人助けは「計画倒れ」が大切?
今、コロナ禍において、「利他」が注目されつつあります。
「利他」は「利己」の反対語で、「自分のためではなくて、他人のため」という意味です。みんなが大変な思いをする中で、お互いに助け合おうとする人助けの活動が盛んになってきているんですね。
この本『利他とは何か』は、今、改めて「人助け」をするとは何かを、美学者・政治学者・哲学者・批評家・小説家の方々が集まって考えている本になります。そのうちの1人、美学者でもあり哲学者でもある伊藤亜紗さんは、人助けは「計画倒れ」が大切であると言っています。
「計画倒れ」してしまったら人助けが失敗してしまうんじゃない?と思った皆さん、是非、この記事を最後まで読んで見て下さい。
「計画倒れしない」ことの怖さと、「計画倒れ」の温かさについて、一緒に学んでいきましょう!
これまでの2つの利他
実は、「利他」には2つの形があると言われています。それが「合理的利他主義」と「効果的利他主義」です。以下、具体例とともに説明していきます。
実際、利他とはいいつつ、自分も含め多くの人は、自分がやっていることのほとんどは自分のためであるということを認めるでしょう。「情けは人のためならず」ということわざの意味のように、一見人のためにしていることも、実は巡り巡って自分の利益になることを期待しているのかもしれません。
こういう考え方から、利他を見る立場を「合理的利他主義」と言います。
一方で、でも、それだけじゃないだろうとも感じますよね。自分とは関わらないところでも、多くの人を救って社会を良くしたいと思って行動することもあると思います。自分が100円でジュースを買うぐらいなら、貧しい国で飲み水がない人のために寄付した方が、社会全体で見たときにはお金の使い道として良い、というような考え方です。「最大多数の最大幸福」という言葉を知っている人はピンとくるかもしれません。
こういう考え方は、「効果的利他主義」と呼ばれます。
大切なのは本当に「合理性」?
「合理的利他主義」は「自分のため」を突き詰めるのを重要なポイントとしている一方、「効果的他者主義」は「他人のため」を突き詰めるのが重要なポイントになっています。
一見、反対のように見えるこのような2つの利他の捉え方に、実は一つの共通点があります。それはどちらも非常に「合理的」であるということです。言い換えると、「計画倒れしない」ことが大切になっているわけです。
「合理的利他主義」では、最終的には自分のためを目指しているのですから、どのように自分にかえってきてどれだけ自分が得するかを合理的に計算する必要があります。
「効果的利他主義」では、できるだけ多くの他人を救うために、何円を寄付して何人の命を救えるというところを考えなければなりません。その意味で、寄付による効果を合理的に考えているということになりますね。
となると、合理的な計算通りにいかないこと=「計画倒れする」ことは、利他の失敗になってしまいます。
「計画倒れしない」ことの恐ろしさ
でも、「計画倒れ」でいいんだと、むしろそれが大事なんだというところが伊藤さんの主張ですね。というのも、それは「計画倒れしない」ということが実は危険な事態を招いてしまうからです。
これを理解するには、合理的な計算は、結局は、人助けをする側の思い込みであるというのが重要なポイントになります。こちらの引用文を見てみましょう。
思いは思い込みです。そう願うことは自由ですが、相手が実際に同じ様に思っているかどうかは分からない。「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配することにつながってしまいます。(本書 p.51)
どういうことでしょう?
これは、合理的な計算という発想が強化されると、他者のコントロールに繋がりかねないということではないでしょうか。
とある、目が見えなくなって10年以上も立つ人は、自分の生活が「毎日はとバスツアーに乗っている感じ」になってしまったと話します。
「ここはコンビニですよ」。「ちょっと段差がありますよ。」こういった言葉はありがたいです。でも、皆が善意でその人を助けようとしすぎるあまり、逆にその人は自立して行動する機会を失ってしまうかもしれません。
目が見えないその人は、助けようとしてくれる人たちの善意を無碍にできないと考えて、「障がい者」としての自分を演じなくてはならなくなるのです。これは、「助けよう」という思いがむしろ目が見えない人を支配し、窮屈にしてしまっている、ということになります。
「思い」が「支配」に変わってしまうと、逆に、助けられる側は苦しんでしまうことになるのかもしれません。
だから、人助けで大切なのは「計画倒れ」
支配になってしまわないような利他のあり方を、伊藤さんは「ケア」という言葉で表現しています。そして、その実践として「聞く」ということを大切にしています。引用を見てみましょう。
「聞く」とは、この想定できていなかった相手の行動が秘めている積極的な可能性を引き出すことでもあります。「思っていたのと違った」ではなく「そんなやり方もあるのか」と、むしろこちらの評価軸がずれるような経験。他者の潜在的な可能性に耳を傾けることである、という意味で、利他の本質は他者をケアすることなのではないか、と私は考えています。(本書 pp.54-55)
さて、ここでようやくタイトル回収です。
「思っていたのと違った」ではなく「そんなやり方もあるのか」と、むしろこちらの評価軸がずれるような経験。
これこそが、まさに、「計画倒れ」なんですね。
相手のために何かをすることにおいて、相手が完璧に自分の思っている通りに動くことを想定して、自分の計画に固執してしまうこと。この「計画倒れ」を怖がる利他のあり方ではなくて、常に相手が入り込むような「余白」を持っておく、そして、それに応じても自分も変化していく「余白」を持っておく。
「計画倒れ」を受け入れることで、本当に大切な「ケア」や「利他」ができるようになるのではないでしょうか。
学びにつなげる
このような内容は、学問分野で言うと、哲学・倫理学・社会学などが扱っています。それぞれの分野で今回のテーマと関連する本を紹介します!
◯哲学
伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
記事の内容からも分かるように、伊藤さんは助けられる側の立場を非常に大切にしていますよね。こちらの本は、目の見えない人との対話を通じて、「見る」ことを問い直しを図っています!
目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書) | 伊藤 亜紗 |本 | 通販 | Amazon
◯倫理学
児玉聡『功利主義入門ーはじめての倫理学』
記事の中でも「最大多数の最大幸福」というキーワードが出てきましたが、一人一人の幸せの合計が大きくなれば良いという立場のことを功利主義と言います。この観点から、倫理について考えてみましょう!
功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書) | 児玉 聡 |本 | 通販 | Amazon
◯社会学
山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』
山岸さんによると、安心とは不確定性がないと感じること、つまり「計画倒れしない」こと、一方、信頼とは不確定性があるけれども相手を信じること、つまり「計画倒れ」を受け入れることになります。この記事との関連がとても強い、社会学の本です!
安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書) | 山岸 俊男 |本 | 通販 | Amazon
◯東大「障害者のリアルに迫る」ゼミ
ケアに関心のある方は、大学に入った後に、このようなゼミで課外活動してみるのはいかがでしょうか?障害のある当事者や、その支援者・家族の方などを招いて講演をしていただき、身体的・精神的な「障害」のみならず、ハンセン病の元患者やALS患者、依存症者、性的マイノリティなど広い意味での「生きづらさ」を抱える人々に話を伺っています。まさに、伊藤さんの言う「利他」に繋がる活動だと思います!
「障害者のリアルに迫る」ゼミ | UT-BASE
終わりの挨拶
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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