幼少期の話⑦ 体操教室
私がやったことのある唯一の習い事が体操教室です。
けっこう語れることがあると思いましたので今日はこちらで。
体操教室との出会い
私が体操教室を始めたのは姉の影響が大きいでしょう。姉はもともと体操教室に通っており、その付き添いでよく見学をしていました。年子というのもあり、私は姉の作った道を辿るようにして幼稚園くらいの頃に入室します。体操選手を育成するというよりは楽しく運動しようという感じのコンセプトの割と緩めな教室でした。
いつも記事を読んでくださっている方なら、当時の私がひどく泣き虫だったことを覚えているかもしれません。
できないことがあるとすぐに号泣する私は、先生からしてみればただの問題児、悩みの種だったに違いありません。それでもめげずにゆきだるま先生 (愛称) が丁寧に指導してくださったおかげで、私はなんとか鞠つきができるようになりました。
鞠つきすらできなかったことからなんとなくお察しかと思いますが私、球技大の苦手なんですよね…中学も高校も球技系の部活に入ってるんですが、まあ散々でしたのでこれはまた後日話します。
しばらくして姉が体操教室を辞めました。少なくとも体操教室の時間は姉に依存することがなくなり積極的に友達と話をするようになりました。とはいえメンバーには私が泣き虫なことは割れてますから、お楽しみのドッジボールの時間には私が泣かないようなるべく狙わないという忖度をしてもらっていました。
ま、当時の私が気づくことはなかったわけなんですが。
知らぬが仏ってものですね。
別れ、新たなステージへ
小学4年生の時、お世話になっていたゆきだるま先生が産休のため教室を離れることになりました。技術的にもかなり向上していた私は別の体操教室への転入を持ちかけられ、家からも近いということで心機一転、体操選手を育成するタイプの結構ガチガチの教室に入ることになります。
倉庫を貸し切ったようなフロアの中には、細長い巨大なマットや長さ10mを超える大きさのトランポリンがありました。ビルの1フロアを使ってこぢんまりと練習していた以前の教室とのあまりの違いに狼狽しつつ、さらなるスキルアップへの期待に胸を躍らせながらレッスンが始まりました。
レッスンは正直かなりしんどいものでした。2分間ずっと壁逆立ちをさせられたり、トランポリンで延々とバック転の練習をさせられたり。ただ、そのおかげで体が引き締まり、腹筋が割れて助走をつければアスファルトの地面でもバック転ができるようになりました (もちろん今はできません、あまりにも体が硬くなってしまいまして)。このことは感謝してもいいかなと思っています。
新しい友達もできました。同じコースのメンバーのGくん、Bくん、Sくん。主に小学校の授業の話とか、好きなアニメの話をしていたと思います。GくんとBくんは1個下でしたが、Sくんは1個上だったので私より一足先に小学校を卒業して体操教室もやめてしまい、あまり思い出が残っていないのが悲しいものです。
やがて中学生が近づいてきます。教室は中学校の学区外にあったため、GくんもBくんも私とはまるで違う学区の生徒でした。私は部活を通じて同中の同級生との関係性を深めていきたいと思っていたので、友人2人を残して結局小学校を卒業すると同時に体操教室をやめることになります。
今も元気にしてるかな。
もし体操の大会とかで出てきたら全力で応援しようと思います。
ちなみに
ちなみに後日、親の作ったアルバムを見ていると小5から小6まで通っていた体操教室の大会の記録が残っていて、当時の友人の本名が載っていました。練習の時は名前しかわからず気づいていなかったのですが、そこでなんとSくんが同じバイト先の、同じ大学の同じ学部の同じ学科の1つ上の先輩であることがわかったのは、また別の話。
↑このくだり前もやったなぁ。二番煎じ…
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それではこのへんで。