「書くこと」で、言葉がうまく出てこなかったのが治ってきた。
パソコンとひたすら向き合う仕事をしています。デザインをしたりコードを書いたりするのが仕事です。あまり言葉を発することがなかったりします。
ここ数年、コロナでリモートワークになってしばらくたった頃。
口から言葉が出てこないことが増えました。たまに人とする雑談の中でも、定型文をくりかえして乗り切っている状態。「わかるー」「すごい」「たしかに」「なるほど」。オウムか!って自分で突っ込んでました。
言いたいことはあるんだけど、いざ言葉にしていこうとすると詰まってしまう。
音を発せないということじゃないです。言いたいことの塊はあるのだけど、それをどうやって言葉という一本の糸にして吐き出していくのかがわからなくなってしまったという感じ。
頭の中にあるその塊はまだ言語化はされていなくてイメージの塊でしかなく。相手にこのイメージごと転送できればいいのにと思ってしまう。
でも人間はまだそれができないので、塊をほぐして紡いで一本の糸にして時間をかけながら相手に受け取ってもらわなくちゃいけない。その一本の糸を撚っていくのが難しくて、途中でからまったり二本に又裂きになってしまったり。途中でぶちっと切れてしまったり。
考えてみると、人とあまり話さずにテキストコミュニケーションが増えたのはこのコロナ禍だった。
私は文字を読むのがよくもわるくもとても早く、パッと見て意味が取れてしまう。もちろん難しい文章は一文ずつ丁寧に追っていかないと迷子になってしまうのだけど、軽いエッセイや自己啓発本なんかは、パラパラっと頭の中で音読することもなくイメージのまま脳に取り込んでしまう癖がある。
つまり人の紡いだ言葉を時間をかけて受け取って順を追って理解することをあまりしていなかった。
学生のころは音読とかさせられたり、授業を聞いたりする中でそういうことをしてたんだと思う。あの頃は自分で本読んだ方が早いのになあとか思っていた。
大人になってからはインプット偏重だったなと思う。noteを書いたりモーニングノートを書いたりするなどのアウトプットはあまりしていなかった。
もちろん仕事上では文章を書かなくちゃいけないけれど、大抵が箇条書きと定型文で書いてた。それでも自分の考えをまとめることに割と時間がかかっていたと思う。
そう、だから私の話は箇条書きと定型文そのままだったと思う。ぜんぜんなめらかじゃないんだよ。そしてやけに綺麗にコンパクトに短くまとめようとしてしまう。一発ですべてを伝えたいみたいな感覚だった。そして何も話せなくなる。
最近、こんな感じで誰に読んでもらうでもない駄文をつらつらとnoteに書いている。ポメラのキーボードをポチポチと叩きながら、脳内で話すように文章を書いている。
そしてモーニングノートも始めた。モーニングどころではなく、ちょっと疲れたなモヤったなって思ったらノートにガーッと脳内にあることを書き出している。
昔からノートに書き出すということはやっていたのだけど、バレットジャーナル的な箇条書きでいろいろ書き出す形式だった。
私の場合これだと言葉を紡ぐことにはなってなかったんだと思う。要点をまとめるのは得意なんだけど、それをうまく希釈しながら人に伝えるのができなかった。
脳の中の塊をほぐしながら、そして書く時には手を動かしながらだから思考のスピードは必然的に遅くなってしまうのだが、この言葉を自分の中から時間をかけて取りだしていく作業がたぶん必要だったんだと思う。
すぐに変化があった。
会議で発言するときに、すらすらと話せるようになった。今までは完全に混線して何言ってるのかわからない人だったと思う。結論言おうと思っていたのになぜか理由や全然別の事に話がそれて爆死してたり。
理路整然と順を追って話せる人、すごいなと思っていた。
会議で発言しなくちゃいけない機会が最近あったのだけど、あれ?ってなった。なんか自分つらつらと喋れてる。そして無事に結論から理由まで着地できたぞ?
仕様書を書いているときも、仕様書を英語に訳しているときも、なんか言葉がすらすらと書けるぞ?って思った。
こんなすぐに効果がでてくるのは驚き。
じゃあ、書くことを続けていったら、自分はもっと何か変化するんじゃないか。
今はそれが楽しみで書くことを続けている。それに単純に楽しいね、書くこと。
(1800文字も書いてしまった!)