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ネタ切れなんて気にしない

毎日投稿を続けている私にとって、ネタ切れは何よりも怖い。
ネタがないことは連続投稿の終了に直結するわけですから。

この内容は特集記事に回そう、幼少期の話にまとめよう。
私もネタ切れを恐れて、思いついたネタを将来の記事に回そうと画策してきました。

でも今は。
ネタ切れなんて、気にしない。
怖がらなくてもいい、と思えるようになりました。
この思考の変化を、お伝えしたいのです。

ネタ切れなんて、誰にでもきます

noteは (少なくとも私にとっては) 基本的に知識や見解を発信する場である点で、「やってみた」など無知の許容されるYouTubeと大きな違いがあると思っています。

1人の人間が一生のうちに語れるネタなんて、大した量ではありません。
誰しも苦手なこと、好きになれないことがある。だから学んで自分のものにできることなど、たかが知れています。

しかもその中から需要があるもの選びとると、それはさらに少なくなる。私のペントミノ講座にはいまだにどの記事にも1つもスキがついていません。同じように私が興味を持っている食品添加物も、きっと記事にしたところでスキを集められるわけがない。

ネタ切れなんて誰であってもいずれ来るもの。そう考えるだけで、少しは腰を据えて臨めるようになりました。

私にとってnoteの持つ意味は大きくなっている

最近、私の脳内メーカーの中でnoteが占める割合がどんどん高くなっているように感じます。

「欲」「疲」あたりか?

昨日もこんな夢を見ました。
「noteの記事の文字数は1000〜2000字がベスト!」
文字数に関してまだ不安が残っているようです。

街を歩いていても、どんな記事を書こうかとか、今日はまだ記事をあげられてないなとか、そんなことばかり考えています。これだけ考えていたら、自分の中の無意識の「知」に気づけるかもしれない。そして意外とこういった記事に、需要があるかもしれません。

いまのところは日の目を見てないんですが、ね。

記事なんて何を書いてもいい

1個目のトピックと矛盾があるように聞こえるので補足すると、
「知識や個人的見解が語れればどんな内容でもいい」
という私の思いです。

私は記事の最低字数を1000字と決めています。書いてきて分かったのですが、1000字なんて案外余の裕。成り立つ日本語を並べていればなんだかんだで達成できてしまいます。
大した内容がなくても、日常の小さな発見や気づきを膨らませれば十分お見せできるものになる。

それに難しい話を難しく語っても、読む側は疲れるだけです。
チャンネル名は「うつろの雑談部屋」。役にも立たない雑な語りが、むしろこのチャンネルの本質なのかもしれない。

余裕がない時がいちばんのチャンス

ピンチはチャンス。言わずと知れた名言です。
この考え方はネタ切れにも適用できると思っています。

ネタがなくなった時を想像してみます。このままではまずい、となんとかネタを見繕うはずです。もしかしたら新しい挑戦をし始めるかもしれない。そしてこの挑戦が、未来の自分を形作るチャンスになるかもしれない。

人生は挑戦を続けることで豊かになります。だから挑戦を始める起爆剤になるとすれば、ネタ切れも悪いことばかりではないわけです。


これからもうつろは、どんどんネタ切れしていきます。
ちなみに今は、まだギリギリネタあり。
今後のネタ切れをお楽しみに。

それではこのへんで。

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