鉄は熱いうちに打て、というわけで屋島に行きました
くさくさしたお気持ち表明のnoteを更新してから半年以上が経過していた。くさくさしたものを自分の記事一覧に載せてあるだけで運気が下がりそうなのでそのnoteは消した。あれだけお気持ち表明が好きだったのにもう半年もお気持ち表明をしていないのか。そしてあれだけ読書好きです🫶みたいな顔をしておいて本をまともに読まなくなってからもたぶんそれくらい経つ。なので秋頃FMTANABEからパーソナリティ★プロフィールを任意で提出してほしい旨のメールが届いた時に、趣味の欄に読書と書くのも憚られ、とはいえ本についてなにも書かないのもアイデンティティ的に嫌なのでじゃあ積読、と書く他なかった。
話は変わって、昨日急に思い立って屋島に行ってきた。今のマイブームは源氏である。きっかけは勿論弁慶記。弁慶記を2周してから思い出したドリフターズを4年ぶりに見返し、あ、ゲンジバンザイね、義経エキセントリック少年ボーイ理解(昔父がカラオケでこの曲を歌った時の映像がトラウマで今でもわりと鮮明に覚えている)となり、ほんで、夜中にひとりなんて危ないからやめなさいと親にめちゃ怒られるも全部聞こえなかったフリをし、ゲンジよろしく船で徳島に辿り着き、屋島にきた。推し活である。聖地巡礼である。わたしは今年で24である。まさか吹奏楽プロジェクトに関わるならこれも聴いといた方が楽しいよね、くらいの感情がここまで爆発するとは。いつも先行きの読めない自分自身に振り回されて、わたしって退屈しない。目先のときめきに振り回されて、進歩もしないけど。鉄は熱いうちに打て、わたしにとってはこの言葉は調子が良過ぎてわりと毒だったりする。
朝5時に和歌山港から出港した南海フェリーで徳島港へ、そのままバスに乗ってJR徳島駅へ行き、特急うずしおにのってJR屋島駅に到着。田舎でしょうねとは思っていたがやっぱり田舎だった。駅の待ち合いにあるベンチに手作りっぽいクッションが敷かれていて、そういえば高3の時にやることが無さ過ぎてみんなでクッションを作って古座駅のベンチに寄付する授業があったことを思い出した。奴等はあの古いベンチの上で健在なのだろうか。駅を出るととりあえず山上までのバスに乗り込み、山の上のお寺に行ったり展望台に行ったりした。
安徳天皇社や佐藤継信のお墓にも行きたかったけれど、足と時間とスマホの充電が終わっていたので今回は諦めた。
屋島の旅のお供には2冊の本を持って行った。ひとつは半分読みかけにしたJ.G.バラードの「結晶世界」、ひとつはつい前日届いたばかりの町田康「ギケイキ」←わたしが屋島に行くことを思いついてしまったのは十中八九これのせいである。この旅は聖地巡礼どうこうの前に増える積読を消化するという目的が実はさきにあったので、既に半分読んでる結晶世界から読んだ方が絶対いいのにギケイキに手をつけた。800年前に死んだ義経が今も銀座の喫茶店に居たりヘラってご近所にきちがい扱いされたりご近所をきちがい扱いしながらなんか普通に存在していて、こちらに分かりやすいように「今でいうと〜」なんて例え話を挟んだりしながら800年前の思い出話をしてくれる小説なのだけれど、ちょっと面白すぎて電車の中で何回もふるふるした。エキセントリックすぎる。あと文体が高校の友達が日本語探求の時間に書いた作文すぎて、ひとり旅というよりは何かにつけてすぐいてこましにかかる、ヤバすぎるおもろ友達を連れている感覚だった。九郎くんはむかついたら口から火ィ吹いて家燃やしたりするしいつも菊門が危ない。弁慶くんは自分のゲロを犬に食べさせて喜んだり書写山への誹謗中傷をTwitterでしたりする。テンポ感がギャグマンガ日和とかピューと吹く!ジャガーとかのそれである。和歌山港に戻ってからすぐ幾つかの空いているWAYに駆け込んだがまじでどこにも置いてなく、半ギレでamazonに頼んでおいた。明日2巻が届く予定だ。
ちなみに1巻ではぜんっぜん屋島まで行ってないし、持って行った結晶世界は結局一回も開いてないし、肝心の元ネタ義経記はまだ読んだことがないので、もしかしたら義経はほんとに火を吹いてるかもしれないし。
そんなこんなでとってもとっても楽しかった弾丸屋島旅だった。本を読むと文章が書きたくなるし、わたしは義経と友達なので、友達の言い回しにやっぱりちょっと寄せたくなる。