手品 ――画像しりとりはじめました(#138)
(#137) エリック・アルモンテ→「て」→手品
あ、でっかくなっちゃった♪
……て、デカなるの、そこじゃないし
そもそも、おまへのそれ、手品でもないし
( ̄∀ ̄)
じゃあ、こっち?
また、エラいことになってんなぁ( ̄o ̄)
もう、名前もアムロぢゃなくて、アフロにしたらええやんレベルや☆
でも、デカくなるんは、そこちゃうよ✋
……じゃあ、こっち?
やめなさいってwww
そういう下品な笑いはドン引きされるだけやで( ̄∀ ̄)
……てか、何をどうしたらこないなるんや?(・_・)?
リスの頬袋みたいになんか貯めとるんか^m^……あまり深く掘り進めたくはないがw
まぁ、どっちにしてもデカくなるのはそこぢゃない✋
……じゃあ、こっち?
コワっ!!( ゚Д゚)!
イラストだからまだかろうじて正視できるけど、これが万一加工された写真とかだったら、コンプラ一発アウト案件やないか( ̄O ̄)💦
まあ、お絵描きばりぐっどくんあたりに、もぉちょいリアル方面に寄せたコレを描いてほしい気もちょっぴりあるかもだが……( ̄∀ ̄)
もちろん、これもちゃうで✋
じゃあ、こっち?
そう、こっち♪\(^o^)/♪
ようやく本物登場やね(o^-')b♪――マギー審司(⌒~⌒)♪ お師匠様のマギー司郎ばりのコミカル☆マジックに加え、なにげに普通のクロースアップマジックもしっかりできるお方である。
マギー審司は、自らを「手品師」と称することにこだわり、「マジシャン」と自称することは殆どない。まあ、本人の中には「本当はお笑い芸人になりたかった」という気持ちがあるらしいので、オサレな横文字からイメージされる華麗なイリュージョニスト的なものは、なんか違う、と思っているのかもだ。
とはいえ、マギー審司の「手品」は、非常に巧みであり、あえていうなら 狡猾なエンタメだとも思う。
彼の手品の特徴は、つかみとして「意図的に」ヘタなマジックや誰もがタネを予想可能なマジックで笑いを取ることからスタートする。
ギミックありきのマジックをはさむことも多く、彼の代名詞ともいうべき「(耳が) でっかくなっちゃった!」も、このギミックありきのマジックの代表例だ。
最近では、そういうギミックが一般人でも普通に買えることが広く知れ渡ったこともあり、「これ、東急ハンズ (*1)」「これも東急ハンズ」と、入手元までバラしてそれを笑いに変えることすらある^m^。
そうして、彼の手品が初見の人には
「なんだ、このインチキマジシャンは^m^」
と思わせておいて、その流れからフツーに高度なクロースアップマジックを混ぜてくる。高校の学校祭レベルでも表現可能な「似非マジシャン」と侮りかけていた観客は、ここでまず「えっ!?( ゚Д゚)」と虚を突かれる。
なかなか上手いやり口だ(o^-')b♪
彼の手品のもう一つの特徴は、「相棒」のラッキーである。
フェレットとレッサーパンダを足して2で割ったようなぬいぐるみのラッキーを、巧みな指使いで、まるで生きているかのように動かして、そのキュートな動きで黄色い歓声をゲット(≧▽≦)♪
しかしながら、マギー審司の手品は、実は日本でマジックを演じる際の心構えを示したサーストンの三原則という格言の禁を犯したものでもある。
サーストンの三原則とは
1. 披露する前に現象を説明してはいけない
2. 繰り返してはいけない
3. 種明かしをしてはいけない
というもの。
最初のつかみで、思いっきり種明かし (というよりタネもなにもないバレバレのマジックだけどw) してるもんねぇ^m^
ただ、ここには、マギー審司のミスというよりも、マジックに対する日本特有の「見方」が関係しているようにも思われる。
マギー審司に限らずともよいのだが、華麗なクロースアップマジックを見て仰天した観衆の反応は大体こうだ。
「えーっ、すごーい!!」
「うそー!シンジラレナーイ!」
しかし、日本の観衆の場合、時として次のような驚き方を伴うことがある。
「どーなってんの!? どういうタネなの?」
日本人は、タネを知りたがることが多いのだ。
マジックにおける種明かしは、実用新案が期限切れになってるものを除けば本来、今なお重大なタブーである。
ていうか、そもそも、日本以外では「種明かし」という概念自体がほぼ無いに等しい (*2)。
これは、あくまで個人的な感想 (笑) ではあるのだが、
いやいや騙されないぞ!
絶対にこのマジックのタネを見破ってやる!
……というマジックの見方って、疲れないだろうか?(・_・)?
まあ、マジックも数多あるエンターテイメントのひとつであるのだから、楽しみ方は人ぞれぞれ、そのエンタメを受け取る側の自由である。
マジックのトリックを見破ることに心血を注ぐのも楽しみ方の一つなのだろう。
ただ、仮にそのマジックのタネを見破れたとして、それはマジックショーを堪能する上で興ざめにはつながらないのだろうか?
ついついそんな風に思ってしまうのだ。
対比として適当かどうかは分からないが、リアル脱出ゲームみたいな謎解きのエンターテイメントを考えた時、あるいはもっと単純に推理小説でもいいのだが、そういった類のエンターテイメントは、そこに提示される謎は解かれることが前提として成り立っているエンタメである。謎解きがメインディッシュだ。
しかし、手品やマジックは、マジシャンの手によって繰り広げられる現象そのものを楽しむエンタメである。その「奇跡」にタネや仕掛けがあることは大前提として、その上で純粋に「奇跡」の不思議さにワクワクしたり、演出の美しさを堪能したりして楽しむのがメインディッシュだ。
勿論、手品やマジックのタネも推理小説のトリックと同根だし、なんとなればマジックのトリックを扱う推理小説だって数えきれないくらいたくさんある。
しかし、見方を変えれば、手品やマジックのタネを見破ることに全集中したなら、せっかくの「奇跡」の不思議さも、その「奇跡」を生み出す演出の美しさも、十分に堪能できずスルーしてしまうことにはならないだろうか。
もしそうだとするなら、いささか勿体ない気もするがどうだろう?
先に、マギー審司の手品があえていうなら狡猾、と表現した理由は、彼のつかみ、あえてタネがバレバレというか、タネもなにもないような手品をオープニングアクトとして披露するのが、こうした日本独特の「謎はすべて解けた!」を目指すスタンスの楽しみ方に対するちょっとした皮肉になっているから――
などと考えるのは、さすがに穿ちすぎな考えだろうか (だろうな( ̄∀ ̄)。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
手品の語源の一つに「手妻」という言葉がある。誤解を恐れずにざっくり言えば、日本独自の発展を遂げた手品だ。
奈良時代に仏教と一緒に伝来した「散楽」をスタートとし、大道芸として発展しながら、江戸時代には「手妻」、「品玉」と呼ばれてある種の完成を見た日本独特の奇術である。
明治に入って西洋から「西洋奇術」が流入し、1900年代以降はその流行の波にのまれる形で手妻は徐々に勢いを失ったが、数が少なくなったとはいえ、今なおしっかりと現存しているエンタメでもある。
ちなみに、「西洋奇術」を「洋妻」と呼び、「手妻」を「和妻」と呼んで区別することもある。
藤山大樹は、その和妻を継承する稀少な「手妻師」のひとりだ。
たまには『オリーブの首飾り』以外の音楽をバックに堪能するマジックもええよね(*´∇`*)♪
こういう手妻を見るに際しては、そのタネがどうこうとかいう見方は、いささか無粋にも思えたりする。無論、あくまでも私見だが( ̄∀ ̄)。
また、ここで披露されている三つの演目、「夜明け」「連理の曲」「大祝梅セイロ」には、それぞれ日本芸能独特の「見立て」が施されている。そっち系統に造詣の浅い私なんぞでは、正直、一回見ただけではその見立てはさっぱり💦だったが、二回目、三回目と回を重ねるごとに新たな発見があり、そういう面でも面白い☆と感じた(*´∇`*)♪
見えたものをそのまま楽しむ。
奇術を堪能する原点に立ち返るには、最高のパフォーマンスだとも思う。
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さて、今日の一曲。キーワードは「手品」
今週の2曲目、日之内絵美で『Magic』
基本ポップな感じなんだけど、どことなくメロウな味がするのは、湿気た曲が大好物な私のお気に♪なテイスト( ̄∀ ̄)♪
ホントは、クレイジーケンバンドとコラボしたアレンジバージョンが、よりカッコよさが加わってさらにグー(o^-')b♪…だったのだが、残念ながらYouTubeにはアップロードされていなかった(*´Д`)
(曲中では「アップロード完了」だったのにね^m^)
おっと、今宵ももうこんな時間だ。
今年は3年ぶりに全面解禁で開催されそうな年末のどんちゃん騒ぎイベントへ向け、マジックのひとつでも披露できるよう深夜の突貫工事練習でも始めるとしようか(o^-')b♪
そんなこんなで、
明日も、なるべく多くの人が、
耳をでっかくしちゃいながら貴重な情報をキャッチできるようなラッキーデーでありますよう✨
■ おまけ
今回の画像しりとり列車 (138両目) の前の車両です。タイトル「エリック・アルモンテ」と右下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。
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