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川端康成『朝雲』を読んだはなし

文:wisteria
本稿は令和元年5月刊行の『Liliest vol.2』に収録された記事の再録版となります。あらかじめご承知おきください。

1. はじめに

 こんにちは。代表のwisteriaです。今回はターゲットを私と同じ初心者の方に絞って、軽く最近読んだ作品を紹介するという形で失礼させていただこうと思います。ということで本稿は、『朝雲』を文学的な側面から論ずる文章ではありませんし、百合文化の文脈の中に位置付けようという記事でも、他の川端康成作品と比較しその特殊性を明らかにしようとするものでもありません。
 百合小説については一家言ある、川端作品のことなら受けて立つと、タイトルを見て腕まくりをしたみなさまはどうぞ本稿は読み飛ばしていただいて、他の執筆者様による骨太記事をご堪能いただければと思います。
 本を読む習慣を遥か昔に失い、新聞も読まない、果ては漫画さえ最近は読むのに体力を使うという、最近の若者の活字離れトレンドを先頭に立って牽引する大学生が、頑張って川端康成の短編を読んだというおはなしです。

2. きっかけ

 柄にもなく小説らしい小説を読もうと思ったきっかけは、久しぶりに訪れた近所の図書館で見つけた本でした。図書館は図書館で、本屋とはまた違った楽しさがありますよね。大学のではなく区立の図書館に行くのはずいぶん久しぶりで、思わず目についた本を手当たり次第借りてしまったのですが、その中の一冊が国書刊行会『書物の王国 10 同性愛』でした。実は少し前にX(旧Twitter)で見かけて気になっていたシリーズで、全20巻の豊富なラインナップの中でも『架空の街』や『夢』、『分身』などは面白そうです。
 さて、なにせ普段文学作品など読まない人間なので(坊ちゃんくらいしか読んだことない)、なにから読めば良いのかわかりません。とりあえず一番馴染みのある作家から読んでいこう、ということで開いたのが川端康成の『朝雲』でした。

3.  『朝雲』をよむ

 『朝雲』は、女学校の先生に憧れる生徒の話です。
時代は戦前、舞台は高等女学校。今でいうところの高校にあたります。当時女学校に通えたのは中産階級以上の生まれでかつ優秀な子女、いわゆるエリート層の才媛のみに限られました。
 ストーリーは「私」によるお嬢様らしい美しい文章で語られます。地の文で「私」は想いを寄せる先生を終始「あの方」と呼びます。時代がかった、しかしわざとらしくない言葉遣いが情緒を感じさせます。 
 でも良く考えると、川端康成がこの作品を執筆したときは当然戦前ですから、特別気取った言い回しで書かれているわけでもないんですよね。むしろ当時に立てばごく普通の書き言葉です。戦前の言葉遣いがリアルタイムで文字に起こされて、今我々がそれを読むことができるってすごいと思いませんか?
 別にすごくないですね。
 閑話休題。本人の瑞々しい言葉で綴られる「私」の心模様は、実に作品を印象付けます。しかし同時に、うやうやしい言葉遣いがどこか本心を隠すようにも感じられます。語りを担当しているはずの主人公が何を考えているのかわからない、時代も立場も違って、実感がわかない。こうして傍観者の立場に置かれることで、登場人物ふたりだけの世界が完成され、かえって作品に没入させてくれるような気がします。
 さて、物語の内容はというと、ひたすら「私」がそっけない「先生」に恋焦がれるというお話。3年生のとき国語の教師として赴任してきた「先生」に、「私」は強い憧れを抱きます。しかし当然その想いは彼女にとって秘めておく他なく、「私」が卒業しその後学校を辞めた「先生」が街を離れるまでが描かれます。
 踊りの練習をしていて、汗をお拭きなさいとハンカチを貸してもらったとき、雨に降られ寄宿舎まで傘に入れてもらったとき、肩に手を置かれ一緒に縄跳びを跳んだとき、授業で指名されたとき……。そんな些細な出来事にも「私」の心は大きく揺れ動き、時に涙を流します。当時の学生から見た先生という存在は実に近くて遠いものだったでしょう、抑えきれない、伝えるわけにもいかない想いに揺さぶられる心模様が描かれ、読んでいて大変もどかしい気持ちになります。最高ですね。
 本当ならなにかもう少しありがたいインプリケーションのある文章かもしれませんが、私にはわかりません。余計なことを考えて理屈をこねまわしているうちに、自分の感性が鈍る気がします。脳みそを停止させて百合を享受したいですね。

4. さいごに

 古風な言い回しの地の文も、役割語を駆使したようなセリフも、情緒あふれるじつに味わい深いものですが、読みづらいということはありません。『伊豆の踊り子』などを読んでもわかるように、とても読みやすい文章です。夏目漱石のように突然意味のわからない当て字をしたり、小栗虫太郎のように無理やり日本語にカタカナのフリガナを振ることもありません。 
 短編なのも読みやすくて助かりました。しばらく本を読んでいないと、長編小説が最後まで読めなくなります。途中で飽きてどこまで読んだかわからなくなったり、まとまった時間が取れなくてつながりがわからなくなったりするんですよね。がっつり読みたいわけではないけど、ちょっと暇を潰したいというとき、たまに昔買った短編集を引っ張り出してきたりします。
 そんなわけで、短くて読みやすくて濃厚な『朝雲』、私のような活字に馴染みのない方にこそオススメしたい作品でした。
 単行本の『朝雲』(新潮社、1946)のほか、冒頭で紹介した『書物の王国10 同性愛』(国書刊行会、1989)、『川端康成全集第7巻』(新潮社、1981)などに収録されています。お近くの図書館にもどれか一つは所蔵されていると思いますので、是非読んでみてください。



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