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「学ぶ」と「覚える」って、けっこう違う

「テストのために勉強しないと」
その勉強、きちんと学んでいますか?
覚えるだけの作業になっていませんか?

とりあえず、私の話

はじめに昔話をしましょう。高校時代のお話です。

当時から暗記だけは得意でした。副教科は大抵試験の数日前に覚え始めて、睡眠時間を削って詰め込んで試験の当日に吐き出すという戦略をとっていました。保健の試験なんて、穴埋めのくせに「原則教科書の本文に書いてある表現を正解とする」とかいう鬼畜の仕様なので、高得点のためには暗記せざるを得なかったというのはありますが。

副教科は最悪それでもいいのかもしれませんが、私は不幸にも主要教科すら丸暗記で済ませようと画策してしまいます。結果その試験ではいい点を取ることができても、少し経つとほとんど全て忘れてしまっていることが多々ありました。

これって果たして「学び」と言えるでしょうか?

否、これはただの「覚える」でしかありません。私がしていたのは、問題と答えの場所を覚えて完璧に引いていく、1対1の繋がりしか考えようとしない神経衰弱のようなものです。

そして学校側が求めているのは神経衰弱ではありません。学校は文字通り学ぶ場所なので、系統立てて物事を把握することを求めているはず。そうすると私は学校でただトランプをしばいていただけの不良生徒だったのだ、と実感させられます。

とまあこんなことを、ぼんやりと考えていたわけです。そしてないものねだりかもしれませんが、私は圧倒的に「学ぶ」側に魅力があると思っています。今回は理解のプロセスを学ぶことと覚えることに大別し、その相違点を見出していければと思います。

「学ぶ」と「覚える」の違い

所要時間

覚えることは言葉を頭の中にインプットしていくだけの作業ですから、さながら私が保健のテスト範囲を3日そこらで丸暗記したように短時間での実現が可能です。急拵えで仕上げられることは、覚えることの唯一と言っていい強みかもしれません。

一方で何かを学ぶとき、それは単なる暗記ではありません。関連する知識についても理解を深め、またその関わり合いにも目を向けることで体系的に物事を捉える必要があるのです。そのため学ぶことは覚えることに比べて莫大な時間を要し、そして時には苦悩を伴います。
また学ぶためにかかる時間、ひいては学びを継続できるか否かは、本人の意思の強さにかかっていると言っても過言ではないでしょう。

持続時間

系統立てて学んだことは長い間頭に残りやすい傾向にあります。学んだうちの一部を忘れてしまったとしても、それと関連づけられる他の知識から類推・検討することができるからです。あえて例を挙げるなら、高校数学において三角関数の和積変換公式を覚えていなくても、本質を理解していたら式を導き出せるといったところでしょうか。

他方覚えただけの知識はただ関連性のない単語の連続にすぎません。そのため時間が経つと忘却曲線に従ってすぐに忘れてしまいます。身になっていないわけです。そのため持続時間は短く、再び知識を利用するには復習が必要になります。

適応範囲

覚えた知識はふつう、覚えた範囲においてしか発揮することができません。対して学んだ知識は、他の分野においても活用することができます。

先日とあるYouTuberの動画を見ていて思ったことがあります。彼はかなり有名な、野生の動植物をとって食べる配信者です。あえて名前は出しませんが、中にはわかる人もいるかと思います。

彼は100万人を超える登録者を抱え、動画もしばしば一流のYouTuberと同じかあるいはそれ以上に再生されていたりします。彼に人気があるのは、対象とする野生の動植物に対して並々ならない知識があるからです。しかもそれを咄嗟にわかりやすく説明できるところが、一番の強みなのだろうと私は思っています。

コメント欄で「知識量がすごい」とよく書かれていますが、私に言わせれば本質は知識の多寡ではなく、知識の抽斗を即座に開けられることです。単なる記憶ではなく学んで己のものとしている彼の姿勢が、教科書の中に囚われず日常生活においても知識を有効に活用することを可能にしているのだと思います。


最後に強調しておきたいのですが、私は間違いなく覚える側の人間です。大抵全ての物事を暗記でやり過ごしてきたので、何一つ身になっていないのではないかと感じることもあります。
学ぶ人間になることは私の理想であり大きな目標です。いつか実現できる日を願って、伏線としてこの文章を残しておくことにします。

リアクションいただけるとハッピーになります。
それではこのへんで。

#最近の学び


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