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結局やって来なかった夏の記憶は、知らず知らずのうちにうす桃色の花の蕾に封じ込められる。名前を知らない花の開花を薄明のなかで反芻しようとしても、顔の無い夜の方にするすると逃げて行き、掴もうとする手はただ宙を泳ぐばかり。 早朝のごく限られた時間だけ朝日の射す場所でしか生きられない食虫植物のモウセンゴケは、密生する腺毛に朝露を付着させ、捕らえた光虫を小さな渦巻形に丸めてから、じんわりと消化してゆく。雫から弾け跳ぶ光の予感だけが私を生かしている。 やって来なかった? いや、気が付
冬の朝 目覚ましアラームが鳴る のそのそ布団から這い出る あ 今日は日曜日だった また布団にもぐり込む ああ 至上の幸福それは二度寝 これを毎日体験したい アラームにスヌーズを設定する 月曜日の朝 目覚ましアラームが鳴る のそのそ布団から這い出る あ 真の起床は20分後 また布団にもぐり込む ああ 至上の幸福それは二度寝 (( カラスが鳴いてるぞ 何が悲しゅうて窓のすぐ外の電柱に止まる? カラスなぜ鳴くの? そういや黒カラスとジミー・ペイジのライブCD持ってたかな
自宅前の歩道脇に小さな植栽地がある。十二月の夜、ヤマモモの樹の幹にホタルのような光点がびっしりと群がり、枝からはレモン色の光がグラデーションを描いて流れ落ちる。サツキとオトギリソウの植え込みでは、赤と青と緑と橙色の光が賑やかに点滅している。 だが、玄関のドアを開けて真正面に見えるのは、それらイルミネーションを背景にしたシャリンバイの、洞窟の入り口のような黒々としたシルエットだ。独り飾りをまとわず、周囲の光を捕獲し、吸収し、紡錘形に肥え太ったブラックホール。光は永遠に解き放
初夏を聴く。初夏を聴け。そんな言葉を呟きながら、初夏の風が吹くイチョウ並木の道を自転車で走る。ショッピングモールの裏手に差し掛かった時、商品搬入口の半開きのシャッターが、風に打たれてガタッと音を立てた。チラと目を遣った瞬間、白い大型犬がシャッターの上方から飛び降りて来たように見えた。そいつは段ボール箱を積んだキャリーカートの上でフワッと宙返りすると、風に押し戻されて空中で一時静止し、その後ゆっくりと地上に舞い降りて来た時には優雅な女人の立ち姿にも見えた、と思ったら風に折り畳
ケヤキは自身が「逆立ちした竹箒」であることにほとほと嫌気が差している。そんなケヤキのもとに、天空から救世主として飛来するのがムクドリの群れである。ショッピングモールの入り口近くの、落下した糞で焦げ茶色に染まったガラス張りのルーフと、駐車スペースにまで達する糞でベトベトの地面は、それぞれムクドリ達が仕掛けたケヤキのメタモルフォーゼへの優れた起爆装置なのである。加えて鳴き声というNoiseの大合唱も忘れてはならない。これらが惹起する情動の激しい波立ちに襲われて、ヒトは慌ててケヤキ
遠目には黒い紐に見えた。近寄ってみると蛇の子どもだった。体長は二十センチちょっと。JR新幹線駅の東口を出てすぐの、駅前広場のフロアタイルの上に横たわっている。尻尾の後方の、コンクリートの柱と床との接合部に、蛇が出入り出来そうな亀裂が開いている。その奥に巣があるのだろう。小さな頭を僅かに床からもたげているが、なにしろ全身が真っ黒なので、どこが眼なのか皮膚から判別するのが難しい。駅前広場のずっと向こうを眺めているような姿のまま、ピクリとも動かない。その眼にはどんな世界が映っている
会社をたたむと決心して以来 もののたたみ方に注意するようになった これまで自分でたたまなかった布団を たたんでみたりするようになった いつもはそこら辺に放り投げている パンツや靴下もたたんでみた 風呂敷もたたんだし タオルやキャンプ用テントや 驚く女房のパンストまでたたんだ たたむのは案外簡単だと思った しかしあまり音がしなかったので 何とも言えず奇妙な感じがした お前はたたむものの気持は理解しているが たたまれるものの気持は分かっちゃいないと 私をなじるものがぼつぼつ出て来