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音楽なんてなんの役に立つん?
「若い頃、ある人に、音楽なんかなんの役に立つん?
と言われて何かずっと引っかかっていたけれど、
たになかさんの話を聞いていて、そうですよね、
人にとって必要なものですよね。」
と、ある方がはなしてくれました。
多くの人が、
肯定的であれ、否定的であれ、
音楽を、人間が生きていく最低限の衣食住、あるいは、学業、
生理的にも社会的にも、とりあえずなくても生きられるもので
基本的ではなく余剰のもの、肯定的に言えばギフト、
否定的に言えば無駄、むしろ人を惑わせるものと認識しているのかもしれません。
冒頭の会話で私がその人に何を伝えて、
その人が感じたもの、何か通じ合ったものがなんであったのか、
にわかにはわからなったのだけど
でも、私はどうしてこの仕事をしてるのだろう?
という問いを置いてみたときに一番根っこにあったのが
「だって、音楽は誰にとっても必要不可欠なものだから。
そして、それは案外と知られてないことで伝えていかなきゃいけないことだから」
と言うことだったのです。
それを掘り起こしてくれる出来事でした。
促されるように、マインドマップを書いていて、いろいろがつながってきた気がします。4年間自然農で植物と関わってきたこともつながってきました。
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それは、演奏、というジャンルにとどまりません。
潤滑油のない機械が動かないように、エネルギーの補給がない車が走り出せないように、音楽は社会、という本体を支えていてる。
その間に見えない潤滑油やエネルギーは個々人の内奥に眠っている、膨大な資源でもあるのです。そしてそれを表出するかどうかは個々人の全くの自由。ただ、社会はそれを押さえ込んでしまっているかもしれない。
そもそも何を音楽というのか。
時間、形、共鳴、肌理、重さ、幅、高低・・自然界にあるもの
感情、理性、狂気、熱狂、孤独、動き・・・人の内面から湧いてくるもの
楽譜、楽器、身体・・音楽のための手段
音楽は実に様々なものの組み合わせです。
昔々、音楽には三つあったそうでボエティウスはこんなことを言っています。
一つは 楽器で鳴らす音楽 ムシカ・インストゥルメンタル
一つは 身体(人間)という音楽 ムシカ・フマーヌス
一つは 宇宙という音楽 ムシカ・ムーンダーナ
私たちが一般に音楽と呼んでいるものは、三つのうちの一つの表れである、
と言う捉え方は、もともと野生児だった私にはすんなり理解できるものでした。
むしろ、音楽大学まで行っても見えてこない「音楽」の正体を見出すヒントのように思えます。
一般的に音楽教育は音楽する”手段”を取り扱います。
もちろん、喜びや、成長プロセスなども教育のなかに普遍的に含まれるのは当然ですが、これは、個人的能力か、コーチングのような別システムとして捉えることが多いようにおもいます。
そうではなくて、音楽そのものを紐解いていけば、自分にも出会えるし、精神の自由を根底にしながら、社会にも世界にも通じる何かがそこにはある。その具体的なところを取り扱うものが今までなかったように思うのです。
主体を音楽とするのではなく、「音楽と人」「音楽と自然」を主軸にした音楽教育。
私のやっていることが一つの提案として、細くてもいいから廃れないように続けていかねばとおもいました。
東京でワークショップ行います。
私の仕事はこちらです。
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![音楽前夜(谷中みか)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/7090636/profile_2833076fb42d76adaa0ff1b7ed0f2e8a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)