本日は母の抗がん剤投与4回目

こんにちは。
冬も本番になり身体の末端も気持ちも冷えますね。
気圧の高低差でメンタルや頭痛にも響きますが、私は
『頭痛~る』というアプリにて、事前に覚悟してます。
それだけでも「あ~、このしんどさは気圧のせいだな」と
思えるのでかなり気分が楽です。
ある意味開き直れます。

さて、タイトルにもある通り、本日は母の乳がん抗がん剤投与
4回目となります。
後日細かく闘病関係を記録しようと考えているのですが、
初めに癌発覚したのは、コロナの予防接種を受ける前に
(どれほどかは知らないが)以前から気になってた横胸から横っ腹の間辺りの
こりこりを『念のために調べよう~』と軽い気持ちで
病院に行ったことがきっかけでした。

母は喫煙者、しかもヘビースモーカー寄りで、私の祖父(母の父ですね)も
肺がんで亡くなってますので、母自身は自身は、がんなら肺がんであろうと
肺がんに特化した保険に入るぐらいでした。
それが思いもよらぬ乳がん。
『こりこりしてたらなぜにもっと早く病院へ行かなかったのか?』と
私も思いましたが、やはりわかりにくいものなんでしょうね。

よく郵便局や町医者、福祉系の建物にある、肩からウエストまでの
シリコンの寝転がった女性の半身の裸ボディ
『こりこりはどこにあるでしょう?』的な模型あるじゃないですか。
あれって結構な力で触らないとこりこりがわからないんですよね。
母もいつも模型のどこにこりこりがあるのかがわからず、
『(母の手を添えて)ここにあるやんかー(ゴリゴリ)』と
一緒に触っていました。
だからわからなかったんでしょうね。

乳がんの治療法は数通りあり、髪が抜けない治療法もあるそうです。
が、母は皆様がイメージできるような、髪の抜ける治療法でした。
お薬に女性ホルモンが関係するとかおっしゃっていたような。

で、第一回目の投薬(点滴)は(私は第一シーズンと勝手に呼んでます)
事後のこともあるので約1週間入院。
以後、3週間ごとに通院にて点滴投薬を、第一シーズンは計4回行います。

本日はシーズン1-4ということで少しは慣れてきてますが、
最初はまず『髪が抜ける』ことに母はビビっていて、主治医にも
いつから抜けるのかをよく聞いていました。
結局シーズン1-1の2週間目(退院してから数日後)から
お風呂でモサっと抜けたそうで、数日間お風呂のくず取りネットは
毎日野球ボール大ぐらいに毛でコロコロで、私もゴミ箱を見て
驚きました。

それが2021年10月~11月の秋のこと。
母は頭は私にも絶対見せず、
黒い不織布のネット帽(抜け毛を落とし散らかさないためのもの)や
Tシャツ生地で私がYouTube見ながら作ったお部屋帽を被っています。
が、不織布を被っているときは蛍光灯でたまに透けて見える時があるんです。
母曰く『子供が描く人間の絵の髪の毛みたいやねん』と言っており、
今もまだ髪の生え際はぐるりと残っているそうです。
たまに再度の地毛が出ているときもあり、納得です。
先生曰く、髪がベリーショートくらいまでになるには2023年夏くらいかと。
第二シーズン×4回+手術+術後通院があるとのことなので。

それだけでもメンタルしんどいだろうに、
抗がん剤の副作用で、今はマシなものもあるらしいのですが、
手足の水膨れがすごかったり、あかぎれみたいになったり、
むくみもひどく、点滴数日後に無気力になったり、吐き気がしたり
するそうです。

母の支えになりたいが、私がかかっている心理士さんに相談したところ
『すべてを抱え込むより、極力いつも通りで【私(母)がいないと!】と
思わせてあげたほうがお互いに気負わなくていいのではないか?』と
アドバイスをいただきました。
働き盛りのアラフォーの私には情けないですが、
共倒れにならず、負担を母にこれ以上増やさぬように…と思うと
現状の私の状態(双極性障害Ⅱ+発達障害グレー判断)には
この方法が今のところ最適なのかもしれません。

しかし、やはり金銭面はまとわりつくもので…
私も自分に無理なく、母を安心かつ元気にさせられるよう働ける方法はないかと模索しております。


支離滅裂で拙く長い文章を最後まで読んでいただき、
誠にありがとうございました。
誰かの勇気の一部になれると私も勇気が出ます。

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swimmer(仮)
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