見出し画像

悲しみのなかの真実

石牟礼道子著「天の魚」(続・苦海浄土)を読み終えてしばらく経った。

画像1

読後感想を書くつもりでいたが、モヤモヤとした気持ちでなにも言葉が見つからずに文章にまとめることができずにいた。
そんな折にこの「悲しみのなかの真実」という本を読んでみることにしたのだが、序文を読んで霧が晴れる思いだった。

もしか し たら 皆さん の なか には、『 苦海 浄土』 を 読も う と 思っ た けれど、 誤っ た 理解 を し て しまう のが 怖く て、 あるいは 悲劇 に ふれる のが 恐ろしく て、 これ まで 手 に 取ら なかっ た という 方 も いる かも しれ ませ ん。 私 にも そういう 時期 が 長く ありました。
しかし、 そもそも「 正しい」 読書 方法 など ある の でしょ う か。 文字 の 正しい 読み方 は あり ます。 しかし、 本 の 正しい 感じ 方 など あり ませ ん。 百人 の 読者 が いれ ば 百 通り の『 苦海 浄土』 が あっ て よい。 異なる 読後感 で あっ ても、 それ が 真摯 に 語り合わ れる とき、 そこ には 豊か な 響き 合い が 生まれ ます。 ただ、 自分 の 読み が 絶対 だ と 思わ ない こと は 重要 です。

(『NHK「100分de名著」ブックス 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみのなかの真実』(若松 英輔 著)より)

確かに「どう捉えれば良いのだろう?」「果たして自分は正しく理解しているのだろうか?」といった思いに囚われていたようだ。
そして次のようにも記されてある。

また、 私 たち は 必ずしも この 作品 を 読み通す 必要 は あり ませ ん。「 読め ない」 のは、 そこ で 立ち止まら なく ては なら ない から です。 読書 は 旅 です。 むしろ、 読み通す こと の でき ない 本 に 出会う こと こそ、 喜び なのでは ない か、 と 私 は 思い ます。「 読め ない」 という のは じつに 深遠 な 言葉 との 交わり で あり、 また 豊饒 な 芸術 の、 あるいは 人生 の 経験 で ある こと を 忘れ ない で いただき たい と 思い ます。

(『NHK「100分de名著」ブックス 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみのなかの真実』(若松 英輔 著)より)

『苦海浄土』は多くの人々に是非読んでいただきたい本であるが、この「悲しみのなかの真実」を併せて読むことでより理解が深まるのではないだろうか。

最後に最も印象に残った目次のタイトルを記しておく。

第4章 終わりなき問い

「チッソ という のは もう 一人 の 自分 だっ た」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?