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大学院ってどんなとこ?①

 大学院生はどんな生活をしているのか考えるときに、「ひとり」であることを軽視することはできない。今までぼくが「ひとり」でいた経験から考える、ひとりぼっちの院生たちに向けて文章を書きたい。

 大学院が「ひとり」の場所だというのは、個人の研究プロジェクトを遂行し、論文などの形で発表することが求められているから、だけではない。大学院生として生活することには、「ひとり」でいることがつきまとう。就職した友だちは最初の頃は変わらずに付き合っていても、いつのまにか疎遠になる。学部生のころからたいして懐事情が変わらない自分とはちがい、なんだか金遣いも荒く「俗っぽく」なったような友だちを前に、ぼくはすこし戸惑う。しかし、たぶんぼくは彼らの前では幼く見えているのだろう。距離を感じているのがぼく なのか、向こうなのかわからなくなる。

 たまに行くラーメン屋さんでは、学生証を見せると味玉が無料でもらえるけれど、我慢。ぼくは、この年で「学生」であることをなるべく隠しておきたいのだ、と気づく。なんだか麺が喉に詰まる気がする。いそいで店を出ると、大学に入った頃には歩くだけで特別な気持ちになった通りを歩く。このあたりのマンションはめちゃくちゃ高いんだろうなあ、とか、腕を組んで歩く2人組がどのマンションに吸い込まれていくかを予想しながら、肩を縮めて歩く。誰もいない部屋に帰る。電気をつけると、ぼくがいる。狭い道を突き進むことは、横に誰もいなくなることをも意味する。

 外の世界はつらく厳しいが、アカデミアでは必ず誰もがいつかは輝けることが保証されている、というわけでもない。種類が増える 一方のハラスメントは、より弱い立場に置かれることが多い、大学院生を含む若手研究者をさらに追いつめる。幸運にも諸々の問題がない研究空間にいたとしても、大学院生どうしの関係性はやはりぼくたちを「ひとり」にする。助成金や研究費の有無、実家の「太さ」、パートナーの有無など、業績の他にもぼくたちを分断する要素はたくさんある。もちろん、みんないい年した大人なので、表立っていがみ合ったりはしない。ただ、この人には自分の苦しみ、大変な事情はわかってもらえないんだろうな、という人はどんどん増えていく。業績と生活費の獲得が実力と運に大きく依存するぼくたちは、微妙な緊張関係の中を「ひとり」で生きる。インスタを見る。あ、同期がまた1人結婚した。そうかあ。

 やっぱり大学院というのはとんでもなく大変でつらいところなんだ、と思わせるのがぼくの目的ではない。ここまで読んで大学院なんて嫌だなと思った人は、もう少しだけつきあってほしい。ぼくが大学院にいてわかったことは、研究をすることによってぼくはどんどん「ひとり」になってゆくけれど、同時にどんどん「ひとり」じゃなくなっていくということだからだ。

 ぼくは言葉がうまくないので、これについて考えるときによく思い出す情景がある。とある山の上で、冷たく澄んだ空気の中で星を見たときのことだ。首が痛くなるほどずっと上を向いて、銀の粉が散らばったように輝く星を見ていた。そのとき星がいくつ見えていたのかはわからないが、ぼくが地球から見ていたのは、宇宙にある無数の星たちだ。空気は冷たく澄んでいた。専門外なのであまり詳しくないが、何百何千と見える星たちはすぐ隣にあるように見えるが、それぞれとてつもない距離で離れていると子どものころに図鑑で読んだように思う。人類がはじめて月に降り立ったときぼくたちは喜んだらしいが、そんな成功がちゃちなものに思えるほどに宇宙にはたくさんの星があり、多くの星がひとりぼっちだ。あの時地球からかれらを見ていたぼくのように、星たちはずっとずっと長い時間をひとりで過ごしている。もしかしたら、もう存在しない星もたくさんある。

 しかし夜空にひとつしか星が見えないということはあまりない。地球からみれば、ひとりぼっちの星たちは星座をなし、かつては多くの文化で物語を意味していた。星たちが並んでいることでぼくたちは日付や方角、暮らしの教訓を編み出し伝えてきた。宇宙に関する研究をしている人には鼻で笑われるかもしれないが、素人のぼくにはこれが大学院生活や研究生活に似ているように思えてならない。ぼくたちは多かれ少なかれひとりで、毎日先行研究や実験の対象などに向き合っている。がんばって成果を出しても、全然読まれず引用もされない、というのはよくある話だ。ちょっと外をみると、近くで似たようなことをやっている人がより大きく輝いているようにも見える。まぶしい。しかし、多くの研究の可能性は、時間や地理的な制限を超えたところにある。それまでの研究の系譜にどのように位置づけられるのか、国際的な科学や学術の世界にどのように寄与するのかは、ひとつやふたつの研究成果だけを見ていては正確に測ることができない。ぼくたちは研究を続けることで、宇宙的なものの中でひとつの星として存在している。新しく生まれた星たちは北極星にはなれないけれど、別の星からみれば、時間や空間を超えたあらゆる星たちの隣にいて、つながっている。ぼくたちが輝けば輝くほど、ぼくたちはひとりになる。そして、同じように輝く星とつなげられることで、ひとりではなくなり星座を構成するひとつの星になる。

 重ねていうが、ぼくは宇宙に関しても星に関しても専門外の素人だ。未だ多くが謎に包まれている宇宙や星たちを、研究という人間の行為に例えとして落とし込むのはいささか矮小だと批判を受けるかもしれない。ただ、ぼくが伝えたかったのは、夜中に疲れきって研究室から家に帰るときや、夜食を買いに外に出るときに、首の運動がてら上を見てみてほしいということだ。遠く離れたひとりぼっちの院生たちは、実はそれぞれの星のように輝いている、というぼくの考えがヘンテコだったとしても、やっぱり星はきれいだから、たぶん損はしないと思う。

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