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小さく継続すること
炎天下に咲き続ける薔薇たち
四季咲きの薔薇は、この炎天下、虫に食われて葉っぱがなくても、咲き続けています。本来大きなバラも、ミニバラみたいな大きさになって、それでも咲き続けるから、驚かされます。
庭にあってもすぐに虫がみつけてかじってしまうし、炎天下なので、すぐ散ってしまうので、連れて帰ってきてしまいました。
写真の花は5種類。
(こうやって見ると、傾向が似てる・・強い品種って似てるのでしょうかね。私の好みが淡い白系なだけか。)
ところで、私の仕事、講座をやっているとか、音楽のワークブックを作ってるといった情報を聞きつけて、上手に売りませんか的なご親切をいただくのですが、ご遠慮申し上げることにしています。
自分の仕事は、実はとっても地味で、もう30年もやってることがなんとなくかたまってきて、このコロナ禍の中、休業要請だ、オンラインワークだ、外出自粛だ、と、なんだか、もうじっとしてるしかない私のなかで、夏の薔薇と同じで、ちまちました継続の先についた小さな蕾みたいなものなんだとおもいます。とても大輪の薔薇を咲かせる気概などはない。ただただ、次々やることはあるので、なんだかこしくれた蕾があちこちくっついてやりかけ。がんばる。
これからどこへいくのでしょうねえ。
ただ、思うのは、自分はきっとそういう商材作って売ります虫よりは、研究虫なんだろうなあということ。作ったら、人に知ってもらってこそなんだけれど・・
欠けを埋めるんじゃなくて、欠けから始まるプロセスを楽しみつつ、音楽を知っていく。
音楽リテラシーのワークブックは手書きの図がまだいくつか、読み取りにくいものがあって、書き直したいのと、あとはあとがき。
読み直してみながら、改めて音楽の楽譜のあの一つの点の背後にあるものの複雑さ豊かさに思いを巡らせていました。
メロディ、という一筋の時間がどういう土壌にうまれ、花を咲かせ実をつけるのか。
人ってそれぞれ、今まだ足りないものとかがあって、感覚の鈍いところや欠けてるところもあったりするものです。書いていこうとしてるものは音楽と感覚が出会っていくところなんだけれども、音楽の複雑さ深さを前にしてみると、とても一人の感覚では心もとない。
実際のところ、やったところですぐにはわからないことや、なかなか身につかないことだってあると思います。得手不得手もあるし。
ただ、音楽を学ぶことって、そういった、足りないところを埋めて完璧にしていくことじゃなくて、ひとりひとりの必ずそれぞれにある”欠け”ているところから始まる、というプロセスの中に生まれるもの、そこで音楽と出会っていく、っていうことが滋養なのじゃないかと思っています。
欠けを埋めるのではなくて、欠けから生えてくるもの。
満たされて、春に咲く栄養満点の薔薇だけが薔薇じゃない。
私もいまだ、右手に夢中になっていて、左手が疎かになってたりとか、して、多分一生なにも完成なんかできないと思うんですよね。
それでも、音楽のフィールドにいると、拾うものが有り余るほどにある。
いつか完成したときになにかが成就するのでは、と、初心者の方は思いがちですが、大丈夫、そんなことは夢にすぎませんから、気軽に気長にやってみませう、と声をかけたいです。
私も、こうなったら気長に構築していこうと思っています。夏の日も冬の日も。
いいじゃない、真夏の薔薇で。すごく、いい。
ただ、どんなにこしくれていても、虫に食われていても、薔薇が薔薇であるようなところの、なにか、そのなにか、いつもいつも、その場所を見失わないこと。
だな。
寝よっと。
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![音楽前夜(谷中みか)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/7090636/profile_2833076fb42d76adaa0ff1b7ed0f2e8a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)