音楽界の末端で愛を叫ぶ?音楽教室がんばれ
音楽の浸透を支える音楽教室
音楽界というのがくくりとしてあるとして、
どこかにその中枢として生命があるとして、
音楽教室、というのは、
その末端になるのかもしれないと思います。
音楽が人の営みに浸透していくプロセスとして、
音楽教室というのは、確かに最小の単位で、末梢神経、あるいは端末です。
すみっコぐらしどころか、その役目は決して小さくはない。
私たち、音楽の先生、は本当にその役目を担えてるのかしら。
いや、そもそも音楽って何?
本当はそこから始めなければ。
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殻
もうずっと前に、一度京都で私のワークを受けていただいた方で私の音楽大学時代の友達からラインがきて、
発展プログラム、受けます。とのこと。
もう、忘れていたかと思っていたけれど。
なにがそうさせたのかな、と思って電話してみました。
昨今、増えてきている、学習手順が独特な子たちのことや
このコロナ禍のなかで制限されることが多く、いろんな体験ができず
感覚成長が思うようにいかないまま育ってきてる子たち。
殻が硬くて何かが届かない、と彼女は訴えます。
「いろいろ、読んだりしたのよ、外国の例や音楽療法のことや。
でも、どこか、すこし遠い、何かが違う、でね。
やっぱり、みかさんのやってるこれしかないような気がしたの。」
今すぐ、即効的に対応できるわけではないし、まず、もっと音楽プロセス体験のことを知ってもらわないといけないし、なにより自分自身の体験を増やしていかないといけない、でも、私自身も、そう、他に答えがないから、これを掘り続けてるの。すこし、なにか答えうるものがある、と私も思う。受けてほしい。
この、”答えが世の中に見つからない”感じ。
なにか、と思うのに、
この、末端で起こっている現実に愚直に向き合うツールとしては
みんな、立派すぎるっていうことかもしれない。
一方で、
今楽しければ良い、という刹那的なのも
どこか、それじゃない、っていう気がしている。
それは、人は誰でも、
どこかで自分自身が成長していること、何かを得ていることを感じることができることを望んでいると思っているから。
殻はきっと、外から叩いて壊すものでもなく、
その内側から自分が溶かしていくもので、
本来音楽は、そういうもののためにこそ働くもので。
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音楽教室も夢見る
人はどんなときにどんなふうに感じているのか。
感じるところから始める音楽。
うちは少しやっぱり変わっているのかもしれません。
でも音楽を誰かに、そして社会に手渡していくために、
ひとつ、この方向性がとても重要なんだと思っています。
必要なのはガンバリズムよりは観察力。
ときに相手に委ねてしまうこと。
足し算よりは引き算。
でも、根幹は深く。
全ての人に音楽に育まれる可能性とチャンスを。
その末端にいる私たち自身も、
もっともっと殻を溶かして行きながら、
内面から音楽がなるのを楽しみたいものです。
音楽の末端だけれども、魂は音楽の本質に根差していたいと思うのです。
誰のためでもなく、自分自身の音楽をさらにさらに生かしていくこと、その幸福のために。
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