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共同体における支えあい~その難しさ~
ここで私が思い出す事例はある研究室でのことだ。その研究室はあまりメジャーではない分野だったこともあって学生の数もOBの数も多くはなかった。このように狭い人間関係だったのにもかかわらず、研究室の先輩たちは互いに強いライバル意識を持ち、互いの研究について非常に批判的だった。研究について批判的になるのは悪いことではない。しかし、それが若干行き過ぎて、共同研究なども活発ではなく、専門的研究以外の活動(一般書の執筆や学生への指導、市民相手の講演など)も評価はされず、どちらかといえば冷ややかな視線で見られていた。そこは研究水準の維持が目標になっていてその水準に満たないと判断された人に対しては冷淡だった。分野全体の発展の発展を考えて協力し合うという姿勢も希薄だった。だから、その研究室にはだんだん学生も集まらなくなり、学会の中での存在感も下がっていっていたと思う。このように考えると、互いに支えあうことは、共同体を維持し発展するために必要であると思われる。支えあいがなく自助努力のみが強いられる共同体であれば、脱落した人は居場所がなくなるのではないか。そして、共同体の構成員も減ることで外から見ても魅力がないようになればさらに共同体に入る人も減ってしまうだろう。自助努力のみが強いられる共同体においては、このような縮小再生産が起こると思われる。だから、たとえ何かの「水準」が下がろうとも、支えあいを志向したほうが結果的に研究室の安定した運営や維持につながっただろうと思う。私たちは生きてる限り何かの共同体の一員でもあり、それを支え、それによって支えられている。相互に支えあわないとは、ある意味で自分たちの生の基盤である共同体を維持する責任を負わないことなのかもしれない。人は一人では生きていけず共同体とは、人々が共に生きていく事を志向する場だからである。だから、支えあいは共同体の維持のためにも不可欠なものだろう。
共同体の維持に支えあいは必要である。ただし、それには固有の難しさがある。誰かが支えあう精神を持ち共同体のために貢献していたとしても、共同体の全員がそうだとは限らない。それは時に、誰かへの依存や仕事や責任の不均衡、それによる不満という問題になって現れる。例えば、私はサークル時代にこのような問題に直面した。サークルは3年生が主体になって運営するのだが、その時期にインターンシップが入りサークルでの自分の仕事をこなさない人が何人かいた。私を含め何人かはその人たちの分の仕事をこなさなければならなかった。私個人は仕事を代わった分、私の仕事についてその人たちからフォローしてもらったので、仕事を代わりに受け持つことは問題なかった。けれども、別の人は休んだ人から特段何もフォローされなかったので、次第に仕事をしない人たちに不満を募らせていった。そのうち、その人は仕事をしない人たちの悪口を言い始め、サークル内の雰囲気は険悪になっていった。この件にかぎらず、共同体の維持のために、時に誰かが人並み以上の負担を強いられることがある。その働きが共同体の構成員から認められて感謝されることもあれば、だれからも気づかれず見過ごされることもある。ただ、気づかれないその人の働きのおかげでトラブルが未然に防がれているのだから、実際にはその人の働きが認められ気づかれないことも多いかもしれない。村上春樹はかつてこの種の仕事を雪かきと表現していた。雪の積もった日の夜に誰かが雪かきをしたとする。翌朝、その道を通る人は誰が雪かきをしたのか知らない。名もなきその働きに感謝しながら道を通るだけだし、ラッキーとだけ思って感謝すらしないかもしれない。村上は文化的雪かきを標榜するライターのその矜持を描いていたが、共同体において誰かの矜持に依存することは問題だろう。その人の矜持は長続きしないかもしれないし、その人がいなくなった時途端に困ってしまう。私は雪道を通るときに誰かの雪かきに感謝し、自分も雪かきをいとわない人間でいたい。けれども、共同体における雪かき仕事の偏りという事態にどう対処すればいいのかはよくわからない。
また、共同体において支えあいが実現していたとしても、それが望ましいあり方をしているとは限らない。例えば、私の友人は昔ある慈善団体にボランティアとして参加していた。友人はその組織の中心人物と活動についてよく相談したり、相談に乗ったりしていた。最初のうちは友人は組織運営に携われて幸せそうだった。ところが途中から、相談が長時間化したり、責任が大きすぎる仕事を無理やり任せられたりと、ボランティアにしては負担が大きすぎるようなコミットの仕方を求められるようになっていった。友人は自分の意思とは無関係に、組織運営のための献身が求められたのだ。共同体の維持のために、個人の意思や意向が無視され、支えあいの輪に入ることが強制されたともいえる。
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