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「まっとう」でない自分が、好きになる瞑想

仕事で忙しい時、ストレスかかっているな、と思った時
私は2-3分だけ瞑想をすることにしています。

最近は、こんな言葉を心の中で唱えて、瞑想しています:

私には、不安があるけれど
私は、その問題を解決する方法を知っています

私は、自分自身の弱さを知っています
私は、弱い存在ではあるけれど、
それを受け入れる強さを持っています

私は、どんな私であっても
私を愛することができます

最近の私のストレスの原因は、「まっとう」という言葉でした。

社会には、仕事や勉強、家族、パートナーシップ何においても、
「当たり前」という暗黙の期待がある
その期待から外れた、または外れるギリギリのところに自分がいると感じるとき、不安と申し訳なさから、自分を低くしてしまう

だけど、そもそも「まっとう」とは?
何ができたら、「まっとう」なのか
何か欠けている人は、「まっとう」ではないのか

そんなことない

みんな生きてきた環境、接してきた人、大事な思い出、印象に残ってる経験、全部違う
それがその人の魅力であり、生きるエネルギー

社会的な「まっとう」に100%合致する人なんて存在しない
私も、どこか外れている

それでも、私は不完全な自分も愛している
私は愛されるに値する人間だ

ぜひ、これを読んで下さって、同じような違和感、不安がある方がいらっしゃれば、2-3分の瞑想を試してみてください。

深呼吸して。

私には、不安があるけれど
私は、その問題を解決する方法を知っています

私は、自分自身の弱さを知っています
私は、弱い存在ではあるけれど、
それを受け入れる強さを持っています

私は、どんな私であっても
私を愛することができます





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