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イフェイオン 物悲しい星の花 [その4]




2年半

小学3年生から野球一筋で生きてきた。

もちろん目指すは甲子園。そしてプロへ。
世の野球少年ならば必ずと言っていいほど目指す道だろう。

そのためには強い高校へ行く必要がある。
甲子園を目指せる高校だ。

強い高校へ行くためにまず欲しいもの、それは推薦だ。
そう、スポーツ推薦。

高校野球の監督は、毎年強いチームを作るために優秀な中学生を探し、スカウトをする。
その対象となる選手の多くが、チームの中心選手であり、活躍している選手だった。

少年は地区のオールスター選手に選ばれるなどしたものの、3年間を通して、試合での成績は芳しくなかった。

それでも自分をスカウトしてくれる高校がいくつかあった。その中でも、最も通いやすく甲子園出場経験のある高校へ進学することを決めた。


しかし、それが悲劇の始まりだった。




少年は父とのキャッチボールから投げる楽しさを覚え、とうとう高校野球をやる年齢にまでなった。

ここからが本番である。
もちろん目指すはエース。少年は投手として生きることに何より喜びを感じていた。

入部をしてしばらく経った初めての秋。
チーム内の実力を見るためにも、紅白戦(2チームに分かれて試合をすること)が行われることになった。

二日間に渡って行われる紅白戦。
少年は一日目から登板することになった。
その日は調子が良く、無失点で抑えることができた。

「通用するかもしれない。」

そんな期待感に心を躍らせた。


二日目。
少年はある異変に気づいた。

肘が痛い。

二日目にも投げる予定が入っていたが、
ここは無理をする時じゃない。そう思った。

「肘が痛いので、今日は登板を控えたいです。」

監督へ相談をしたが、それは受け入れられなかった。

「一年のうちから何を言ってるんだ。投げろ。」

高校に上がりたての少年にそれを反論する力はない。
痛みはあったが、投げることになった。
庇いながらも、なんとか二日目の紅白戦が終わった。



それから数日が経った。
いまだ痛みが引く気配はない。

「投手は投げてなんぼ。投げれば投げるほどよくなる。」

そんな監督の考え方に疑問を抱きながらも、
少年は投げ続けた。

ある日、更なる異変が少年を襲った。
ボールが思うように投げられない。
痛みが頂点に達し、壊れたのではない。

"イップス"だった。

イップスとは、自分の思うところへ投げられなくなってしまう一種の精神病のようなものだ。
庇いながら投げ続けたことで、投げる感覚を失ったのである。

悪魔の実を食べ、カナヅチになることが『ONE PIECE』の世界の海賊たちにとって致命的であるように、必ず"投げる"という行為が発生する野球人にとって、このイップスは致命的なものだった。

それは、8年間続けてきた努力が水の泡に、
積み上げてきた積み木が一気に崩れ落ちていく、
そんな感覚だった。
やはりあの時、投げるべきではなかったのだ。

だが、終われない。こんなことでは諦められない。
あのイチローだって、イップスを経験して今があるんだ。

必ず治す方法がある。必ずある。


少年はとにかく治す方法を探した。
朝の自主練や家に帰ってからの時間を使って、様々な方法を試した。時には、チームメイトにも協力してもらうこともあった。

一定期間だけ感覚が戻り、イップスだったことが嘘のように投げられる時もあったが、その時間は長くは続かなかった。

治っては戻り、治っては戻り、治っては戻る…
その繰り返し。

苦しい時間だった。
中学生時代、球速こそ目立たなかったが、コントロールには自信があった。
それももう今はない。いくらちゃんと投げようと思っていても、いざボールが手から離れる瞬間、感覚がなくなってしまう。

少年がこの先も投手として続けていくのは不可能に近かった。
あのイチローでさえ、プロに入ってからも長い間、
治すことはできなかったという。

監督が少年を投手として見限っていることは、
誰の目から見てもわかった。

諦めきれない少年だったが、高3へと上がる頃に捕手へと転向することを決めた。
投手から捕手への転向はかなり珍しいケースだ。

しかし、少年にはもうそれしか試合に出る道がなかった。

捕手への転向が決まり、慣れない防具を付け、
新しいスタートを切ったはいいものの、
イップスという根本的問題が解決したわけではない。

投手への返球がまともにできないのである。

投手と捕手を繋ぐ、18.44mという微妙な距離感をほどよい力加減で投げる。
これがイップスの人間にとっては一番難しいことだった。

「いつまでもこの呪縛からは逃れられないんだ。」

そう思った。
投げる楽しさから始めた野球。
いつしか投げることが怖くなっていた。



少年は泣いていた。
練習終わりの帰路、乗っている自転車のサドルから腰を上げ、力の限り漕ぎながら少年は一人泣いた。
イヤホンから流れるこの音楽だけが少年の味方だった。


チームメイトの中にも、何人かイップスに陥る者がいるという異常なチームだったのもあり、理解者はいた。

だが、練習中の暴投は妨げでしかない。
そのプレーに対して、苛立ちを覚える仲間も当然いた。

「なぜこんな目に遭わなきゃいけないんだ。」

運命を呪った。
呪うことしか今の少年にはできなかった。


それでも、もがいた。もがき続けた。
もがくしかなかった。

そして、最後の夏の大会。
もがき続けた少年の結末はブルペン捕手だった。
控えの投手の肩を作るための調整役だ。

なんとかベンチ入りはしたが、投げることを恐れる少年には試合に出るということが恐怖でしかなかった。

試合に出たいという気持ちが湧き上がることはない。
こんな気持ちの人間がベンチに入ってること自体が、
仲間に申し訳なかった。


チームは予選のベスト8をかけた試合で敗れ、
高校野球に幕を閉じた。

もちろん、悔しさはあったが、
少年はその瞬間、心の底では安堵していた。

「ようやく終わった。」

高校野球、いや少年の野球人生はそこで全て終わった。


悲しい別れと恨みの感情が、同時に少年を包み込んだ。




星に願いを込めて


「ハッ。」

目を覚ますと、汗がびっしょりだった。
一人、部屋で目覚める青年。

「またこの夢か。」

長い悪夢だった。
だが、決してフィクションではない。
高校野球に終わり告げたあの日から悪夢を見続けている。

光のない夜は青年を離さない。

あの日から青年は第二の人生を歩み始めていた。
いや、歩み始めるしかなかった。

父親とのキャッチボールから始めた野球人生。
父、母、兄、姉。
全員が"プロ野球選手になる"という夢を応援し、信じていた。

だがそれは叶わなかった。

申し訳なかった。
10年間に及び、野球を続けさせてくれた、支えてくれた家族に対して、申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうだった。

野球を辞めることを告げた時の家族の表情は今でも忘れられない。


それでも進まなくちゃいけない。
いつかこの悪夢を見なくなるその日まで、
歩みを止めてはいけない。

明けない夜はない。
何度使い古された言葉であろうと真っ直ぐ言おう。

全ての愛しい人へ。

仲間の心を救ってくれた、
孤独な少年の心を支えた音楽へ。


返さなくちゃ。想いを音に変えて。

青年はギターを抱えて、ステージに立つ。


信じる方へ進もう。
信じ抜く方へ進もう。

『星に願いを込めて。』



𝘊𝘓𝘖𝘝𝘌𝘙𝘚 𝘏𝘐𝘎𝘏

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