神官と秀才、幕末の京に散る ~真木和泉、久坂玄瑞の絆~ 第5話 妻たち
第5話 久坂玄瑞の妻・文、真木和泉の妻・睦子はその後…
久坂玄瑞に京の愛人発覚
志半ばで自刃した久坂も無念だったろうが、文どのの心中は察するに余りある。思えば松陰先生が俺との縁談を考えていると知り、久坂の方がふさわしいと仕向けたのだからなぁ…責任を感じるぜ。
京から戻った文どのが先日やってきた。
「高杉さんは知っておられたのですか? 夫が京に女を囲っていたことを」
久坂は島原の芸妓と恋仲だと聞いていたが、まさか京で文どのに会うとは。久坂は18歳で15歳の文どのを娶ったが、国事に奔走する日々が続きともに過ごすことも少なく京で恋におちる気持ちもわからんではない。
しかしそんなことを文どのに言えるもんか。俺も自分じゃ女心を心得とるつもりだったが、こればかりは松陰先生の妹君と松下村塾の盟友のことだけに立場を考えると胸が痛む。
「辰路と申しておりました。久坂との間に男児が生まれたそうです」
文どのは凛として打ち明けた。
「辰路さんは久坂が天王山に向かう前に訪ねてきながら会えず、最期の別れができなかったことを悔やんでおりました」
「わたくしは久坂の子を引き取って育てることにいたします」
久坂と文どのは養子縁組したばかりだが、京で夫を弔ったことから発覚した出来事に運命を感じて跡取りにしようと覚悟を決めたのではないか。
そういえば「天王山で亡くなられた真木和泉どのたち17人の志士にも手を合わせてまいりました」とも話していたな…和泉さんの夫人はどうしておられるのだろう。
「うば桜」と詠まれた睦子の美人伝説
かつて小浜温泉の旅で「力士と芸妓」に見られたのは真木和泉が26歳、妻の睦子が35歳頃のことだった。
和泉は筑後・水田村の山梔窩でおよそ10年におよぶ蟄居生活を送り、文久2年(1862年)2月に上京するため睦子に訣別を告げた。睦子は49歳から60歳頃まで別居したうえに会うことはほとんどなく禁門の変で夫を亡くすこととなる。
四男の菊四郎は禁門の変を生き延びるが慶応元年(1865年)に暗殺されてしまう。和泉の母・中村柳子は明治元年(1868年)に80歳で他界した。
睦子は病を患い喀血することがあったため、和泉は度々手紙をしたためて気遣っていた。「くすりざけ」を勧めて飲み方をこまかく説明しており、そうした甲斐があってか睦子は明治の世まで生きた。
女盛りを過ぎても美しさや色気が残っている女性をたとえた「うば桜」を「桜馬場」に掛けた狂歌で、睦子は60代半ばを過ぎてなお佳麗であったことがうかがわれる。
補足・まだまだ逸話あり
久坂玄瑞が「七卿落ち」に同行して三条実美たち公家が庶民に変装するため履き替える草鞋(わらじ)を見て落涙したことから「湿草鞋」(しめわらじ)と呼ばれた。
真木和泉が禁門の変勃発前に天王山に入り陣を敷く際、駐屯していた大和国(奈良県大和郡山市)・郡山藩に挨拶して「配下に不埒な振る舞いがあれば直ちに取り締まる」ことを約束したという。すると郡山藩側が「陣中見舞い」だと漬け物3樽を贈ってきたため、長州藩側も酒3樽を届けて返礼したと言い伝えられている。
また和泉が率いる清側義軍は鷹司邸に籠城していて劣勢となり、天王山に退却する道すがら京の人々が湯や茶を出してねぎらったが、兵士の中には柄杓を放り投げて先を急ぐ者もいた。和泉は自ら柄杓を拾いながら兵士たちに柄杓は洗って桶に添えておくよう注意したという。
天王山で自害した真木和泉ら17名の墓標は地元民たちから「残念さん」と呼ばれて参拝するものが多く、幕府側はそれが気に入らず墓を暴いたとされる。その後、明治新政府により「十七烈士墓表碑」が建てられて慰霊された。ちなみに長州藩士・山本文之助は禁門の変で敗れて帰国する途中、尼崎藩に捕らえられて「残念、残念」と言いながら自害したことから墓所は「残念さんの墓」として知られる。
あとがき(久留米水天宮・真木神社など)
久留米市近郊に住む筆者が、司馬遼太郎氏の代表作『竜馬がゆく』に何度も登場することから気になって久留米水天宮に足を運んだのは20年ほど前だろうか。境内に「真木和泉守保臣」の立派な銅像を見つけて地元に居ながら偉人の存在を知らぬことを恥じたものである。先日、執筆に当たり久しぶりに水天宮を訪れて真木神社にも参拝してきた。
真木神社にある石碑には「真木和泉守保臣は長州の久坂玄瑞と相謀りて禁門の変を起こし…」と山崎天王山の顛末が彫られている。
水田天満宮と山梔窩(さんしか)|筑後市
「恋の神様」恋木神社が人気の筑後市・水田天満宮近くに福岡県指定文化財史跡・山梔窩がある。当時、真木和泉はここで地元の子どもたちを集めて読み書きを教えたり講義したというから「松下村塾」を彷彿とさせる。
茅葺き屋根の小屋を再現して中には真木和泉守の肖像画や自筆の水墨画などを展示してある。
付近には「筑後市和泉」という地名があり、お隣のみやま市瀬高町では真木天満神社が建ち「真木南」の信号が見られる。
第1話 神官、風雲を前に美人妻と長崎・小浜温泉を旅する
第2話 真木和泉、薩摩で西郷隆盛に会えず上京 寺田屋騒動で収容される
第3話 和泉、勝海舟に会い坂本龍馬を知る
第4話 禁門の変。そして選んだ道
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画像は『写真AC「タイトル:京都 舞妓さん(作者: ゆるまるさん)」』、『写真AC「タイトル:松下村塾(作者: artworks_nさん)」』、『写真AC「タイトル:桜(作者: 来弥さん)」』および『写真AC「タイトル:草鞋(作者: HiC)」』より
主要参考文献
『真木和泉守遺文』(大正2年5月:真木保臣先生顕彰会/代表者 有馬秀雄)
『人物叢書新装版 真木和泉』(昭和48年1月:著者 山口宗之)
『明治ニュース辞典』(1983年 株式会社毎日コミュニケーションズ発行)
『三人の志士に愛された女 吉田松陰の妹』(2014年12月 幻冬舎:著者 原口泉)
『図説 吉田松陰 幕末維新の変革者たち』(2015年1月 河出書房新社:著者 木村幸比古)
『竜馬がゆく』(1976年3月第1刷 文藝春秋:著者 司馬遼太郎)
『人物事典風雲伝|禁門の変とは~蛤御門の変の経緯などの詳細版』
『蛤御門の変・番外 敗走の長州、追う新選組…「幕末の天王山」の意外な結末 (園田和洋)|産経WEST 2013.12.15 07:00 関西歴史事件簿』