愛着と出会う小屋
気づけばずっとそこにあった小屋。いつごろ建ったのかも定かではなく、おおよそ80歳くらいらしい。農作業小屋として建てられたこの建築には、はじめは馬がいたという。馬がトラクターに変わり、自動車が置かれ、そして今は家具を作る機械が所狭しと並んでいる。
受け継がれてきたこの小屋で、家具職人夫妻による冒険のような改修が今まさに行われているところ。
宇土市緑川地区。農業盛んな田園地帯のとある集落にその小屋はある。農家にはよく見られる何の変哲もない小屋。1階は出荷作業場所や米の乾燥部屋、2階は物置として長年使われてきた。建設当初はこの中で馬が飼われていた部屋もあったという。田植えの時期に並んだ苗床に水を撒く風景がたいへん美しかったと夫・徹さんは語る。徹さんはこの地で生まれ育ち、祖父母や父母が行う出荷作業をよく覗きにいった幼少期の思い出があるそうだ。
実はこの小屋が元々建てられた場所と現在の建っている場所は違う。同じ敷地内ではあるが、35年ほど前に曳家(ひきや)(*)で移動させたというから驚きだ。母屋(家族が暮らす家)を立て直すときに、小屋と母屋の配置を使いやすく整えたそうだ。
(曳家(ひきや):建物をそのままの状態で持ち上げて移動させること)
曳家をするくらいだから、家族のあたりまえの営みがたくさん詰まっていたこの小屋への愛着が相当あったに違いない。
そんな小屋が改修されることになったきっかけは、妻・美香さんがとある風景を目にしたこと。それは徹さんの大叔父さんとその知人たちが集い、ゴザを敷き竹細工を編んでいる光景だった。もともとアンティークなど古いモノが好きだった美香さんは、小屋の佇まいをかっこいいと思っていた。さらに仲間と集うために使われていたことにとても感銘を受けたという。
一方で、驚いたことに、徹さんは、中古などの古いモノにはあまり興味がなかったという。しかし、県外でヴィンテージ家具の修復や販売を手がける仕事をしている中で、何十年も前に作られたものが大切にされている世界と出会った。それは現在家具を作る上で大事にしている価値観に出会った瞬間でもあった。生活の中で大切に手入れをされながら使われていく家具。自分たちが作る家具もそんな使い方、愛され方をして欲しいと思ったそうだ。
古く大切にされてきたモノを受け継ぐという心を合わせた2人は、ときに竹細工の仲間に加わり小屋への可能性を感じながら過ごしていた。
そしてついに、家具職人として独立するなら熊本で、そしてこの場所でという思いから、愛着のあるこの小屋を工房として自分たちで改修していくことを決めた。
しかし、改修し始めた矢先、熊本地震に襲われる。幸い、筋交(*)を入れ、壁を合板で固めていた(*)ことから倒壊は免れたが、残したかった瓦や土壁はボロボロに落ち、そのまま使うことは難しくなってしまった。
(筋交(すじかい):柱と柱の間に入れる斜めの補強材。これを入れることで地震や防風に耐える力が強くなる)
(合板で固める:構造用合板も地震や防風に対して筋交いと同じような働きをする)
それでも、もともとあった材料はできるだけ残したり、再利用した。一方で建設当時では主流でなかった新しい材料(ガルバリウム鋼板*など)も取り入れ、新しく生まれ変わらせた部分もある。それぞれの材料がうまく混じり合ったり、引き立てあったりしながら調和している。
(ガルバリウム鋼板:鋼にアルミニウム・亜鉛合金のメッキを施したもの。さびにくく、建物の外壁や屋根の材料に用いられる)
今この瞬間も改修は続いていて、ゆくゆくは暮らしながら魅せるショールームとしてお披露目される予定だ。
出来上がりつつある全体像は、どこか懐かしく、それでいて新しい予感でいっぱいのワクワクしてくる空間となっている。
次回からは改修のお話を。
ヴィンテージ家具の修繕をしていたときに徹さんが出会ったとある椅子。小学校で使われていたという椅子の座面の裏には、たくさんの落書きとともに噛んだガムがべったりついていた。そのとき、こどもというのはどの国でも一緒なんだなとフッと笑みがこぼれたそうだ。
古いモノに宿った暮らしの痕跡に思いを馳せ、使い手のクセや思い入れを引継ぐことできっとモノへの愛着は増す。同じように新しいモノも、暮らしに根差し手を入れながら使うことが次なるヴィンテージを生み出すこととなるに違いない。
この小屋は”愛着”という付加価値を共通点に、新旧さまざまなモノたちが出会う場所なのだ。