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「ドイツ史」ではない歴史―衣笠太朗『旧ドイツ領全史』感想 (part 1)

衣笠太朗『旧ドイツ領全史』(パブリブ、2020年)について、ヨーロッパ史・ロシア史を専攻するメンバーのエッセイを2回に分けてお届けします。第1弾の今回は、とくに近現代に注目して、「ドイツ史ではない」旧ドイツ領の歴史について考えてみます。


 衣笠太朗『旧ドイツ領全史』(パブリブ、2020年)を読みました。ドイツ史に明るくない私のような読者であっても読みやすいような工夫が随所に施されている!カラーページが充実していて現地に行きたい気持ちがかきたてられる!!図版はさらに充実している!!! など、その魅力を挙げていけばきりがありません。しかしこうした点についてはすでにSNS等で多くの方が感想を書かれているので、私は自分の関心にひきつけて感想を書きたいと思います。

 以下特記がない場合、「p. ○」という表記は『旧ドイツ領全史』の該当ページを指しています。

 「はじめに」で読者に提示されるのは、この本を通してドイツやポーランド、デンマークなどの「それぞれの『国民史』を境界地域の側から眺めてみる」(p. 5)ことから見いだせるものは何か?という非常に重たい宿題(?)です。ここでは、「国民史」という枠組みを乗り越えようとしてきた近年の歴史学の成果を踏まえながら、この問いについて考えてみたいと思います。

1. 国民史とはなにか

 そもそも「国民史」とはなんのことでしょうか?本書では「現在の国民国家を構成している『国民』(英語ではnation)を主たる参照軸にして歴史を描こうとする営み」(p. 3)という簡潔かつ明瞭な定義が提示されています。また、抽象度のレベルで腑分けして、①「ある領土、国家、民族の国民的な過去における『偉業』」 ②「『国民的なもの』(the ”national”)が歴史叙述において最重要の次元であるとみなされ」、地域史やヨーロッパ史、階級史やジェンダー史といった他の空間的・非空間的歴史から差別化されているような歴史表象 ③「ある国のある時期における『歴史文化』の基礎となる筋書き」の3つを「国民史」と定義する研究者もいます(Berger and Conrad 2015, pp. 1-2)。

 近代歴史学の成立が国民国家の成立と連動していた(遅塚 2010, p. 100)ことを考えると、このような叙述が歴史学の基本的な枠組みとして成長したこと自体は必然的なことだったとも思えます。しかし、現代のかたちでの「国民」という集団意識や自己規定が近代以降に「つくられた」ものである以上、この概念を固定的なものとみなして無批判にあらゆる地域・時代に適用するのはあまりにも不正確で無理があります。歴史学では今日まで、この「国民史」という枠組みを乗り越えようとする試みが多々行われてきました。
 では、「境界地域」たる旧ドイツ領の側から「国民史」を眺めてみると、何が見えるのでしょうか。


2. 「国民」をつくる

 ひとつには、「国民」が近代に「つくられた」カテゴリであるという構築性がより明らかになるということがいえるでしょう。

 本書でとりあげられる地域はいずれも、近代には「国民」づくりの最中にあった人びとによって、「この地域の住民を『ドイツ人』にする」こと、すなわち「ドイツ化」や、あるいは「ポーランド化」、「フランス化」などなどを目的とするさまざまな労力がつぎこまれた場でもありました。そういった歴史をもつ地域について中世から現代までの通史を知り、「多層的で複雑な背景をもつ諸地域が、ある『国民』の領土へとつくりかえられていく」という具体的な事例にふれることで、「国民」という集団はけっして所与のものではないということがありありとわかります。

 しかし、「国民史」にとらわれない歴史の見方を考えるためには、単に「境界地域の歴史を知る」だけでは不十分かもしれません。「その地域がいかにドイツ/ポーランド…になったか」を描こうとすると、「ドイツ」「ポーランド」といった国民国家のゴールへ向かって収束するような叙述になってしまい、結局は「国民史」を乗り越えることにはならないという落とし穴に陥る可能性もあります。

 この本では「旧ドイツ領」という、「かつてドイツだったことがあるものの、今はドイツではない」という共通要素で様々な地域をくくっています。このことは、「いかにドイツではなくなったのか」という点へ読者の注意を引き付け、「国民」という概念に留まらない歴史のとらえ方への視点を広げる可能性をひらいているのではないでしょうか。

3. 地域住民のアイデンティティ

 地域史が「国民史」の枠組みを乗り越えるもうひとつの可能性は、それぞれの地域の歴史の多層性とともに、それに基礎づけられたその地域固有のアイデンティティを描き出すことにあるでしょう。
 旧ドイツ領各地において、地域住民が自らの独自性を主張する動きは、第一次世界大戦後のアルザスの住民がフランス復帰時に自らの地域の「文化や言語の特殊性」の維持を期待したこと(p. 402)、オーバーシュレージエンでの独立運動(pp. 246-247)、ベルギー領となったオイペン・マルメディ周辺地域におけるドイツ語共同体の成立(pp. 437-439)などに表れています。

(個人的にはとくに、オーバーシュレージエンの現地住民が、ドイツへの帰属でもなくポーランドへの帰属でもない第3の道を選びたいと願ったときに「オーバーシュレージエン人」の存在を主張したこと……すなわち「民族」というカテゴリを利用したことは非常に興味深いです。聖職者や大工業家がより広い階層の支持をとりつけるために有効だったからか、第一次世界大戦後において国際的に「一人前の」発言力をもつためには「民族」たることが必要だったからか、あるいはほかの理由があるのか……?)

4. 「地域住民」とは誰なのか?


 しかしその一方で、ここでいう「地域住民」にあたる人びともまた激しく入れ替わっていることにも注意が必要です。
 単に住民の世代が入れ替わったということではありません。たとえばアルザス・ロレーヌでは、エルザス=ロートリンゲンとしてドイツに併合されてから約四半世紀のうちにおよそ29万人が国外に移住し、その埋め合わせにドイツから20万人がこの地域に移住してきたこと(p. 395)、反対に第一次世界大戦後にアルザス・ロレーヌが再度フランス領になった際には、「ドイツ人」とカテゴライズされた人びとが強制移住の対象になったこと(pp. 401-402)などからわかるように、この地域では多様で重層的な背景や自己規定を持ちながらも「ある民族に帰属するか否か」という単純なカテゴリを強制され、それによって処遇を左右された人びとがいました。

 旧ドイツ東部領土に目を向ければ、ナチ・ドイツのもとでは、ポーランド人住民に対する殺害や強制収容所への連行、またユダヤ人の殲滅を企図するホロコーストによって膨大な人命が奪われました。また、第二次世界大戦末期および戦後のドイツ人の避難や「追放」においても人的・物的に少なからぬ犠牲が払われ、彼らが立ち去ったあとにはポーランド系住民が、ソ連に割譲された旧ポーランド東部領などから「送還」されてきました。これらの一連の人の移動によって、旧ドイツ東部領土の地域の住民構成は激変しました(pp. 137-139, 181-185, 234-238, 284, 322-325)。(※)

※これらの事件は、それによって「立ち去る」ことを強いられた人びとが移動した先にもきわめて大きな影響を及ぼしました。東欧各地から「追放」されたドイツ系住民が東西ドイツにおいて直面した困難や、ホロコーストを生き延びたユダヤ人が多く移住したイスラエル/パレスチナでのたび重なる紛争や暴力、パレスチナ人に対する重大な人権侵害を想起すれば、その深刻さは明らかでしょう。

 もちろん、上に列挙した住民の「入れ替わり」あるいは「不在」は、それぞれ時期や背景、方法が大きく異なっているほか、地域によっても事情は異なっているため、軽々しく同列に論じることはけっしてできません。それぞれの事例については、個々の特殊性に十分に注意する必要があります。


 しかしその一方で地域の住民構成が大規模に、ときには非常に暴力的な方法で組み替えられる現象は、旧ドイツ領に限ったできごとではありませんでした。第一次世界大戦後のギリシャ・トルコ間の住民交換や、インド・パキスタンの分離独立に伴う難民発生と虐殺なども、類似の現象として考えられるでしょう。こうしたできごとは、国民国家をつくるというプロジェクトのひずみが極端な形で表出したものだとも考えられます。こうした痛ましい歴史を抱えることになった地域にとっては、その土地からすでにいなくなってしまった住民が織りなしてきた豊穣な歴史をどのようにアイデンティティの中に取り込んでいけるのか?ということも課題になるかもしれません。


5. 「地域」をつくる

 この点を考えるときには、このnoteでここまで注釈なしに用いてきた「地域」という語についてもふれる必要があります。これまで簡単に「地域のアイデンティティ」などと書いてきましたが、ある「地域」がどこからどこまでを含むかという概念や、その「地域」が有するアイデンティティもまた、所与のものではありません。UT-humanitas会報準備号の座談会記録から引用すれば、地域とは「所与のものとしてそこにあるというよりは、構築され、発見され、作り上げられるという側面」をもつものなのです。この本における「旧ドイツ領」という言葉自体の使用や地名の表記に関する慎重な留保(p. 5)も、この点に関わっているでしょう。

 たとえば、第二次世界大戦後にポーランド領となったシロンスクへ、ルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)からのポーランド系住民の移住とともに大量の書籍や文化財が運び込まれたこと(p. 238)などは、この地域を「ドイツから取り戻した」土地(回復領)とみなし、ポーランドの一部につくりかえるという強い意志を感じさせます。しかし、かつてこの土地がボヘミア王国に服属したり、ハプスブルク家の支配下におかれたり、プロイセンやドイツの一部であったりしたという歴史や、この土地で組織的に殺害されたり、この土地から立ち去ることを強いられた人びとが紡いできた歴史が消えるわけではありません。本書冒頭のカラーページでの観光地紹介が「複雑怪奇な歴史の迷宮への入り口」(p. 6)と化していることからもわかるように、それらの歴史もまた、現在の街の一部として目に見える形で刻み込まれています。 地域を「構築する」ときには、必然的にそうした歴史とも向き合う必要があるでしょう。


 ここまで述べてきた感想は非常にざっくりとした類型化も含んでおり、重要な要素が多々零れ落ちてしまっているでしょう。また、本書が提示している論点からは外れてしまっているかもしれません。ですが、「旧ドイツ領」への理解が深まることはもちろんながら、さらに広がった問いにも思わずひきつけられてしまうほど、興味深いテーマにみちた書籍でした。

 この本が書店に並ぶときは、きっと「ドイツ史」の棚に並ぶのだと思います。しかしこの本は、けっして「ドイツ史」ではくくれない歴史についての思索へと読者を導いてくれる本なのではないかと思いました。




参照した文献
遅塚忠躬(2010)『史学概論』東京大学出版会。
Berger, S. & Conrad, C. (2015). The Past as History: National Identity and Historical Consciousness in Modern Europe. Palgrave Macmillan UK.

(文責:M.U.)


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