支え合いと関係性
「支え合い」とはよく聞く言葉である。ここでは人同士の支え合いを想定すると、支えるには、そして支えられるには他者の存在が必要である。では、「支え合い」が起こる時、その当事者の関係性によって「支え合い」の形が異なるのであろうか。支え合いと当事者間の関係性の「関係」について考察してみることとする。
1.支え合いは一対一の関係か?
1)一対一の支え合いと集団での支え合いの違いは何か
「支え合い」の関係を関係者の人数で分けると、一対一の支え合いと集団での支え合いの2種類あることがわかる。前者は例えば結婚式でよく聞く「これから二人で支え合って生きていきます」といった関係、後者は例えばスポーツチームのインタビューなどで「みんなで支え合って頑張ってここまでこられました」といった関係があるであろう。この二つに違いはあるのであろうか。
違いとして考えられるのは、支える側と支えられる側の同一性である。二人しかいない場合、自分が相手を支え、かつ自分も相手に支えられるという関係となり、いわばgive&takeの関係になっている。そして多くの場合、giveとtakeのバランスが釣り合っているところでうまく支え合いが機能している。しかし、集団の場合はそうとも限らない。AさんがBさんを支え、BさんはCさんを支え、CさんがAさんを支える、といった関係性となる可能性もある。また、集団の中での一対一の関係で支え合いが起こるのではなく、自分以外の多くの人に総合的に支えられ、また自分以外の多くの人を支える、といった場合も考えられる。この場合、集団の中のある二人を取り出してみると、give&takeは釣り合っておらず、集団全体として釣り合う構造になっている。
ここまで暗黙のうちに対等な関係での支え合いを前提としてきたが、特に集団においては上下関係があることも多い。その場合はどうなるのであろうか。次の節で考察することとする。
2)上下関係があるところに支え合いは生まれるか
前節では一対一の関係と集団での支え合いの違いとして、支える側と支えられる側の同一性について考察した。ここでは、集団の多くには上下関係が存在することを踏まえて、そのような関係性がある場合どのような支え合いの形となるのかについて考察する。
上下関係がある場合、前節で述べた支える側と支えられる側の同一性がさらに複雑となる傾向にある。前節で述べたAさんとBさんとCさんの関係では、現在という一瞬においてgive&takeが釣り合っている。しかし、例えば上下関係のある部活動において、下級生の頃は先輩に支えられてばかりであったが、上級生になってその分自分の後輩を支える、といったことはよく見られる光景である。この場合、ある一瞬を抜き出すと、give&takeは釣り合っていないように見える。先輩側が支えるばかりで、逆に後輩側は支えられるばかりとなるからだ。しかし、今の先輩は昔さらにその先輩に支えられていたのであり、今の後輩は数年後にはその後輩を支えることとなる。
このような場合、give&takeのバランスが時を超えて保たれているのであり、そのタイムスパンは比較的長い。もちろん、一対一の関係においても一時的にgive&takeのバランスが偏ることはある。どちらかがしんどい時期はもう一方が支える側に回り、逆もまた然りである。しかし、やはり一対一の場合は支える相手と支えられる相手が同一であるという点は変わらず、集団の時を超えた支え合いとはその点で異なる点がある。
2.支え合いの関係を担保するものは何か
前章では、一対一の関係と集団の関係での支え合いの違いについて考察した。ここでは、その支え合いの関係を何が担保しているのかについて考察を行う。
まず、一対一の場合はgive&takeのバランスが取れている、あるいは長期的に見て取れるだろうという予想が担保となると考えられる。どちらか一方がgiveするばかりの関係は長続きしないことが多いのではないだろうか。(外から見ると一見片方がgiveばかりしているように見えても、実はそのgiveしている側が「giveする」こと自体から満足を受け取っていて(take)、結果的に釣り合っているような場合もある意味バランスが取れている、とここでは考える。)
しかし、集団においては自分がgiveする相手とtakeする相手が異なることも多いため、その担保が難しくなる。自分がgiveしても、takeできるかどうかが見通しにくいからである。その観点から日本においてよく見られる年功序列の上下関係について考えると、ある意味支え合いを機能させるためのシステムと見ることもできる。多くの場合、最初にある集団に入った時(つまり一番後輩な時)、先輩がさまざまな面で支えてくれる、つまり最初にtakeすることになる。すると、takeした分はgiveしなければならないというある種の自然な感覚によって、自分が先輩となった時は後輩に対してgiveすることとなる。
もう一点集団での支え合いを担保するものとして、目的の同一性と帰属意識が考えられる。集団には目的がある場合も多い。部活動や企業などはわかりやすい例である。そのような場合、目的を共有していることでその目標に近づくための支え合いが行われやすくなる。また、集団には多かれ少なかれ帰属意識を感じることが多いので、「仲間だ」という意識が支え合いを促進することもあるであろうと考えられる。
3.関係性の認識によって支え合いは変わるか
ここまで、一対一と集団という関係性の違いによる支え合いの違いについて考察してきた。一対一の関係よりも、集団の関係の方が支え合いのあり方は複雑で、また時を超えた支え合いが起こりやすいが、支え合いを担保するのが少し難しいのではないかという点について述べた。では、関係性の認識が変われば支え合いのあり方は変わるのであろうか。本章では、その観点から社会という広い範囲での支え合いについて考察することとする。
我々は社会の中に生きている。極端なことを言えば、日本に住んでいる私が電車で乗り合わせた他人も、同じ日本社会という「集団」の仲間であり、人類という「集団」の仲間である。そのように考えて日常を見渡してみると、takeを前提としないgiveが実は多く行われていることがわかる。電車で席を譲る、道を尋ねられたら教えてあげる、子供の通学路の安全を近所の大人が見守る、などがその例である。
これらの(電車で席を譲るなどの)行動は、一見一対一の関係において行われているように見える。そして、その二者間におけるgive&takeのバランスが取れていないようにも見える。では、なぜこのような行動が見られるのであろうか。その背景にあるのは、私たちが無意識のうちに感じている、現在giveする相手が同じ社会という集団に生きる仲間だという認識ではないだろうか。その認識があるからこそ、現在giveしたまさにその相手から直接takeすることは望めなくとも、過去あるいは将来において、別の人から自分はtakeした・するであろうと思ってgiveするのである。
以上を踏まえると、ある人との関係を、一対一の個人同士の関係ではなく、同じ社会という集団に生きる仲間のうちの一人だ、と捉えると支え合いが行われやすいのではないかということになる。つまり、関係性に関する認識が変われば支え合い行動は変わる。
近年、社会の支え合いが少なくなった、などと言われることがある。その背景には私たちの関係性に対する認識が変化している点があるのではないだろうか。同じ社会集団に生きる仲間という認識は薄くなり、あくまで自立した個人同士と捉える向きが強まっている。それは一概に悪いことではなく、もちろん良い点も多くあるのであろう。しかし、望むにせよ望まないにせよ、私たちは集団の中での支え合いの中に生まれた瞬間から組み込まれている。子供の頃は気付かぬうちに多くの人に支えられているのであり、自分が気付かぬうちに誰かを支えていることもあり、また老人になっても多くの人に支えられざるを得ないのである。そのことを多くの人が認識しておくことで、社会における支え合いがより起こりやすくなるのではないだろうか。
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