小さい声に、小さい声で答えること。
ピアノレッスン生のグループワークの時。
幼児さんクラスは
生徒の一人が即興で何か歌い出したかと思えば、
それをいつしかみんなで歌っていたり、
クレヨンを人に見立てて友達とごっこ遊びをやったり、
好き放題やっているようだけれども、
私が小さい声で話し始めると、同じようにトーンを落としてくるようになった。
場を読み、場を作るのが上手くなってきてるなと思う。
そういう遊びの言語をだんだんとこの子達は身につけてきている。
歌はいつも手遊びや、ドローイングと一緒に。
歌を歌だけで歌わせるのは小学校の入ってからにしていて、
幼児期は音楽を音楽に限定しないところで
やっていくってのを大事にしている。
どうしてかというと、
それは長年やっていくうちにそうなっていったのけれども
改めて考えるのには
幼児さんというのがそういう生き物だから
という答えに行き着いた。
本来、遊具に頼らなくても、
機械やネットに誘導されなくても、
遊べるのがこの生き物たちだから
むしろそこに委ねてしまうのが、私のやり方かもしれない。
いかに子どもの遊び(ごっこ遊びや、お絵描き)の中に
楽譜ではない音楽を忍び込ませていくか。
子どもが親しんでいる遊びの世界と音楽とは
源は同じところにあるのかもしれないから
それがうまく噛み合った時は
自然なものになるはず。
雑多な暮らしの中、
ちょっと耳をすませばいつでも
音楽はそこにある。
口ずさめばいつでも音楽が転がり出てくる。
この距離感で幼児期を過ごしてほしい。
そして、同じような距離感で
人もそこにいるということを。
感じて、
そして、
小さい声で私が問いかけると
小さい声で返してくる。
子どもたちのあそび。
人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなども。