差異が意識を育てる
一つでわからないものが二つの差異によってみえてくる
ふたつ、質の違うものがならんでいるとする。
ひとつ、ぽつんとあったもの
それを、どう言い当てれば良いか、掴みどころがなかったものが
ふたつあることで、その違いや落差から
その二つを照らし合わせて
初めて、それが何か掴めるようになる。
ひとつがわかったとき、それは同時にもう一つがわかるということで
そんなふうにして、世界は意識の中に開示されていく。
赤ちゃんは、生まれたばかりの時
まっさらで情報がまだすくないなか
快と不快の二つの感情から
世界を模索し始める。
快は心地よい眠りと、お母さんのおっぱいと、揺れるカーテンの裾に
枝分かれして、
不快は、空腹と、母親の不在と、オムツの濡れた感じに枝分かれして
そうやって世界が広がっていく。
音楽の始まりも差異を感じることから
リズムを教える時、
拍を取ることや、音楽に乗ることより前に
のばす音(白い丸)と伸ばさないですぐ次へ動く音(黒い丸)
の体感の違いをしっかり感じること、感じたことをピアノで再現できることを
さいしょにやるようにしています。
また、ドの一音からおしえるのではなく、
ドとレの二つの音のやり取りから始めます。
これはどちらも、
音の二つの差異によって、体感と耳をそだてるため。
差異を見極めるものがないと、正しさで押し通すしかなくなる
正しいテンポや
正しいたった一つの答え。
これはドです。これはレです。
そうやっておしえるものは、
自ら感じること、考えることを封じてしまう。
「これはどうしてドなの?」
「おだまんなさい、ドだからドなのです。」
このやりかたができるなら誰にでも教えられるのだけどね・・・
差異を感じ、知ることは、動きをしることでもある。
そのとき、目印をつけるために名前も必要になってくる。
生きたものをとらえる内的な仕草。
音楽がその人の内に息づき始める。
差異によって、分断されるもの
人は二つの極があることによって、
世界を広げてきた。
けれども、一方で、
その差異は、敵味方に分かれる時もある。
自分が正しい側に立って、もう一方を否定するという
ありがちなパターンを生み出すこともある。
二つに分けることで知った世界の
半分を切り離してしまう。
人には、そういう習性もある。
どうしてそれが起きるのかを、そっと、ゼロ地点からかんがえなおしてみたい。
ご案内
ホームページ、久しぶりに楽曲の記事を書きました。
曲名のあるものはホームページに残していくようにしています。
ブルグミュラー作曲の25の練習曲集から「素直な心」あるいは「素直」
この曲はどう解釈する?という質問あれば喜んで記事書きます。
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