ビジョンに向かって進歩するんだってさ
現状を把握し、理想とのギャップをうめることでビジョンにむかおう、という美辞麗句は今も世間に根強い人気だ。
ダーウィンをバックボーンにしたスペンサーの社会進化理論のようなものが背景にあるのか、進歩のために異質を飲み込んで新たにうまれる秩序で、新たなビジョンを作ろうってことか。
でも進歩して、どこに向かうのか、僕にはさっぱりわかりにくい。
会社員のときも「おまえの理想を描けよ」ってえらそうに言われても、信じられるユートピアを描けるほど、頭の中のお花畑は花開かなかった。
それに、ビジョンってやたらとセンターを目指すのよね。
でもぼくは、目立つのは好きじゃないし、端っこが心地よいからこまってた。
たくさんなアイドルもやたらとセンターを目指すし、
多くの人もどうやら真ん中でわいわいされるのが好きっぽい。
なんでおまえはそんななの?ってよく冷笑されたもんだ。
だけどそれって危ないですよ、ってアドルノとか言う人が危険性を指摘したそうな。
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中心を持とうとした社会は崩壊する
『否定弁証法』テオドール・W. アドルノ
https://ux.nu/FuqlB
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かつてふたつの大戦を通じて、人が学んだことって、そういうことだったそうな。
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ようするに、社会でおこる新しいことによっては、存在の中身な
んてちっとも変わらないということです。こうして「社会の進歩」
というヨーロッパ近代社会が見いだしたビジョンは、少なくとも
哲学や文学のなかでは大戦と共にもろくも潰えていったのです。
『国家と「私」の行方』 松岡正剛
第9講 20世紀の哲学と文学が暗示したこと
https://ux.nu/CWPyX
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って考えると、大上段に構えた「進歩」や「発展」なんてものより、もっと大切にしたいことが何かを見いだしてみたいものだ。
だからこそ生まれたのが「現象学」であり「実存学」やったそうなのだけど、人という存在には用途も決まってないし、社会が何か、ことばが何かすら、かの大哲学者ですらわかってない、って言うてたというのを知ると、なんだかほっとした。
ますます歴史から学ばなきゃ、賢者になんてなれなさそうだ。
道元さんも、自己を忘れろよ、って言うのは、存在そのものをみつめて「生命だけがある」ってことに鋭敏になることを説かれてたのかな。なんだか歴史をみつめてて、そんな気がしてました。
そんなことを考えてると、働きづめで全国を走り回って、会社と事業の「発展」を目指した自分を、振り返っては反省。
家族の食卓や、夫婦の会話や、ひとりの時間、ってのを、もっともっと大切にしなあかんなぁ。
もろくも潰えていった世界観に、振り回されるんでなく、足元をみよう。灯台の下は、暗いけど海産物の宝庫なはずだ。