(オマケの「うつ病ドロンパ読本」瓢箪から駒)
2121/12/11-1
(オマケの「うつ病ドロンパ読本」瓢箪から駒)
自分の本名は宇都宮と申しますが、当時は「鬱の宮」と名乗った方がいい様な状態でした。
最初は周りが冗談半分に言っていたのですが、10年を過ぎた頃には「口にするのも憚られる」様な「常態」に深化しておりました。
「うつ病の人には頑張ってと言う言葉が一番言っちゃいけない言葉なんですって」
と言うことで美事なまでに「頑張って使用禁止」が箝口令として敷かれていたそうです。
ところがそれから2年後のある日、突如12年に渡るうつ病が飛散霧消してしまいました。将に「ドロンパ」と。
「ドロンパ」というのはアニメ「オバケのQ太郎」に出てきたアメリカのオバケの名前なのですが、感覚としては「同じオバケながら」見るも恐ろしい「四谷怪談のお岩さん」からアップライトで、周りの事情がどうであれ其れ等を一切意に介せずたちどころにドロンパと消えてなくなる「ドロンパ」君にさも似たるが如く一気に抑うつ状態が消え失せ、周囲の景色も一変した様な感じとでも申しましょうか。
何故「同じオバケながら」と付記をしたかと申しますと、当時はその理由が分からなかったので「訳も分からず兎に角気分だけはすこぶる楽になった」変化が狐につままれたか狸に渡された葉っぱをお札と思い込んでいるだけだったという故事の再現の様に感じられて全く信じられず「自分はまだオバケのままである事には違いはないんだろう」くらいにしか思っていなかったからです。
前置きが長くなりました。
では一体何が起こったのか?
「いい加減嫌になっちゃった」のです。
「もうどうでもいいや。勝手にしてチョ」と「うつ病を治すことをぶん投げてしまった」のです。
「自分なんてどうせたいした奴じゃなかったんだ。もうバカの出来損ないで結構ケッコーコケコッコー」
と言う気持ちになってしまったのです。
要するに諦めて捨てて開き直ってしまった。
そしてあろう事か、幸いにもその頃には既に家族に愛想を尽かされ捨てられていたので、そう開き直っても特に迷惑が掛かる人も居なかったのです。
では何故うつ病が12年間に迄なる程長引いてしまったのか?
そうして開き直りが何故「ドロンパ」の元になったのか?
その辺りを快癒から16年の時を経た今、自分なりの理論で解明してみたいと思います。
まず「何故12年も長引いてしまったのか?」
に対しては
「治療方向が全く正反対であった」
から。
そして
「何故開き直りが特効薬になったのか?」
については
「諦めによって失地回復の為返り咲きを目指す目標迄の「頭上に重くのし掛かる水柱」からの加重圧が消えから」
だと思います。
いずれにせよどの解も将に思考野に存在すらしなかった「瓢箪から駒」の解。
自分ではどうしようもなかった事がこんなにも容易く、
こんな事っておますのかいな?ほんまかいな?
と言う程の予期せぬ偶然の成せる技でした。
次回はその辺を今少し詳細にご説明申し上げたいと思っております。
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