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日々に遅れて

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詩・散文詩の倉庫03
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#初夏

日々に遅れて

結局やって来なかった夏の記憶は、知らず知らずのうちにうす桃色の花の蕾に封じ込められる。名前を知らない花の開花を薄明のなかで反芻しようとしても、顔の無い夜の方にするすると逃げて行き、掴もうとする手はただ宙を泳ぐばかり。 早朝のごく限られた時間だけ朝日の射す場所でしか生きられない食虫植物のモウセンゴケは、密生する腺毛に朝露を付着させ、捕らえた光虫を小さな渦巻形に丸めてから、じんわりと消化してゆく。雫から弾け跳ぶ光の予感だけが私を生かしている。 やって来なかった? いや、気が付

クビキリギス

自転車を止めている時に気が付いた ハンドルにクビキリギスが止まっている じっと見ていても動く気配はない 尖塔のようにとがった頭 長い翅をピタッと閉じて 左右の後ろ足を高く立てている 秋にはこんなに大きくなるのか  荷物を置いたらまた見に来てやろう 玄関のドアを開けて荷物を床に置く 切り花を早く水に漬けなくては スリッパを履いて室内灯を点ける パソコンのスイッチを入れよう シンクで洗面器に水を張って 新聞紙を解いて切り花を漬ける 買って来た消耗品をそれぞれ収納して パソコ

シャリンバイ

 自宅前の歩道脇に小さな植栽地がある。十二月の夜、ヤマモモの樹の幹にホタルのような光点がびっしりと群がり、枝からはレモン色の光がグラデーションを描いて流れ落ちる。サツキとオトギリソウの植え込みでは、赤と青と緑と橙色の光が賑やかに点滅している。  だが、玄関のドアを開けて真正面に見えるのは、それらイルミネーションを背景にしたシャリンバイの、洞窟の入り口のような黒々としたシルエットだ。独り飾りをまとわず、周囲の光を捕獲し、吸収し、紡錘形に肥え太ったブラックホール。光は永遠に解き放

初夏を聴くーラップフィルム

 初夏を聴く。初夏を聴け。そんな言葉を呟きながら、初夏の風が吹くイチョウ並木の道を自転車で走る。ショッピングモールの裏手に差し掛かった時、商品搬入口の半開きのシャッターが、風に打たれてガタッと音を立てた。チラと目を遣った瞬間、白い大型犬がシャッターの上方から飛び降りて来たように見えた。そいつは段ボール箱を積んだキャリーカートの上でフワッと宙返りすると、風に押し戻されて空中で一時静止し、その後ゆっくりと地上に舞い降りて来た時には優雅な女人の立ち姿にも見えた、と思ったら風に折り畳

初夏

JR駅に行く途中 歩道に並ぶヤマモモの樹から 喋り声が聴こえて来た 葉陰を覗いてみても誰もいない 代わりに鈴なりの実を見つけた 表面にぶつぶつがあった   郵便局からの帰り道 ケヤキの下を通り過ぎる時 笑い声が聴こえて来た 見上げてみても誰もいない 青空に向かって分かれた太い枝 葉っぱがぎざぎざしていた   モスバーガーへの道すがら 初夏のイチョウの群葉は こんなに鮮やかな緑色だったのか 葉陰で小さな者たちが作業している いったい君たちは何者なの? 近付いたらサッと引っ込んだ