空き家改修ことはじめ
2021年。地域おこし協力隊に着任して2年目の夏から秋にかけて1軒の空き家を改修した。
思えば、2019年3月。地域おこし協力隊へ応募したときから空き家を改修したいと強く願ってきた。改修を終えてようやく一つの足がかりが見えてきたと感じている。ここには空き家を見つけてから改修を終えるまでの奔走と苦悩、そして喜びの記録を残していくとする。
1.改修できる空き家が見つかった
それは青天の霹靂だった。とてもとてもお世話になっている市職員の方から一本の電話。
「大家さんが貸してもいいっていいよらすけん、見に行ってみませんか?」
昨年9月からこっち、探せども探せども見つからなかった空き家。いや、正しくは、空き家はたくさんある。しかし、貸主の都合やこちらの都合でうまくマッチングできず、活用できそうな空き家には辿り着かなかった。半ば心折れかけていたそのときに差した光。
しかもそこは、以前からいいなと思っていた古びたタバコ屋だったのだ。
ついに見つかった!
空き家を探してくれた市職員の方と共にシャッターを開け、電気をつけるとそこは。
物、もの、モノ・・・かつて商品だったモノたちがひしめき合い、足の踏み場もなかった。いつの時代のものとも知れない何かがたくさん。店の正面のシャッターは閉まったままで、ここだけ昭和から時が止まっているようなそんな感覚。虫など怖いものがいないかドキドキしながらものをかき分け進むと奥には4畳ほどのスペースが。そこにうすぼんやりと浮かぶ光が見える。
たばこをはじめ、駄菓子、クリーニング、写真現像など幅広く商いをやっており、開店から40年、まちのみんなのなじみの店だったこのお店。シャッターは閉まってしまったが、たばこ販売口の出窓から差す光が私の背中を押してくれた。
「こんなに素敵な出窓があるから大丈夫。
きっといい場所になる。」
そう確信し、この空き家を改修することに決めた。
2.捨てる捨てる捨てる!
改修することに決めてからは早かった。不動産会社を通さず契約することにしたので、市職員と知恵を絞りながら自前で契約書を作成し、契約。そして、いよいよ改修に取り掛かる。はずだった。でもその前にやらねばならないことがある。そう、足の踏み場もない空き家を空っぽにすること。
梅雨も明けて夏本番に差し掛かった7月中旬に片付けをはじめた。昭和レトロなおもちゃやミニ四駆のパーツなどお宝(これらは古物商に買取を依頼)も発掘される一方で、賞味期限の切れた食べ物やネズミの死骸など見るのも辛いものもあった。夏場の力仕事、年季の入ったゴミに心折れそうだったが同僚隊員や市職員に協力や励ましもあり、無我夢中で捨てた。どんどん捨てた。気づけば2.4トン以上のゴミを捨てていた。こうして空き家を空っぽにすることができた。
3.いざ改修へ、でも…
さあ、いよいよ改修!というところで、空っぽになった空き家を目の前に私は途方に暮れていた。大事なことを忘れていたからだ。リノベで当然起きる事態。
「想定していたのと違う」
ゴミの片付け期間と並行して空き家の設計をはじめていた。ゴミがあっても空き家の平面(間取り)は分かるので、現状の図面を引いて、この空間をどう変更していくか考えていた。その中で決めていたことは2つ。
1.元々ある2つの土間スペースを繋げる。
2.イベントなどでも使える広い空間にして集う場所を作る。
ところがいざ片付けてみると、壁の下に基礎の立ち上がりがある。そうじゃん!普通基礎あるじゃん!なんで想定していなかったのか私!
基礎が立ち上がっていると、壁を抜いたところで2つの土間のスペースは分かれているままだ。解体できないこともないが、構造上の不安と予算の問題から難しい。どうしたもんか。
そもそも。この建物で一番重要なのは何か。それは、「集える場」を作ること。それであれば、土間にこだわる必要はないはず。靴を脱いで、床の上で集まってもらえばいい。「集うための広い場所」こそがこの建物の目指すものだ。そう思いなおして、土間だった部分に新たに床を作っていく設計へと変更した。
他にもたくさん想定外(想定はしていたけれど、頭を悩ませる事態)はたくさんあった。筋交が入っていたこと、柱が抜けないこと、床が思った以上にナナメになっていたこと、トイレが汲み取り式だったこと(!)などなどこんなはずじゃなかったことは解体を進めてみるとたくさん見えてきた。その都度どうやって改修していくかを大工の夫と相談しながら全体をまとめていった。
また、想定外だったのは設計だけではない。私の体力も想定外だった。設計はしてきたとはいえ、工事のコツも知らず体力もないズブの素人。解体作業では抜けない釘がたくさんあった。古釘はさびていて頭だけが取れるなんて知らなかった。モルタル壁を下からたたき壊していて途中で壁が全部落ちてきた。など失敗の連続。途中で当初2週間程度で解体を終えるはずが、1か月以上かかってしまった。
解体が終われば、いよいよ改修工事本番。床は大工に組んでもらうので、ひとまず保留。まずは壁を塗ることから始めた。
4.塗る塗る塗る!
さあ改修の始まりだ!壁をペンキで塗るぞ!と意気込んで塗り始めた私にまたしても試練が訪れる。今回、予算の関係で壁は元の壁材にペンキを塗ることにしていたのだが、なんせ、部屋が違えばそれぞれの部屋の壁の材料も違う。プリント合板、パーティクルボード、構造用合板に砂壁。壁の材料が違えば、ペンキの乗り方も違う。
まず初めにパーティクルボード(木の細かいくずを固めたようなもの)から塗り始めたが、塗っても塗っても色がつかない。ペンキが吸い込まれて行ってしまう。3回くらい塗ってようやく色がついた。が、塗った後に調べると、を塗るとペンキの吸い込みがなくなるシーラーという下地材が必要だという。
「先に調べればよかったーーーーーー」
反省を生かし、次の壁材からはきちんと調べて適切に塗っていった。
塗装は市職員の方も手伝ってくれた。漆喰を塗ったりペンキを塗ったり、普段の業務ではなかなか見られない姿が新鮮であった。背の高い男手があることが何より心強かった。
思い返せばこの工事のほとんどは塗装工事であった。壁、床、家具ありとあらゆるものをありとあらゆる材料で塗りつくしていった。元の空間にあったモノたちも、色を塗ってあげるだけで新たな息吹を感じる。
色が変われば空間の雰囲気はガラッと変わる。そんなことを身をもって実感した。
5.波乱の床工事
そのほとんどをプロに任せた床工事。これが一番苦戦したものだ。なんせ建物が歪んでいる。床は斜めで、柱も傾いている。そんな中、新たに床を作り、しかも元の建物で畳の部屋だったところの高さと揃えたい。なかなかの難問である。だが、その希望に見事寄り添ってくれた。さすがプロである。
元の建物の高さを一切信用せず、レーザー水平器で割り出した基準点をもとに高さを決め、基準との差がどれくらいかを計算しながら場所ごとの寸法を割り出していた。そして細かく刻まれた数字は一つとして同じではなく、同じ建物の中で50mmほどに開きがあったという。
丁寧な仕事のおかげで、水平な広い床を作ることができた。大工様様である。
6.終わりが見えてきて
床以外にも電気工事はプロにお願いした。これは資格がないと工事できないからである。蛍光灯のトラフ照明からダクトレール式のスポットライトに変更して、様々な用途に対応できるようにした。
床、壁、天井、照明がだんだんできてくると建物がまた息を吹き返したように見えてくる。家具を入れ、掃除をし、小物を置くと新たな姿がそこにはあった。ここまでたどり着けたのは、周りの方々の多大なるご尽力の賜物だとひしひしと感じている。
大家さんに交渉してくださった方、上司に掛け合ってくださった方、片付けを手伝ってくださった方、ごみ捨ての方法を調べてくださった方、職人さんを紹介してくださった方、ペンキや漆喰を塗ってくださった方、床を作ってくださった方、襖を張ってくださった方、最後の掃除を手伝ってくださった方、皆様のお力添えでこの建物ができました。本当にほんとうにありがとうございました。ここはきっといい場所になります。
7.さいごに
工事をしていると、まちの人が様子をのぞいては
「あんばあちゃんはどがんしとらすと?
元気ね?」
と皆が口をそろえて訪ねていく。40年間店を守り、まちを見守ってきた大家さんは本当に偉大だ。かつてはまちの人々の日常であったこの建物は地元小学生定番の駄菓子屋でもあった。今回の改修後オープン前のテストイベントに地元小学生向けのeスポーツ体験会を行った。子どもたちの楽しそうな笑顔が、建物のかつての面影を見せてくれて、空き家改修の醍醐味を味わった気がした。
私が空き家改修で一番大切にしたいのは
記憶を引き継ぐこと、
そして新たな息吹をもたらすこと
大家さんが長いあいだかけて作り上げてきた店の記憶を守りながら、新たな試みをこの場所で始めていこうと思う。
もう少しこまごました改修は続くが、まずはひと段落ということで「ことはじめ」を書き散らかした。これからの活動もここに書き散らしていくとする。