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ジンギスカン           ――画像しりとりはじめました(#41)

(#40)共通の知人→「じん」→ジンギスカン

兄ちゃん、執念深いしこえぇよぉ…

「おーい、弁慶、聞こえる?」
「は。感度良好であります」
「おー♪ いや、スゴいな、このケータイ、っての。こーんなに離れてんのに隣にいるみたいぢゃん♪」
「は。……殿。そろそろでございますぞ」
「んー? あぁ、ちょっと騒がしくなってきたな。
 ……さて、と、じゃあそろそろ逃げるか」
「殿、もはや八方を泰衡やすひらの軍勢に囲まれております」
「え?…… いやいや、オレ、ここを脱出して蝦夷へ逃れ、そこから韃靼経由で大陸に渡ってジンギスカンになるんぢゃないの?」
「それは、あくまで後世のトンデモ伝説です。こじつけと語呂合わせがふんだんに盛りつけられた、決定的な根拠に乏しい、だったらいいなー♪学説にすぎませぬ」
「ええぇ……。あーあ、ダメじゃん、もう

 ……なぁ、この際だから聞いておきたいんだけど、オレのこの肖像画ってさぁ、もぉちょいハンサムさんにならなかったのかな? オレって、未来ぢゃワリと人気者なんだろ?」
「……」
「もしもし。おーい、弁慶、シカトすんなー」
「……」

「……あ、アイツ、立ったまんま逝ってやんの(笑)
 ……しゃあねえ、オレもそろそろ逝くか」


源義経みなもとのよしつね
鎌倉時代の登場人物、いや歴史上の人物の中で人気投票をしても常に上位に入るだろう、人気の人物である。
あまりにも有名なので、いまさらプロフィール等の説明は不要とは思うがザックリとポイントだけをかいつまんでおくと、

平氏を滅ぼすほどの戦争の天才であり、その功により京都の妖怪ひひじじいの寵愛を受けたが、それが面白くない兄ちゃんに嫉妬された末に殺された人

――かいつまみすぎたか(・_・)
……ていうか表現にいささか悪意があるぞ

義経の最期については、兄、源頼朝の画策により、味方であったはずの藤原泰衡の軍勢によって奥州平泉で追いつめられ、ついには衣川の館で自決した、というのが当時の正史ともいうべき『吾妻鏡』の記すところである。

しかし、実は義経はここで死んだのではなく、こっそりと蝦夷へ落ちのびたのだ、とする説がある。
いわゆる『義経北行伝説』と呼ばれるものだ。

まぁ、これについては、そう思われても仕方ないような傍証的事実がふんだんにあるので、致し方ないところでもある。

まずは、義経の首。
『吾妻鏡』が記すところによれば、自害した義経の首は「美酒に浸して黒漆塗りの櫃に収められ、新田冠者高平にったかじゃたかひらを使者として43日間かけて鎌倉に送られた」とある。
旧暦の6月13日といえば、今の新暦では7月下旬だ。いかに涼しい東北地方スタートとはいえ、またどんな高級な酒に浸けられようと、そら首実検する頃にはどこの誰だか解らんような、でろんでろんに腐ってるのがフツーである。

つまり、替え玉の首であっても解りゃしないわなぁw ということ。

実際、源頼朝は、この報告を受けて2年と経たないうちに、御家人の畠山重忠に義経を追撃するよう密命を出している。首実検したのは和田義盛と梶原景時だが、まるで信用されてないのねw (是非もなし)

そして、追撃を命じられた畠山重忠であるが、彼は彼で、諏訪の森で義経一行に追いつくものの、そもそも義経に同情の気持ちが強い重忠は、わざと矢を外し、後を追わずに見届けた、なんて話も残っている。

ちなみに、その時松の木に刺さった矢を御神体として祀ったのが「諏訪大明神」、現在の「諏訪神社」(久慈市)である。物証まで残っちゃってるやんw

さらに、この畠山重忠伝説をはじめ、東北地方から北海道にかけて、『義経北行伝説』の傍証となるような「いわくつきの場所」は、かなりの数に上っている。

現地の写真付きで簡潔にまとめてあるサイトがあったので、ここでご紹介を ↓ ↓ ↓


これはまあ、あくまで個人的な見解なのだが、義経一行が蝦夷へ逃げる、までは、ぶっちゃけあっても全然おかしくないと思う。実際、物証やら伝承やらいろいろ残ってるわけだし。

ただ、さすがに大陸に渡ってジンギスカンになる、はちょっと(笑)。
なんといっても、大陸に渡る理由がない
単に頼朝の追撃をかわすだけなら、蝦夷で十分。当時の蝦夷は、現在のイメージ的には立派な外国だ。

さらに言えば、追手の頼朝自身が、この衣川の悲劇のちょうど10年後に他界している。コワい兄ちゃんがいなくなったのだから、もう追われることもなくなりそうなものなのだ。となれば、ますますもってわざわざ大陸に渡る意味がない。

強いて理由があるとすれば、蝦夷においてもそこにいられなくなるくらいなにか盛大にやらかしちゃった場合くらいだろうか。←これはこれで、ヤンチャな義経ならなんとなくフツーにありそう^m^

ちなみに、源義経―ジンギスカン説を否定する根拠のうち、ちょっと変わった角度から攻めたものがあったので、ここでとりあげてみる。

ヒトの遺伝子のうち、一定不変であるY染色体を調べることによって父系の先祖が辿ることができるわけだが、この「Y染色体マーカー」を使った調査によると、モンゴルから北中国の男性の8%、約1300万人が共通するY染色体ハプロタイプを有し、恐らくモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンの子孫ではないかという仮説である。

そして、このY染色体は、日本人には全く見られないのだそうで、ここからも、源義経=ジンギスカンという説は否定されてしまう。
――義経がもともとモンゴル人で、生まれてすぐ天狗にでもさらわれて常盤御前のもとに連れてこられる、なんてアンビリバボーなことでもない限り
( ̄∀ ̄)


さて、記事のタイトルがジンギスカンなのに、ジンギスカンにほとんど触れないのもナニなので(笑)……ていうか、時間が押しちゃって触れてる時間がないので💦

今週の2曲目、GENGHIS KHANジンギスカンで『DSCHINGHIS KHANジンギスカン』(笑)

この曲、サビの部分はめっちゃ有名なので
♪ジン、ジン、ジンギスカン♪
まではわりとみんな歌える。でも

その後は、殆どの人が歌えない

というww
まぁ、原歌詞はドイツ語だし、譜割もキツいから歌いづらいんやけどね。
てなワケで、一応、サビの部分だけ歌詞をのっけとくことにする。

*Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 Hey Reiter, ho leute, hey Reiter immer weiter
 Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 Auf Bruder, sauft Bruder, rauft Bruder immer wieder
 Lasst noch Wodka holen
 Ho ho ho ho
 Denn wir sind Mongolen
 Ha ha ha ha
 Und der Teufel kriegt uns fruh genug
 
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 Hey Reiter, ho leute, hey Reiter immer weiter
 Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 Hey Manner, ho Manner, tanzt Manner so wie immer
 Und man hart ihn lachen
Ho ho ho ho
 Immer lauter lachern
 Ha ha ha ha
 Und er leert den Krug in einem Zug

ちなみにこの曲、北海道日本ハムファイターズがホームの札幌ドームで勝利した場合、勝利を祝って球場に流れる曲でもある。
そして、その際もサビの部分は

♪ジン、ジン、ジンギスカン♪

と、ちゃんとボーカルが入っているのに、その次のややこしい歌詞の部分になると、誰も歌わず両手を上げリズムに合わせてその両手を左右に揺らす、というなんとも珍奇なごまかし方……もとい振付になっているのだ( ̄∀ ̄)♪


ジンギスカンだけ歌わせるのは不公平なので(?) 義経側の曲も1曲――
今週の3曲目、陰陽座で『組曲『義経』より悪忌判官

ヘビメタと能のコラボという、なかなか凝った趣向のMVが美しい。
第一興商のカラオケDAMだと、このMVをバックに歌えるので、カタルシス約3倍 (当社比) なのだ(o^-')b♪

組曲というからには、この曲で終わりではなく、義経の活躍を描いたこの『悪忌判官』に続き
義経と頼朝の確執から、義経の奥州への逃亡を描く『夢魔炎上
残された静御前の悲哀を描いた『来世邂逅
の三曲構成になっている。

おおっと、いけない、もうこんな時間だ。塾へ行かねば (なんでやねん)

そんなこんなで
明日も、なるべく多くの人が
兄弟仲良く平和な一日を過ごせますよう🧡🧡


■ おまけ

今回の画像しりとり列車 (41両目) の前の車両です。タイトル「共通の知人」とネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってくださると、八艘跳びしながら喜びます♪


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松平雅楽守
こんなダラダラと長ったらしい記事に最後まで目を通していただき、その忍耐強さと博愛の御心にひたすら感謝☆です ありがとうございます ご覧いただけただけで幸甚この上なっしんぐなので サポートは、私なんかではなくぜひぜひ他の優れたnoteクリエイターさんへプリーズ\(^o^)/♪

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