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くちなしや奇譚~小棹と洗蔵~第4話「禁断」

小棹さんがそんな悪夢に悩まされていたとは・・・

今こそ、俺も秘密を語らねばなるまいか・・・


嘉永6年(1853年)にペリーが来航して「黒船」に衝撃を受けてからおよそ2年が過ぎた頃、月形洗蔵は28歳で小堀繁と結婚した。
24歳の嫁を迎えたのに新婚気分を味わう暇もなく、安政3年(1856年)10月には宗像郡大島に駐在する定番(じょうばん) を命ぜられた。
大島は福岡で一番大きな島ではあるが、神湊こうのみなとから船で渡らねばならない。洗蔵にとっては事実上の左遷である。



洗蔵の独白


「家老の立花弾正殿をあれだけ批判して辞めさせようとしたのだからな。厄介払いされてもしょんなかたい。
それでん、尊皇攘夷のために、筑前藩が藩政改革するよう意見するのはやめんけど」

大島定番の役目を任せられて悶々としながら日々を送る洗蔵の前に、見知らぬ女が現れた。まるで公家の女官のような装束をまとっており、島の者ではないことはすぐに分かった。物静かながら「沖ノ島」に連れていけと大胆なことをいう。

日本最古の神社の一つとされる宗像大社は、本土にある総社「辺津宮」と大島にある「中津宮」そして、さらに離れた沖ノ島にある「沖津宮」の三宮からなる。なかでも沖ノ島は断崖絶壁に囲まれた「神宿る島」とされる無人島だ。宗像大社沖津宮の神職以外は島に上がれない。一般男性も原則として入島を禁じられており、特に女人禁制の場として知られる。

江戸幕末期の当時、もちろん沖ノ島の厳しい禁忌があり、女が入ろうなどとは無茶な話しである。

だが、洗蔵は公家風の女から「頼みましたよ」と言われて首を横に振れなかった。断るという選択肢は許されないように思えたからだ。


宗像大社の総社である辺津宮には「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」、大島の中津宮には「湍津姫神(タギツヒメ)」、沖ノ島の沖津宮には「田心姫神(タゴリヒメ)」が祀られており、宗像三女神(むなかたさんじょしん)と呼ばれる。

神代から書き始められ8世紀初頭にまとめられた『古事記』や『日本書紀』をもとにした解釈によると、宗像三女神はアマテラス大神とスサノオ尊の誓約から生まれたとの説が有力だ。なかでも市杵島姫神は七福神の弁財天と重ねて見られることもあり、一番の美人とされる。また、湍津姫神を祀る中津宮は七夕伝説発祥の地といわれる。


洗蔵はどうしたものかしばし悩んだ。大島で顔見知りになった漁師に、なんとか沖ノ島まで船を出せないか頼んだところ、かぶりを振られた。地元の者ならば祟りを怖れて、近づくことすら嫌がるのも当然だろう。無理を言って船を出させても、後で村八分にされては気の毒だ。そこで他言はしない約束で船だけでも貸してもらうわけにはいかないかと説得して、駄賃をはずんでなんとか話を付けた。

公家風の女は翌日やって来たが、一方的に沖ノ島に渡る日取りを伝えてすぐ去った。

未知への船出

約束の日、洗蔵の浮かぬ心と対照的に空は日本晴れだった。

岩場に隠していた船を乗りやすい浜辺まで動かしていると、公家風のあの女がやって来た。しかも仲間を連れて・・・。

「大儀でした」

洗蔵の顔さえまともに見ることもなく社交辞令を述べた女は、連れの二人に全身全霊で礼を尽くしていた。

「ささ、こちらへ。お足元は少々濡れますがご勘弁ください」

かしこまって船に案内する姿はやはり女官を思わせた。

洗蔵としては、苦労して船を用意したのにないがしろにされて、よい気持ちはしない。しかし女の所作が只ならぬ様子だったので、そんなことよりも連れてきた二人の正体が気になって仕方がない。

「粗相のないように、十分気をつけて船を出しなさい」

女に言われるまま櫓をゆっくりと漕いだ。

ようやく気持ちが落ち着いて、目を合わさないようにちらりと見たところ、二人の装束は公家風な女とずいぶん違うことに気づいた。

洗蔵も福岡城に登城したときに、豪華な装束を目にしたことはある。

しかし、二人がまとった生地と色彩の着物はこれまで見たこともない。その感覚は「豪華」などという言葉では表現できないものだ。派手すぎないが明るい気持ちになり、見ているだけで心地よささえ覚える。

何より、二人はその素晴らしい装束が霞んでしまうほどに美しかったのである。

「天女」

洗蔵は黄表紙で見たことのある羽衣を着たその姿を思い出した。

公家風な女に初めて出会ったときも、これまでに感じたことのない気品に圧倒されて逆らうことさえできなかった。

ところが、天女のような二人はそれとは別次元の存在感を放っていた。まさに天から舞い降りたのではないかと思うしかない。

そんな洗蔵の動揺など波の音に紛れてしまうらしい。三人は洗蔵など居ないかのように、自分たちの話に夢中だった。

「中津宮でもっとゆるりと過ごしたかったのう」

「急かすようになってしまい、申し訳ございませぬ。天気が崩れぬうちにと思いましたもので」

「よいよい。おかげで天照らすごとき輝く海を渡り、沖ノ島を訪ねることができるのだから」

「ほほほほ。上手いことをいう」

三人の話し声が風に流されるなか、洗蔵はふと我に返った。そう、もうじき禁断の島に着くはずなのだ。しかも女人禁制の沖ノ島に。

長い間櫓をこぎ続けても洗蔵は疲れを感じなかった。船に並んで泳ぐイルカの群れや、頭上を舞うカモメたちに励まされたからかもしれない。

だが、これまで体験したことのない未知の力が自分を誘っているように思えた。それが「天女」の力かどうかは、まだ確信がもてなかった。

夢か現か

断崖絶壁が荒波に削られているようにしか映らない沖ノ島も、近づけば上陸できる浜辺があった。


三人が船から降りたあと、洗蔵が流されないように船を移動していると、あらぬ方向から女の声が響いた。

「よう来られた」

洗蔵が声の主を探したところ、同じく高貴そうな女が浜辺を歩いて近づいてくるではないか。

「イチキもタギツも相変わらず麗しいのう。息災で何よりじゃ」

「タゴリ姉さんこそ、一段と輝きを増したようですね。ますます天照らすに近づかれたのでは」

「ほほぅ。イチキからそのように言われると悪い気はしないものぞ。ほほほ」

ふわふわとしたようで、よく通る澄んだ声だ。

洗蔵は会話に耳を傾けるうちに「まさかとは思うが、宗像三女神ということなのか」と察して、頭の中を整理しようとした。

もしそうだとすれば、天女のように思えたことも腑に落ちる。

そんな洗蔵の混乱をよそに会話は弾んだ。

「沖ノ島にこうやって揃ったのはいつだったか」

「壇ノ浦の合戦を見守ったのは覚えております」

「ならば、関ケ原のときもここから天を通して見ておったではないか」

洗蔵は我が耳を疑いながら、やがて鳥肌が立つほど感動した。

「なんということか。俺は今、神々のおしゃべりを聞いているのだ」

すると、それまで傍らで見ていた公家風の女が三人に歩み寄り、何やら話しかけて頭を下げた。

「ああ、そうじゃった。わかっておる。そなたの願い叶えてしんぜよう」

タゴリヒメと思われる声がそう答えると、女は深々と礼をしてから、こちらへ向かって歩き出した。

公家風の女は洗蔵のところまでやって来て、身を引き締めるように息を吐いた。そして真剣な眼差しで伝えたのである。

「今から起きることを決して見てはなりませぬ。もし禁を破って覗き見たら、そなたの目が潰れても知りませんよ」

女はそう告げると、洗蔵の頭から一枚の布を被せた。

ここからは洗蔵の脳裏に焼き付いた光景になる。

三姉妹は波に濡れるのを気にするでもなく海の中に歩を進めながら、順番に装束をするりと脱いでいく。

タゴリヒメが美しい肩を見せれば、続いてタギツヒメが透き通るような背中を出し、イチキシマヒメもくびれた腰を露わにした。

三姉妹の一糸まとわぬ姿は海の水面に反射した光に輝く。

滑らかでつやつやした腕と白魚のような指を気持ちよさげに伸ばし、その身を天に捧げるかのように広げた。

豊かな胸の膨らみは全てを包み込むような谷間を作り、太ももはどこまでも白く柔らかくて吸い込まれそうだ。

やがて三姉妹は、同じく装束を脱いで裸体となった女を囲むように丸くなると、ゆっくり回り出した。女は円の真ん中でしゃがみ込んで祈っている。

儀式のような状態がしばし続くと、むくむくと海面が浮き上がって童が現れた。女は咄嗟にその童を抱きしめるとボロボロと涙をこぼした。どうやら願いが叶ったようだ。

童はまだ幼く、何が起きたか分からないようだった。つぶらな瞳できょろきょろする様子に、三姉妹も「かわいらしいこと」と頬を緩めた・・・。

覚醒と異変

「だんな!だんな!」

洗蔵は誰かに声を掛けられて目を覚ました。

船を貸してくれた漁師が、大島の海岸に打ち上げられた船の中で気を失っていた洗蔵を見つけたらしい。

「夢だったのか・・・」

洗蔵はまだ朦朧とした頭で沖ノ島の出来事を回想した。

「だろうな、あのようなことが起きるはずがない」

そう自戒したものの、やはり納得できない。漁師に頼み込んで船を借りたのは事実なのだ。

しかも翌日になってある異変に気づいた。洗蔵は公家風な女の忠告を思い出した。


「今から起きることを決して見てはなりませぬ・・・」


洗蔵の懺悔

小棹と雅楽に、数年前に沖ノ島で体験したことをかいつまんで語った洗蔵。

「小棹さんが夢のことを打ち明けたけん、拙者も今ならば話せると思った」

神がかった出来事だけに小棹も雅楽も驚きを隠せない。

しかし本当の懺悔はそれからだった。

「見たんだよ俺は。見るなと言われて布まで被せられたのに。見てしもうたったい」

あの時、公家風の女は「もし覗き見たら、目が潰れても知りません」と釘を刺した。

それを破ったことは武士として恥ずべきことだ。そのうえ、洗蔵が見たのはこの世のものとは思えぬ美しい裸体による不思議な儀式だった。それが、色香に惑わされたように思え、禁を破った自分を責め続けてきたのだ。

洗蔵はとうとう全てを打ち明けた。

「目は潰れんかった。でも、魂が見えるようになったんだ」

小棹と雅楽が息を呑むのが分かった。


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第一話「予感」 小棹の胸騒ぎ

第二話「出会」 侍の正体

第三話「告白」 離縁の真相

第四話「禁断」 洗蔵の独白

第五話「梁山泊」 山梔窩での密談

第六話「落武者」 謎の祠での死闘

第七話「怨霊」 按察使局伊勢とカラス

関連作品

『神官と秀才、幕末の京に散る ~真木和泉、久坂玄瑞の絆~』


※画像は『イラストAC』より「さすらい 作者:歩夢」および『フォトACより「宗像 沖ノ島(世界遺産)作者:shin2525」』。


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