今にも泣きそうだ。僕の軽率な行動が店内全体を巻き込んで、チベット人アイデンティティに火をつけてしまった。槍玉に挙げられてしまった少年は、必死で涙を堪えている。見てられない。
「わかった、わかった。もう、お金をあげたりしない。でも食べ物だったらいいかな? お腹が減っている人がいたら何か食べさせてあげたい、っていうのはチベット人じゃなくてもそう思うよ。僕が外国人でも、それならしてもいいでしょ?」
苦し紛れにイェシェにそう言うと、彼はまたみんなにゴニョゴニョっと通訳する。店内が、まあ、それならいいか、という雰囲気になって安心した。僕は1杯のトゥクパを注文し、結局、少年はイェシェの膝に座ってそれを食べた。食べ終わると少年は僕の手をぎゅうっと握り、わわーっと何か叫んだ。当時の僕には意味がわからなかったが、のちにそれが「旅を平安を祈願する言葉」だと知った。
少年は店内のおじさんたちに頭をぐりぐりと撫でられまくった後、走り去っていった。去り際にイェシェが、少年に10元札をつかませていたのも見逃さなかった。
それ以来、僕はなるべく高価な飴やお菓子を持ち歩くようにした。そののち何度となく訪れることになったチベットエリアではそれで通したが、近接するインドや中国、その他の国や地域では物乞いに対する「よりベターなふるまい」は異なった。とはいえ、これもまた別の話。またいつか、どこかで書こうと思う。
兎にも角にも、このトゥクパ屋の一件は、当時の僕にはカルチャーショックだったみたいだ。20年も前のことなのに鮮明に脳裏に焼き付いている。
さて、舞台は新宿西口、2017年秋。丸の内線入り口の階段のところに、50代前半のホームレスのタキヤさんと座ってくっちゃべっていた。ホームレス歴は10年ほどと言う。足元に置いてる空のワンカップの中には、ちょこっと小銭が入っている。
これが物乞い用の器だとは、注意して見ないとわからない。ずいぶん控えめな方法だと思ったが、ハシモトさんの一件から西口に物乞いが増えたことを感じていた僕は、タキヤさんにもその話題を振ってみた。
すると、「日本人でお金くれる人は、なんかしゃべるんだよ。くれるときに。でも外国人はなんも言わんでくれる。だで、こういうの(器)があるといい」と言う。
外国人がお金くれたりするの? と切り返した矢先に、二十歳そこそこに見えるめちゃくちゃ可愛いアジアンな女の子が、胸の前で両手を合わせると、すっと小銭を差し出してきた。タキヤさんは、ちらっと僕を見て慣れた手つきで空のワンカップを前に出す。女の子は100円を入れて、黙って立ち去ろうとした。
「えっ、えっ、ちょっと待って」と、女の子を呼び止める。「ナンパはご勘弁オーラ」を感じて詳しく話は聞けなかったが、タイからの留学生だった。タキヤさんは、「ほら、言ったとおりだろ」と得意げな顔をしている。
なるほど。タイ人は海外にいてもブンを積むみたいだ。新宿で物乞いが増えたのも、グローバル化の影響だったのか。路上に置かれた器はホームレスと外国人観光客とをつなぐインターフェイスなのだ。国際化に対応するためのホームレス側のアクション、と言ったらカッコつけすぎか。
ただ、僕が新宿のホームレスを定点観測してきた感覚では、2017年が物乞い増加のターニングポイントだったんではないか、と思う。そしてこれは、アジアからの外国人観光客の増加と無関係でもないんじゃないかとも感じる。ハシモトさんにも聞いてみたかったが、彼はいつのころかどこかに行ってしまい、あれ以来見かけていない。
このぼんやりとした仮説を検証するために、のちのち、暇をみては物乞いしているホームレスと一緒に座ってお金をくれる外国人の出身を尋ねてみた。わかった数は少ないけれど、タイが5人、インド2人、インドネシア1人、イギリス2人、アメリカ1人という結果だった。
そしてもう1カ国。この日タキヤさんと一緒にいるところで話しかけてきたのが、僕と同世代のスウェーデン人のお姉ちゃんだ。彼女は開口一番、「これから成田に行くからコインは全部あげるわ」と、財布からじゃらっと小銭を取り出した。
お金に頓着がないのか、紙幣で払った釣り銭がそのままだったのか、2000円以上あった。タキヤさんは、「おお、センキューセンキュー」とニッコニコだった。が、その理由がお金だけではないのも明らかだった。
彼女はオーサだかオーセだか、と名乗った。「彼(タキヤさん)と話してみたい」と僕に通訳するように指示をする。180センチ以上ある長身だ。座っているタキヤさんの前に立つと、両手を膝に置いて中座して目線を合わせた。胸元がざっくり開いた服を着ている。タキヤさんを横目で見ると、鼻がフガフガしていた。
「おい、僕らは運命共同体だぞ。そんなフガフガしたらバレるじゃん!」と思う。しかしフガフガが止まりそうにない。僕は「仕方ないなぁ…」と、「ずっと座っていたからお尻が痛くなった」というムーブをして立ち上がり、ベスポジをタキヤさん一人に譲った。
彼女の問いはけっこうおもしろかった。
「スウェーデンだったらホームレスはダンボールにメッセージを書いて主張する。仕事くださいとか、今お金が必要とか、何か食べ物くださいとか。日本人のホームレスはそういうのを見なかった。なんでだろう。ホームレスもシャイなのかな」
なるほどたしかにと思ったが、タキヤさんに「なんでそういう主張をしないのか聞いてるよ」と質問しても、フガフガしたままでてんで使い物にならない。
ほかにも「人が通り過ぎちゃう駅前よりも、東京タワーとか人が立ち止まるところにいたらいいのに」とか確信をつくようないい質問もあったが、「まあねぇ」みたいな何にも答えになっていない言葉しか返ってこず、チラチラと胸元ばかりを見ている。ダメダメだ。
僕はタキヤさんが答えたテイを装って、「日本人はホームレスも自己主張が苦手なんだよ」とか「観光地に座っていると警備員に追い出されちゃうんだよ」とか、適当にそれっぽい回答をするほかなかった。タキヤさんの視線がバレないように。彼女の視線がこちらに向くように操りながら。
5分、10分話すと彼女は帰国の途についた。
彼女の後ろ姿を目線で見送ると、タキヤさんは僕に向かって「センキュー」と親指を立てた。
※タキヤさんは仮名です。
ホームレスに対する接し方は、国や地域によって違いがあると思う。ホームレス側が「ホームの側」に対するそれも同様に違いがある。では、日本では、東京ではどうか。という答えの一つが『トーキョーサバイバー』を読めばわかるはず。現在、出版のためのクラウドファンディング中です。ご支援いただければありがたいです(3月17日まで)。
追記:クラウドファンディングは皆様の温かいご支援のもと、SUCCESSし終了いたしました。ご協力・ご支援いただきました皆様、誠にありがとうございました。うつつ堂代表 杉田研人拝(2022/3/17)