(オマケの英語教室 shame)
2022/3/6
(オマケの英語教室 shame)
Shame on you.
邦訳すれば「恥を知れ」です。
今日某サイトでニュース記事を見ておりましたらプラカードにそう書かれておりました。
或る独裁者の蛮行に対する自国民の抗議のプラカードでした。
自分の経験からすると外国人が「恥」という言葉を使うのをあまり聞いたことがなかったのでちょっと意外な気がしました。
外国人が使う場合の「恥」は、我々日本人にもなじみ深い「シャイ」
例文で言えば
He is shy
(彼は恥ずかしがり屋さんなの)
という意味での「恥」位でしたから。
この場合の「恥」は「恥」というよりも「臆病」とか「引っ込み思案」要するに「臆する」「後ずさりする」という意味合いが強く「名誉」や「外聞」の棄損といったニュアンスは含まれていません。
もし、今回の某独裁者の蛮行を恥ずかしく思っている自国民の気持ち
つまり「自分は恥じている」とか「恥ずかしく感じる」という意味の「恥ずかしい」をいいたければ
I feel ashamed
とか
I`m ashamed
になります。
しかしどうもこの「恥」の(或いは恥に対する)感覚が日本人と外国人ではかなりの違いがあるように感じます。
外国では「恥」という言葉は滅多なことでは出てきません。非常に稀です。出てきたとすればよっぽどの場合です。今回の某独裁者の蛮行時のような場合だけです。
(特に「恥」という言葉を自己肯定感の強い外国人のメンタル構造からすると「自分に向けること」は本当に少ないのです)
しかしわが国では行住坐臥、一挙手一投足にこの「恥の感覚」或いは「恥(恥ずかしい行為)のチェックという目線」がほぼ日常的に、どぎつい言い方をすればほぼ「恒常的監視レベル」でついて回っているような気もします。
(そしてそれは、人がチェックしているというより、自分自身が他人目線に成り代わって常に自分が自分を見張っている(チェックしている)というのが実態のような気もします)
自分は以前に12年間に及ぶうつ病罹患経験をしましたが、今思うと
「この日本人特有の「恥と外聞」「未完に対するほぼ罪意識同レベルの縛り」が如何にその回復を遅らせていたか」
を感じます。
実際に回復軌道に乗るにあたっては何のことはない、この
「恥と外聞を捨てる」
即ち
「恥も外聞もありゃしねぇ。そんなの知った事か。何とでも思ってくれ」
と他人目線と、自分自身が抱えていたチェック目線に対して開き直った途端、物凄く気が楽になり、1か月もたたないうちに12年に渡って蓄積され「もうどうにもならない」と思われていた「抑うつ状態」が悲惨霧消してしまいましたから。
No need feeling ashamed, no need monitoring my own style by other`s eye.
Get away!!
Let you think(=regard to)!! As you like.
That`s all.
注)
ここでのyouにはothers(他人様)の他にmy own monitoring eye(自分自身の監視の目)も含まれております。