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【小説】 釣りの苦さと惚気の甘さとの狭間で苦しみながら

 2010年夏、僕はとんでもない砂漠の中を1人で歩いていた。周りには黄金色の砂が広がっていた。昼間はただひたすらに歩き続けた。歩きたくはなかった。しかし歩かないと僕の体はどんどん砂の下に沈み込んでしまうのだ。ときどき前方に理想の自分が歩いているのが見え、僕は力をふりしぼり早歩きして追いかけるのだが、彼はどんどん遠ざかっていき、しまいに僕はそれが蜃気楼であることを悟った。他にも見慣れた人たちが前方へ現れると、僕はそのたびに叫んで助けを求めようとした。しかし、声を出そうとしても出せなかった。僕の喉は極度に乾燥して張り付いており、舌は硬直して動かせなかった。走ろうとしても栄養の足りていない僕には到底不可能だった。
 やがて夜になり、僕は寝る場所を見つける。黒い大理石だ。この上なら寝ている間に僕の体が砂の下へと埋葬されてしまうことはない。僕は黒くてひんやりとした大理石の上に横たわり、満天の星を眺める。
僕は今、どこにいるのだろう。
僕はどこから来て、今どこにいて、どこへ行こうとしているのだろう。
僕はどこでもない場所から誰かに助けを求めていた。
しばらくして僕は思考をやめ、自分の一切を睡眠に託す。そして翌朝起き、服についたお情け程度の露を舐め、再び歩き出した。
 あれから12年が経ち、僕はあの頃の自分では想像し得ないような遠い場所へと歩いてきてしまったようだ。あの霧のように霞んだ青春を振り返ろうと思い、僕はノートパソコンを開き、膝に青い目をした黒猫を乗せ、ひたすらに甘くて温かいコーヒーを啜りながらこの文章を書き始める。

 僕は東京都の北部、埼玉県民に植民地と呼ばれるような地域で生まれ育った。祖父母は僕が2、3歳の時に亡くなり、僕と両親は同じような家が立ち並ぶ新興住宅地で暮らしていた。僕が小学2年生になったころ、両親は喧嘩をするようになった。その始まりは些細なものだった。母と父は家事を分担していたが、ある日の夕飯後、母は父に対して、洗った後のお皿の置き方が汚すぎて朝になっても乾いていないことがあるときつく言った。父は逆上し、たった今自らが洗ったお皿を全て床に叩きつけて割り、そこから母と父の地獄の口論が始まった。それから約1年間両親はほぼ毎日喧嘩していたが、ある日父が母に手を出してしまった。母と父は別居し、僕は母と2人、小さなアパートで暮らすようになった。僕が小学6年生に上がるころには2人は離婚してしまった。
 母は教育熱心な人だったが、いささかそのベクトルを誤っていた。僕は小学校のテストで満点やそれに近い点数を毎回取っていたが、母は「もう少し字くらい丁寧に書けないわけ?」と怒り出し、その後も数時間にわたって僕の愚痴を呟き続けることがあった。僕が何か賞を取っても、母は「まあ私が協力したからね(これは確かに事実だったが当時の僕は納得いかなかった)」と言い、決して僕を褒めることはなかった。僕はときどき反抗したが、僕の一言の文句につき、母は少なくとも数時間は僕に対する小言を言い続け、それでも僕がずっと反抗していると平手打ちをして僕を黙らせた。遊びに関しても厳しかった。小学校高学年になると同級生はだんだんと公園だけでなく金のかかる施設でも遊ぶようになっていた。しかし、そのような施設での遊びに誘われた旨を話すと、母は「ただでさえ生活が苦しいのに、あんたの遊びのために金をドブに捨てるわけにはいかないよ」と怒り出すのが常だった。このような素晴らしい教育により、僕は中学校に上がるころには、頭はとびっきり良く、少し吃るが明るく人と話すこともできるものの、心の奥底でどうしようもない暗さを抱えた立派な人間に成り下がった。
 中学生で反抗期を迎えると、僕は父も母のことも恨みだし、彼らの遺伝子を継ぐ自分自身のことも恨みだした。そして僕はある一つの思想めいたものを抱えるようになった。それは「自分は遺伝子を残すべき人間ではない」という考えだった。僕は人と付き合ってはいけない、なぜならかつて父が母に対してしたように、僕もその人のことを傷つけてしまうかもしれないから。ましてや結婚なんてしてはいけないし、子孫を残すことはもっとダメだ。今思えば明らかに論理の飛躍した危険思想だったが、僕はその思想の殻に自分自身を閉じ込めてしまった。高校生になると、母はいちいち僕の遊びになど干渉してこなかったが、僕の中ですでに母は内面化されてしまい、遊びに対して興味すら持てなくなっていた。
 僕の中で唯一の居場所は学校だった、しかしその中でも孤独感を覚える瞬間があった。小中高と学校の同級生とは仲が良く、クラス委員を何度も務めるなど、僕は確かに優等生的な立ち位置だった。しかし、彼らとプライベートで遊ぶことは全くなかった。僕は休み時間、「この前のボウリング楽しかったよな」などと話すグループに混じりニコニコしながら話を聞いていたが、自分はいったい何をしているのだろうとばかり思っていた。同級生は各自プライベートでも友情を深めていくのに、僕は学校生活の中だけで彼らと友情を深めるしかなかった。いつもなんとなく同級生と僕との間にはガラス板が一枚挟まっているような気がして孤独感を抱いていた。もちろんそれでも同級生といるだけで十分すぎるくらい僕は癒されたのだが。僕はかの母親の素晴らしい教育のおかげで、成績はかなり良かった。東大の文科一類志望だったが、結局受験前最後の模試までA判定を貫き通した。周りの友もお前が受からなかったら世界は近いうちに滅びるだろうねと言うほどだった。そして僕は自信満々に東大の文科一類を受験し、見事に落ちた。
 合格発表後に親戚と集まって食事をすることになったが、そのとき親戚の1人が僕にこう尋ねた。
「あなた、父親には感謝してるの?浪人の費用も少し出してもらうんでしょう?」
へ?感謝?僕にはなぜ父親が金を出すだけで感謝しなければならないのか本当にわからなかった。金は免罪符なりや?暴力という罪悪と、それが母と僕の精神状態、家庭に与えた負の影響は、たかが当たり前の(浪人は当たり前ではないが当時の自分はそう思っていた)養育費を出しただけで水に流されるものなのか?僕はその親戚の声に金銭の匂いを検知し、嫌悪感を抱いた。そのままその親戚はそれまでに仕事場で出会った使えない東大卒の話をした。その場の空気がひんやりしたのが僕にとって唯一の救いだった。
 友の予言通り、僕の中で世界は滅びた。毛布のように柔らかい春の日差しは僕の肌をヤスリで削るように痛め付け、月はただのっぺりとした座標平面上の円、星はただの消しカスにしか見えなくなった。合格者を祝う桜は、誰かがほぐした後そのまま放置して腐らせたササミと化し、僕はその腐臭に耐えられなかった。
 やがて僕は予備校に通い出し、予備校が自分の居場所となっていった。大して勉強はしていなかったが、周りの友に「なんでお前が落ちたんだ」と不思議がられるほどには僕は学力が高かった。模試も現役時より断然順位が高かった。しかし、こうして勉強ができるようになればなるほど、かえって僕は自分が勉強以外何もできない人間であることを痛感した。来年の合格発表日は2011年3月10日。その日僕は笑っているだろうか、その後に明るい未来は待っているだろうか。どうしても1年後の自分、それから先の未来の自分の姿が想像できなかった。

 やがて僕は予備校で人生初ともいえる恋をすることとなった。相手は同じクラスの女性だった。甘くて少しザラザラしたすりガラスのような声で、かなり陽気な女性だった。それでいて模試の順位は全国でもかなりの上位に食い込む猛者でもあった。しかし、ときどき彼女は悲しそうな表情をし、そこに僕は惹かれてしまった。彼女のことを想うだけで世界はその色を取り戻した。僕はこの感情に抗うことができなかった。まるでブラックホールのようだった。彼女はその中心部にいて、僕は彼女の周りをぐるぐる回り、なんとか遠心力でそこから抜け出そうと試みていたが、だんだんと自分が中心部に近づいてきていることを悟った。僕は彼女と話したことは1回しかなかった。授業中後ろの席の彼女にプリントを手渡すときに、彼女に「ありがとう」と言われ、僕が「ど、どうも」と返しただけ。そもそもこれを会話のうちに含めて良いのかどうかすら怪しかった。しかし、とうとうある日、僕は勢いのままに「こ、今度の休日、僕とランチでもどうですか」と彼女を誘った。人を遊びに誘ったのは人生で初めてだった、しかも初めて誘った相手が好きな人。僕はかなり勇気を出したと思う。僕と話したことなんてほとんどなかったのに彼女は誘いを断らなかった。僕らはどこで食べるか決め、食後に一緒に勉強も少ししようと約束した。
高揚感に溺れながら家に帰ってきた僕は、後悔に襲われた。僕の心の中にいる悪魔は僕にこう言った。
「お前は一生人を愛すことなどできない。お前は一枚皮を剥げば腐肉だ。今後彼女と付き合うことができたとしても彼女を傷つけることになるだけだ、なぜならお前は父の遺伝子を継いでいるのだから。そもそもお前は自分自身すら愛せていないんだ、それなのにどうして他人を愛することができよう。」
当時の僕はこの言葉を否定できなかった。僕は深刻化させまいと思っていたのに、自分から人類初の月面着陸並みの大きな一歩を踏み出してしまったわけだ、そのブラックホールの中心部は未知の世界なのに。とはいえ僕は自分から誘い出したのにその約束を断るなどという愚行を犯したくなかった。そのまま数日が経ち、彼女とのランチまであと3日となったとき、叔父が僕を釣りへと誘い出した。

 朝4時に車で家まで迎えに行くよと叔父に言われたので、僕は朝3時に起きて身支度を始めた。朝3時の世界はとても静かだった、冷蔵庫の唸る音だけがやけに大きく聞こえた。みんなこの世界からいなくなってしまったのではないかと僕は思った。僕は身支度を終え、家の前の道路の縁石に腰を下ろして車を待った。車は4時過ぎに来た。車には叔父と当時中学1年生だった従兄弟が乗っていて、従兄弟は後部座席のライトをつけ、分厚い小説を読んでいた。僕も後部座席に座り、車は死んだ街へと出発した。
 車は人気のない街路を抜け、やがて首都高速道路を走り始めた。僕らの他に走っている車といえば、無機質で無人なのではないかと疑われるような暗くて大きなトラックばかりで、遠くに林立するマンションは非常灯だけが灯され、そもそも非常灯すらついていないマンションもあった。殺風景だった。この暗闇の中で数百万の人間が生活していることを僕は不思議に思った。途中、僕らが横を通り過ぎた建設中の東京スカイツリーなどは、この世界が滅びた後の廃墟のように見えた。
しかし、従兄弟は本を読むのをやめ、綺麗と言いながら叔父のデジタルカメラで夜景を撮り始めたので僕はびっくりしてしまった。彼の無垢な感性が将来汚されませんように、と僕は願った。
 朝5時すぎに僕らは釣り場の駐車場へと到着した。ここには死んだ街から生きた人間がたくさん避難してきているようだった。みんな釣り道具の準備や家族との談笑を楽しんでいた。5時半からチケット販売が開始される。それまで少し時間があるため従兄弟は再び本を読み始めた。僕も何か読もうと思い、リュックに放置していた英単語帳を開いたがまるで頭に入らなかった。やがて5時半になり、僕は結局2ページほどしか復習できなかった英単語帳をリュックへ押し込み、叔父が買ってきてくれたチケットを握りしめて釣り場へと向かった。
 釣り場は沖まで伸びたL字形の桟橋だった。僕らは釣る場所を確保し釣る準備をし、6時ごろから釣りを始めた。波は少し荒れていて、鉛色の雲が空を覆っていた。ときどき霧雨が降り、海へと静かに吸収されていった。
 東京湾に面したこの釣り場はイワシやアジ、サバ、シーバスなどが釣れるということだったが、僕はこんなにもイワシがたくさん釣れるとは思っていなかった。
 僕はそのときサビキ釣りをしていた。サビキとは餌に似た小さなサビキ針を何個も連ねた仕掛けのことで、この仕掛けの上、または下に寄せ餌となるアミエビの入ったカゴを付け、水中でサオを上下に動かすことで餌を拡散し、針に魚を食いつかせる。僕は真下へとサオを下ろしていく。すると数秒もしないうちにイワシの食いつく感触が手に伝わる。30秒ほどして僕はサオを引き上げる、すると数匹のイワシが針に引っ付いている。僕は丁寧にイワシたちを針から外し、水を汲んだバケツの中へと入れる。これを機械的に何回も繰り返していくうちに僕は飽きてしまった。もう少し”釣りがい”というものがあってもいいじゃないか。まさかと思い、僕はアミエビの入ったカゴを取り外し、針と重りだけ付いたサオを水中に放り込んでみた。するとまたもや数秒もしないうちにイワシの食いつく感触が手に伝わり、僕はうんざりしながらサオを引き上げるのだった。いっぺんに4匹のイワシを釣り上げたが、よく見るとそのうちの2匹は針に食いついているのではなく、泳いでいる間に背中が針に引っかかってしまったようだった。僕は可愛らしいドジなイワシたちを針から外し、バケツの中に入れた。
バケツの中にはもう相当数のイワシがいた。まだ生きているイワシはバケツの上部で泳ぎ、すでに息絶えたイワシたちは底の方で横になって沈んでいた。泳ぐイワシの背中はスーパーマーケットで見るものとは異なり濃い緑色に光っていた。剥がれた鱗が銀色に輝きながら水中を漂っていた。僕はこのバケツの中に入って、上を見上げてみたいと思った。
僕の頭上にはまるで白雲母のように光るイワシの鱗が漂い、
もっと上では生きたイワシがまるで天使のようにゆったりと円を描いて飛び、
その白い腹は光を反射して虹色に光っている。
そして下を見ると、
すでに息絶えたイワシたちが一斉にこちらを見ている。
デジャブ、かつ未来予想図。
 僕は不吉な予感がしたのでサビキ釣りをやめ、泳がせ釣りに移行した。僕はバケツの中からイワシを1匹取り出し、その鼻に針を引っ掛けて海へとサオを投げた。だが、何も釣れない。30分ほど経って僕はサオを引き上げる。するとそこにはすでに息絶えた、かつて生き餌だったイワシが引っ付いている。僕は何回か泳がせ釣りをし、数匹のイワシを犠牲としたが結局無意味な結果に終わった。
僕は元気に生きているイワシの鼻に針を引っ掛けサオを海へと投入する。
イワシは解放されたと思って海の中で泳ごうとする。
が、サオと繋がっているため自由には泳げない。
イワシは次第に元気を失い、周りで自由に泳ぐイワシたちを眺めながら息絶える。
僕が気が付いたころにはすでにイワシは息絶えている。
デジャブ、かつ未来予想図。
 どうやら僕はどのような道を辿っても近いうちにある1つの運命へと収斂されていく身らしい。そう気付いて僕は身震いした。
 昼になり、僕は売店でどん兵衛のきつねうどんとアイスコーヒーを買った。従兄弟は普段親に禁止されているカップ麺を食べることができて心底幸せそうだった。美味しそうにスープを飲む従兄弟のツルツルした頬を見ながら、僕はニキビ跡の残った自分の頬をさすった。それから少し塩辛い熱々のスープを飲み、海の苦さに惚気の甘さを一滴垂らしたアイスコーヒーを啜った。
 午後になり少し晴れ間が見えてきたが、イワシすらもパッタリ釣れなくなってしまった。僕は泳がせ釣りを続けたが釣れる気配はなかったので椅子に腰を下ろした。実に牧歌的な午後だった。周りの人たちも次々に諦めて昼寝を始めたり、ぼんやりと海を眺めたりしていた。彼らは何を考えているのだろう、と僕は思った。やはり愛する人のことだろうか?僕は3日後に控えた好きな人とのランチで何を話そうか考えた。僕には世間の人が遊んでいる最中にどのような話をしているのかわからなかった。ずっと予備校の話をしているわけにもいかないのだ。僕は下手したら好きな天気について、とかいうくだらない話題を提供することになりそうだった。
「き、きみの好きな天気は何?」
「私はやっぱり晴れが好きかな。あなたはどの天気が好きなの?」
「ぼ、僕?僕は夏に降る雪が好きかな」
絶望。やっぱり僕に人は愛せないのではないか。
そうだ、趣味について話してみたらどうだろう。
「そ、そういえばきみの趣味について聞いてなかった」
「私の趣味は読書かな。でも古い本は全然読めないから最近話題になった本ばっかり読んでる。あなたはどんな本を読むの?」
「ほ、本?僕は全然読まないな…」
「じゃあどんなことが趣味なの?」
「ぼ、盆栽いじりだよ。(リュックから写真を取り出しながら)ほ、ほら、この写真を見てよ。僕はこの木の幹の力強い曲線が好きなんだ、美しいと思わない?」
どうしよう、と僕は思った。
そしてとりあえず現実から目を背けるために仮眠をとることにした。
 
 パパ〜、と言いながら眠そうな娘が僕の部屋に入ってきた。僕はノートパソコンを閉じ、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干してから娘を抱きかかえ、布団へと連れて行った。娘が寝入ったのを確認してから僕は彼女のおでこにキスをし、彼女の隣で寝ている妻の頬にもキスをして自分の部屋へと戻った。椅子に座ると、黒猫が僕の部屋から出たそうにドアをカリカリと爪で引っ掻き始めたので僕はドアを開けてやった。そして僕はもう一度椅子に座り、休憩がてらスマホでネットニュースを読み始めた。
 「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」
この記事に付いた尋常ではないコメント数を見て僕は察し、記事を読んだ。僕には学歴と経験のどちらが良いかの判断はつかなかった。しかし、1つだけ言えることがある。僕が青春時代に経験した精神的克服は、僕の人生の中で非常に重要な1つの成果であり、この記事を書いた年若いエリート男性には決して経験できないし、決して金で買えるものでもない。しかしこれは履歴書に書けることではないし、仮に書いたとしても社会では決して評価されないのだ。
 僕はその記事を書いた男性のほほえむ顔を見た。心なしか、バケツの上部でゆったりと泳ぐイワシを思い出した。
 僕は他にもいくつかネット記事を読み、その記事に対しての先鋭化したコメントたちも読んだ。そしてうんざりしたのでノートパソコンを開き、再び黴臭くなりつつある喜劇を執筆し始めた。ラストスパートだ。
 
 「起きて、起きて」と従兄弟の声が聞こえ僕はハッと目を覚ました。目の前の自分のサオが、イワシのかかったときよりも大きくしなっていた。空は完全に晴れ切っていた。先ほどまで寝ていた僕は眩しさで目がくらみながらも、冷静にサオを握り、リールを巻いた。心臓の鼓動が早まる。思ったよりもこの見知らぬ生き物の引っ張る力は強く、サオは右へ左へと動いた。
しかし、僕は釣り上げた。
その見知らぬ生き物はドテッと桟橋へと釣り上げられた。
 かなり大物のアジだった。僕は放心状態になり、そのアジを眺めていた。アジは桟橋の上で暴れていた。アジを眺めているうちに、まるで波が引いていくように周りの音もどこかへ行ってしまい、僕はアジと自分しかこの世界にいないような錯覚にとらわれた。
アジは相変わらず暴れていた。
バタバタ、バタバタ、バタバタ……。
この小さな体から、はち切れんばかりの生のエネルギー。
こんな小さな魚なのに。
僕は自分自身を恥じた。
僕はイワシよりも弱く、アジと違って人生に参ってしまっていたのだ。
熱烈に人を愛したい、僕はそう思った。
人を愛してみたい、世界中の氷河が全て溶けてしまうくらいに。
僕は人類初の火星着陸並みの大きな一歩をここで踏み出した。
人に愛されたい、認められたい、それまでそう思ってきた。
しかし、今まさに僕はコペルニクス的転回を遂げたカントよろしく、人に愛されたいという思いから、人を愛したいという思いに転回したのだ。
僕は死から逃走し、それでも追ってくる死と闘争し、愛へと奔走しよう。
僕にとって死の対義語は生ではない。
遺伝が何だというのだ?
話す話題がないから何だというのだ?
夏に降る雪が好きで何か悪いか?
盆栽いじりが趣味で何か悪いか?
うまく話せなくてもいい、話す話題がなくなってしまってもいい。
僕がすべきことは彼女とずっと話し続けることではなく、ありったけの誠意を彼女に見せることだ。
これが独りよがりな愛であることはわかっている。
でも、僕が前を向くためには、”この一本の道しか”残されていないのだ。

 やがて「早くバケツに入れないと死んじゃうよ」という従兄弟の声が聞こえ、僕は我に返った。僕はまだまだ暴れるそのアジを、イワシの入ったバケツとは違う大きなバケツへと入れた。アジは水しぶきをあげてバケツの中で元気に泳ぎ回った。

 僕は再びサオを先ほどよりも沖へと垂らした。明日はもっとサオを沖まで投げよう、と僕は思った。明日がダメなら明後日だ。明後日はもっと、もっと沖にサオを投げよう。こうして毎日だんだんと飛距離を伸ばしていくのだ。
 僕らはこうして毎日毎日釣りを続けていく。日々何が釣れるかわからない恐怖感と期待感に身を任せ、釣れた魚に対して、時に耐え難いほどの絶望を感じ、時に代え難いほどの歓喜を覚え身をよじらせながらも。
 


 
 

 

 


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