学習障害児とピアノ
学習障害児はピアノにむかない?
学習障害・・・という名前には大いに抵抗がありますが・・・、
私のhpのブログに「LDはピアノに向かない」という検索で引っかかってこられた方がいて、先生でしょうか、保護者の方でしょうか、どなたかは分からないのですが、これは私なりにこちらお応えしておきたいなと思います。
結論から言えば、ピアノというのはみんな簡単に習いに来られますが、実は大変難しい技術を要するもので、LD、AD HDでなくとも、本当にものにできる人は、なかなかいないというのが、ほんとのところです。
そういう点からいうと、学習障害でなくても、「ピアノに向かない」ひとはたくさんいます。(そういえば、ピアノに向かない、という検索もよく見かけます)
というか、誰しも、ピアノを弾くという行為に至るときには必ず身体の抵抗にあうもので、それの程度の差、というふうに、私は捉えています。LDが抱えている問題は、LDだけのもんだいではない、と。
でも、じゃあ、こんなふうに角度をかえてみたらどうでしょう
「LD児に音楽は必要か」
問いの質が、がらりとかわるはずです。
音楽は誰にでも必要なもの
LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、自閉のスペクトラムに入れられるアスペルガー症候群、などの傾向を示す生徒はたくさんいます。うちはかなり多いと思います。
私はこんな風に考えています。
LD,ADHD、アスペルガーといった、一般的には心の領域の問題のように思われている症状ですが、これは身体に由来するものだと私は思っています。あるいは身体と意識との間の違和によって引き起こされる問題のように思われます。
(ちょっと話はそれますが・・・身体の問題、ということでいえば本能なんかもそうで、これについても一度ちゃんと考えたいなあと思っています)
それとは別で、人はだれでも高い意識をもっていて、そこにおいては、どんな障害もありえない深い智慧を持っている。そして、人は基本的にそこで、向上心を持っているし、そして、だれもが音楽を慕っている。(独善的かなとおもうけれど、私はそういう立場、音楽を教える人なので、そこを信頼することが必須だと思うのですね)
ほんとはみんな、音楽を体験したいと思っている、と思うのです。
ピアノを弾く、ということは技術的な向上とか、出来栄えとか、そういうことだけじゃなくて、「音楽体験」をする、という大切な場でもあるわけです。
そういう観点から、そういった生徒たちと向き合う時に、こちらがなにをもって「おんがく」というのか、何を教えるのか、それをかんがえてみる必要があると思います。
私の教室で始まったutena drawingも、実はそうした子たちに何かを伝えたい思いから生まれてきたものですが、いまとなっては、だれにとっても必要な伝達方法になっています。
そして、子どもたちは何かを掴むと、ちゃんと成長をします。
おとなが、「みんな同じようにできる」ことを望まなければ、子どもは、その子の経験をその子にしかできない貴重な体験をし、成長していきます。
そういう観点で見てくださる先生が一人でも多くいてくれることを、心から望みます。
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以前に、hpのほうにあげた記事も、よかったら読んでみてください。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!