実家の耕作放棄地22’8
真夏の収穫
早朝は朝靄がかかっていても、
もうあっというまにこの眩しさ!
真夏の松野町の実家です。
敷地内の一角を借りての不耕起栽培ニ年目の畑の収穫。
叔父の訃報
実家に滞在中、まよなかにライン電話がなって、叔父の訃報をききました。
つい二日前、母と会いに行ったばかり。
ぱたりと食事をとりたがらなくなった、という叔父は根っからのお百姓さまで、
私たちの帰り際に「トマト(をもらってかえれ)」と言って、手を振ってくださった。あの、いつも笑顔だった叔父が。
10日は友引だというので、通夜は翌日、ということで、慌てて喪服などをとりに自宅に帰り、できる仕事をすこしして、蜻蛉返り、
このコロナ時代なので致し方ない寂しい式になってしまったけれど、叔父はきっとそんなことをよそに、きっと広々とした畑でのんびりしているような気がします。大往生。青空ばかりが広がる、そんな真夏。
姉と耕作放棄地ワンダーランド化計画
そんなわけで、実家の滞在時間がうんと長くなった盆前。
姉もやってきました。いつも母の用事を優先して、お互いの帰省ががぶらないようにしていたのだけれど、今回は叔父の式もあり、盆もありで、ゆっくりと話ができました。
話はもっぱらこの土地のこれからのこと。
拙い私らで、でも、できるだけ心地よい場所を、すこしの作物と果物と。
樹木と、土壌に住まう小さき微生物たちと。
夜中まで話は尽きない。
翌日は買い物をして、その翌日にはワンダーランド化の計画の一つ、
堆肥場の木枠を作りました。
木工のことを少し学んだ姉の知識と技術がとてもありがたかったし、
何より二人で作業すると楽しいし捗るし。
今年から、うんとたくさん雑草堆肥ができそう。
私がたまたま持ってきていた米糠をまいて・・・
生物多様性を再び
実家から家に帰ったら、
本が届いていました。
「土中環境」
すごい。
姉と話していたことの続きがここに。
そして、この本の見え方は
自分がやっている音楽の見え方と似てる。
そうか、実家で体験して、作業していることと
音楽のワークをしていることのねっこが
ここでつながっていることに、なんかほっとしました。
この話はまた今度。