FFXIV Original Novel: Paint It, Black #8
前:
まとめよみ:
18.
████████████████████
██████インパヴィダス野営地████████ナイン███████スリィ████████
███████五五年星二月一日
「ナイン、ナイン……」
誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。微睡みの中から意識を引き上げる、澄み切った水のように美しい声だ。
ナインは重たい瞼を何とか上へ押し上げて、声の主を探そうとした。ぼんやりとした視界の中に、誰かの輪郭が浮かび上がる。
「スリィ」
「おはよう、ねぼすけさん」
天幕の屋根を背景にして、金色の髪を揺らす少女がこちらを覗き込んでいた。どうやらかなり深い眠りに入っていたようで、こうして何度も呼びかけるまで目覚めなかったらしい。自分にしては珍しいことだ。
「時間は?」
野戦用の簡易寝台から机の上を見る。卓上時計は午前八時を示していた。
「ルフスたちと会議なんでしょう?」
「九時からな」
身を起こすとブラシを持った手がナインの髪に触れた。髪を梳かそうとしているようだ。
「いらねえ」
「まあまあ」
こちらの拒否をやんわりと受け流して、彼女はブラシをかけた。灰色の髪が流れに沿って滑らかに下へ落ちていく。こういうのは面倒だ、とナインは思う。いつもは手で軽く流すだけで、スリィがこんな風に髪を梳いてくるのは理解不能だった。
こんなもの、無意味だ。ナインはそう言ったことがある。だがスリィは静かに笑って流すだけだった。以来彼女はスリィのやりたいようにやらせている。無意味だと思うだけで、別に拒否するほど嫌いではなかったからだ。
「次の任務は?」
「ああ」ナインは冷たいパンに齧りつきながら答えた。「捕虜の救出だ」
「あら、まるで特殊部隊みたいね。わたしたちの仕事じゃないみたい」
「普段なら俺たちじゃないだろうな。場所が場所なんだ」
グリュシュカ攻略後、懲罰部隊の立ち位置は少しだけ変化した。
単純に無意味な作戦――たとえばこれまでのような弾除けや威力偵察――が減った。これはカスカ議員の意向が反映されているのか、あるいは実力を持った部隊として認識され始めているのか。幕僚ルフスは何も言わないので彼らにはわからないことだった。
しかし確かに、これまで使用していなかった兵装を持たされることが増えた。実地試験として報告を上げるように指示されており、こちらはナインの事務作業が増えて彼女の頭を悩ませた。
それでも作戦地自体は大きく変化していない。
最前線に送り込まれ、それなりの犠牲を出しながら帰ってくる。そして時間が経てば補充の死刑囚が送り込まれる。彼らの腕章で作った旗は既に大きなものになりつつあった。
まさしく『恐れなし』の名前の通り、彼らを用いること自体は本隊に何の損傷もなく、気軽に前線へと送り込むことができたのだ。
「敵が帝国軍兵士の捕虜を確保し、『列車』に乗せて移送する、なんつー情報が入った。捕虜ん中には本部の士官様と諜報員がいて、そいつらの持ってる情報を持ち帰れ、だとよ」
「――成程、空挺降下をさせたいのね」
「お察しの通りだ」
列車が止まる拠点の警備は厳重、ならば走行中の列車に降下させて救出作戦を実行させたいという考えのようだ。拠点を攻撃する準備自体は進んでいるが、それよりも費用対効果が高い計画が先に実行されるとのことだった。
作戦の概要は聞かされていたが、今日の会議で詳細が詰められる予定だ。ルフスと会うこと自体が憂鬱な行事なのだが、これは隊長の仕事なので仕方がない。もう随分と慣れた。
簡素な朝食を摂取し終え、彼女はブリーフィングに向かうことにした。
「いってらっしゃい」と笑顔で手を振るスリィと別れ、施設内部の執務室へと歩いていく。黒い床、黒い天井、黒い壁。ガレアン族はこんなインテリアで気持ちが沈みやしねえのかね。毎回このような感想を覚えてしまう。
彼らにとっては魔導革命――魔法への適性が低く、北方へ追いやられたガレアンが、青燐水の発見と魔導技術の発展によって強国へと成長したことの象徴なのかもしれないが。
「第五五二独立戦闘中隊隊長、ナイン、入ります」
最初のうちは覚えられず噛みそうな長さの口上も、今では難なく言えるようになった。何度もスリィに教えてもらったものだ。まあ、帝国式敬礼とともに自分の所属を読み上げることの意味はいまだに見出だせないままだけれど。
黒扉が左右に開き、中へ通された。
「時間通りだな、隊長」
「は」
じっとりと湿った声が兜の内側から漏れる。幕僚ルフスの特徴だ。帝国軍から幕僚に与えられる仮面の奥から漏れる声以外に特徴はない。
ただ、中から覗く視線の強さだけは他よりも秀でているように感じる、ものだが。今日はどこか和らいだ印象を覚えた。実際に彼の目が見えているわけではないので、気のせいだと思われた。
『時間通り』というのも彼流の嫌味だ。いつも通りだろう。
「では作戦についての説明を始める。ようく聞いておくように」
██████████████████████████
███████████████████████████████████████████████████
█████████████
███████████████████████████
████████五十五年星二月八日
数日後、魔導輸送艇内部格納庫。
懲罰部隊は空を飛んでいた。前回のグリュシュカと違い、外は見えない。たとえ覗けたとしても夜空が広がっているばかりで何も見えなかっただろうし、ナインはそもそも景色に興味はない。前回の飛空戦艦のような凝った休憩室の方が落ち着かないし、軍用の実用性重視路線は嫌いではなかった。
格納庫の冷たい椅子に座っているのは十五人。
自分を含めてこれが現状の懲罰部隊『インパヴィダス』の全員だった。少ないとは感じるが、各方面に向けた侵略戦争は今なお継続中であり、属州の反乱も少なくはない。
今後もありとあらゆる理由で死刑囚となった人物が送り込まれ懲罰部隊の隊員が補充されることは予想できることだった。
だがそこにフォーティもフィフティーンももういない。番号も、次は誰かのものになる。
格納庫の内部は静かだ。いや隣り合わせの囚人同士で会話自体は発生している。だがいつものように飛空艇が備えた魔導機関の駆動音がやかましく、大人数での会話は向いていないのだった。
作戦は既に各員に伝えてある。輸送艇から走行中の列車へ降りるとなると相当な難易度になるが、何度も何度も降下を経験してきた囚人にとっては実行可能な範囲だった。加えて、落下傘はコルウス氏による改良がなされており、今や降下は懲罰部隊だけのものではなく、空挺降下を専門とする部隊が新設されるとの話も聞いた。
ナインが収監された時には既に懲罰部隊は空挺降下を行っていたが、そうなるとまた別の実験を行うことになるのだろうか。彼女には想像がつかなかった。
「作戦を確認するわね」
隣に座ったスリィが耳元で囁いた。
「列車上部に降下後、ナインは屋根から、わたしは内部から先頭の車両に向かって移動する。下が八人、上が五人、互いの援護を行う。目的は捕虜の確保および救出。捕虜を確保したら車両制圧を維持して拠点まで護衛する。敵の拠点に到着後に本隊と列車内部から攻撃を行い、混乱に乗じて脱出。それで作戦完了」
少女は記憶している作戦をすらすらと読み上げた。どう見ても無茶な話だが、囚人に選択権はなかった。いずれにせよ命令として下されたのならば、従わなければ銃殺刑か、首輪の爆発によって斬首刑が実行されるだけなのだから。
これまでと違うのは実行不可能な戦地に送り込まれるのではなく、捕虜の命を救うという点だった。つまり帰還が望まれている。これは今までの作戦から比べても特異なことであった。まあ、作戦に実行に際して出る犠牲については、全く考えられていないだろうが。
「定刻だ」
軍の士官が言うと囚人が一斉に立ち上がった。それぞれワイヤーを掴んで体を支える。
ハッチの横に据え付けられたランプが緑色に光った。
「グリーンライト!」
魔導機関の駆動音に負けぬようにナインが叫ぶと、囚人たちの顔は引き締まった。すぐに扉が口を開き、格納庫の内部ははびゅうびゅうと風が吹き荒れる。眼下に通り過ぎ行く長い長い列車の屋根が見える。輸送艇は囚人たちを降下させる都合上、列車とは反対を進行方向としていた。
「降下!」
手振りを見て囚人たちが降下を始めた。ナインの番もすぐにやってきて、彼女はもう何度目になるかわからない浮遊感を味わった。今回の高度は高くない。すぐに落下傘を開くことを求められた。列車の上に着地しなければならないからだ。
やがて囚人たちは無事に降下を終えた。夜闇の中をピンポイントに降下しなければならないというのに、よくやったと思う。
落下傘を切り離すと、風に流されて行ってしまった。列車は広い荒野に敷かれた線路を走っている。その速度は決して速くはなかったが、徒歩では追いつけないものではあった。
帝国軍の黒い輸送艇が、遠くの闇へと消えていくのが見えた。空には雲がなく、月がこちらを覗くばかりだった。
ここからは懲罰部隊だけだ。
風が強く耳元を通り過ぎていく音が目立ち、正確な様子は窺い知れないものの、列車の内部は既にざわついている雰囲気があった。敵軍としても帝国製の輸送艇が上空を通過していったことには気づいているだろうし、屋根の上の着地音も聞いているはずだ。
隊長が手振りで指示を出すと、スリィたちは頷いて列車の最後尾へと回った。
ナインと彼女の周りの囚人は、列車の屋根に杭のような装置を設置した。それは自動で回転すると屋根に深く食い込み、固定された。それぞれ列車の外周部に沿うように設置し、備える。装置の先にはワイヤーが繋がれている。
スリィたちが最後尾、足場へと降り立つ。そして扉を開いたのを確認する。
ナインが再び手振りをする。彼らは一斉に屋根上から飛び出した。その体は空中へ投げ出されることはなく、ワイヤーによって引き止められ、列車側面に足をつけることに成功した。
客室を改造したと思われる車両の側面には窓がついており、硝子の向こうに幾人もの反乱軍兵士が詰めているのが見えた。最後尾の扉を蹴破って突入しているインパヴィダスの囚人たちも見える。そして、敵兵は窓の向こうに張り付いているナインたちを見て、驚愕の表情を浮かべていた。
「撃て」
ナインが命じると一斉に銃声が響く。鉛の弾丸は窓硝子を突き破り兵士たちに襲いかかった。今やナインたちの体はワイヤーと足だけが支えた状態であり、両手は長銃を握っていた。長銃のレバーを引いて薬室へと弾を送り込み、再び引き金を引く。後衛の魔道士らしき人間の頭を撃ち抜いて殺害する。
最後尾を警戒していた前衛の兵士たちは、最後尾から突入してきた囚人たちに斬り裂かれて倒れていった。
初撃でほとんどの兵士を仕留め、最後尾車両の制圧を完了した。スリィはこちらに向かって頷き、それを見たナインは手振りをして再び屋根へと戻った。杭打機のような装備を解除して腰のベルトへと戻す。
これは懲罰部隊に与えられた新しい『玩具』だった。建造物側面からの攻撃を想定して作られた装備で、例のコルウス氏が開発した試作品らしい。
これを実戦投入するという建前もあり、今回の作戦では囚人全員に最新式の長銃が支給されていた。ナインの趣味ではないが、長銃とガンブレードによる射撃は一通りの訓練を受けている。全員の背中に長銃がしまわれている光景は一端の帝国軍の兵士になったようで、なんだか不思議な感じを覚えたが、目の前のことに集中するべきだ。
彼らは静かに次の車両へと向かった。
後部車両の騒ぎを聞きつけたらしく、次に側面攻撃を仕掛けた時にはインパヴィダスと敵兵の間で戦闘が起きていた。車両内は狭いと聞いていたので、彼らは普段よりも小さな短剣を装備していた。それが功を奏したのだろう、どちらかというと長柄の武器を装備していた敵を圧倒していた。
加えてナインたちの側面攻撃だ。
正確な射撃が敵の後衛を潰していく。敵は苦戦し、インパヴィダスは有利に戦いを進めていた。二両目、三両目と同じ要領で制圧していく。列車内全体で見れば敵の数は圧倒的だが、走行中の列車内だ。いくら軍用に改造されているとはいえ、通路は狭く、決まった人数でしか戦闘ができない。死線をくぐり抜けてきた懲罰部隊にとって、一対一の戦闘であるならば突破するのは難しいことではない。
諜報部によると捕虜たちが収監されているのは中央付近の車両なのだという。ナインたちはそれに向かって進行を続けた。
「こちら内部、一名負傷」
「了解」
列車は荒野を抜け、両側には岩壁が迫っていた。
それでも側面攻撃は実行可能なため、彼らは再びワイヤーを掛けて側面に張り付いた。内部からはスリィたちが再び進行し続けている。
と、その瞬間。
列車の側面の一部が吹き飛んだ。
「ぎゃっ……」
声をあげながら隊員の一人が後方に流れていった。固定された下半身だけを残して。
「爆裂魔法!」
敵が側面攻撃に対応してきたのだ。破られた壁を避けてナインは引き金を引いた。ローブを纏った兵士が床に倒れる。スリィたちが突撃し、簡素な鎧を着込んだ男が倒れる。
「サーティーフォー、戦死」
ナインは彼のワイヤーを手繰り寄せて屋根に死体を引き込んだ。腕章はない。野戦服の一部を切り取って他の囚人に渡した。
「次が捕虜の収監されている車両よ」
通信機越しにスリィが言う。
「隊長、側面に窓がありやせん」
先に偵察を終えたセブンティワンが報告した。側面攻撃は不可能ということだ。ナインたちは一旦屋根から降り、車両内部へと入った。
木製の座席が並んだ車両内部は魔法や銃弾の嵐によって荒れ果てていた。床には木屑や鉄屑が散らばり、床にも穴が開いている。そして民兵の死体がいくつも積み重なっていた。囚人の一人が腕から血を流しており、応急処置を終えて包帯を巻いていた。
「俺とスリィが先導する」
囚人たちに異論はなかった。インパヴィダスで最も強いのは隊長であるナインと、副官のスリィだったからだ。彼らが先頭でなければ誰が前へ進めるだろう。彼らは二人を全面的に信頼していた。
車両先頭の扉を開くと鋼鉄の扉が見えた。車両下部の連結装置によって繋がれてはいるものの、専用の車両が繋がれているらしかった。
成程、囚人を収めるには相応しい堅牢な雰囲気が漂っている。鋼鉄製の扉に窓はなく、向こう側は窺い知れない。
ナインは短剣を右手に握り、左手を前に出して構えた。何者かが飛び出してきてもすぐに刃を突き出せる形だ。
スリィが狭い足場に立って横開きの扉に手をかけた。すぐに空間を空けてナインが飛び込めるように配慮している。ナインが頷くと、ガレアンの少女も頷いた。
そして――扉は開かれた。
「…………」
内部は暗い。窓がないことは承知していたが、照明も灯っていない。それでも目を凝らして闇の中を見つめると、数人の人間が呻き声を発していることに気がつく。彼らの手に武器はなく――腕は拘束具によって縛られている。
捕虜だ。
ナインがゆっくりと内部へと歩を進める。中に入って闇に目が慣れると、捕虜の他には誰もいないことに気がついた。
「敵影なし」
彼女が言うと後ろから囚人たちが入ってくる。
「姐御、灯りを」
「助かる」
どこから持ってきたかランタンが手渡され、小さな光が車両の中を照らし出していく。
確かに帝国軍の鎧を着込んだ捕虜たちが床に座っていた。彼らはランタンが眩しいらしく、目を細めていた。
「誰だ……?」
「帝国軍だ、助けに来た」
囚人たちが拘束具を解いていく。
「て、帝国軍……? そんな、嫌だ……もうやめてくれ」
救助されているというのに、彼らの顔には恐怖が張り付いている。
一体何が起きたというのだろうか。
灯りで内部を照らしていくと、最奥部に椅子に座った人物が存在することに気づいた。彼は薄汚れた服を着ており、顔には黒い袋が被せられている。他と同様に体を拘束されており、こちらの存在を感知して何事かを呻いている。袋だけではなく猿轡も噛まされているようだ。
ナインは彼に近づき、袋に手をかけた。そして外す。
「――カスカ議員?」
ランタンの光に照らし出された顔には憔悴の色が浮かんでおり、全身薄汚れた様子だが、間違いなく帝国軍の執務室で見た肥満体の男だ。何事かを呻き続けているが、猿轡の奥から唾液が滲み出るだけで声にはならない。
なぜ、彼が?
軍部に影響力のある男ではあったが、帝都にいるはずの人間が、捕虜とともに捕まっているはずはない。
「ナイン?」
背後から声がかかる。
「何かがおかしい」
カスカ議員の幅広の顔には脂汗が滲み、てらてらと輝いていた。目は血走り、こちらに対して何事かを訴えかけようとしている。必死の形相だ。
とにかく猿轡を外してやるべきだろう、と考えた時だった。
彼の腹部が不可思議な光を滲ませ始めた。
「――退避ッ!」
何か確信があったわけではない。
ただ、本能だった。
そしてそれは的中する。
爆発だ。
車両の内部で爆発が起こったのだ。
カスカ議員を中心として車両が爆発を起こし、ナインを始めとしたインパヴィダスの全員が爆風に吹き飛ばされた。
ナインの視界の中で天地が何度もひっくり返る。体のあらゆる場所を強かに打ち付け、打撲の痛みが彼女の痛覚を刺激する。
やがて車両後部の壁にぶつかって停止。口の中に鉄の味が広がった。
「クソっ……」
肺の中の空気が全て漏れ出たようで、吐き気がぐるぐると回っている。視界も回っており、焦点が定まらない。脳震盪を起こしているようだ。
車両は半壊状態だ。壁も天井も多くが吹き飛び、床の一部が残っている有様だ。所々には火がついており、むしろよく全壊しなかったものだと思う。
車内に捕虜の姿はない。爆風で車外に吹き飛ばされたのだろうか。
任務は失敗だ――。
……任務?
待て、いや。
いや。
いや、いや、いや。
そんなことは――あり得ない。
彼女の頭に可能性が浮かび上がった。
情報と違う捕虜の様子、ここにいるはずのない元老院議員、そしてこの爆発。
状況が整いすぎている。
そんなはずはない。
可能性を頭から消し去るべきだ。
まさか俺たちの任務が偽物で。
この出来事自体が。
インパヴィダスの全滅を企図したものだ、とは。
そんな考えが浮かび、ナインの思考が停止していく。
「ナイン……」
「スリィ! 大丈夫か!?」
ナインの思考の霧を払ったのは少女の声だった。彼女は少し離れたところで座り込んでいた。その脇腹には大きな金属片が突き刺さっており、鮮やかな血が流れ出していた。
ナインは痛みを押して立ち上がり、彼女の元へと駆け寄った。
「このままだと危険よ……早く次の車両へ行って……」
「置いていくか馬鹿!」
「そ、そうだぜ、嬢ちゃん……仲間を置いていくかってんだよ……」
びゅうびゅうと風が吹きすさぶ車両内に残った囚人たちが、呻きながら立ち上がる。その数は三人ほど。他の姿は見えない。彼らはおそらく、もう――。
「肩を貸す、立て!」
「ぐ、ぅ……」
スリィの腕を肩に回して立たせた。彼女は苦しそうに呻き、脇腹から血が流れ出る。すぐにでも処置を施すべきだが、この場に留まるのも危険だ。
「俺、先導します!」
囚人の一人が前へ出る。彼も腕に怪我を負っているが、それでも武器を手に前へ進んだ。
ただ、仲間のために。
ナインとスリィはゆっくりと足を進めた。列車はいつの間にか岩壁の谷間を抜け、山沿いを進んでいた。左側は山肌が見えるが、右側には暗い谷底が広がっている。
二人は強い風に苦しめられながら前へ進んだ。
先導する囚人が鋼鉄の扉を開いた。
民兵が車両の連結部を操作しているのが見える。前部は貨物車両のようで、おそらく損傷した後部車両を切り離そうとしているのだ。
「貴様っ!」
若い囚人が敵に掴みかかった。民兵は驚きの声を挙げてひっくり返りそうになったものの、すぐに武器を抜いて応戦した。民兵の持っていた直剣が囚人の鎧を貫き、腹を抜けて背中から顔を覗かせた。
「フィフティファイブ!」
ナインが叫んだ。囚人は二人の方を見、口から血を流しながらも笑顔を浮かべた。民兵は直剣を抜こうとしたが、囚人が離さない。彼は民兵を強く抱きしめた形のまま、車両の外へと身を投げだした。
二つで一体となった影は谷底へと消えていく。
「そんな……」
「クソ!」
二人はようやく連結部に辿り着いた。スリィの顔には血色というものが消失していた。蒼白な顔のままで俯いている。
連結部は半分以上緩められており、がたがたと音を立てている。このままではすぐにでも連結が解除されそうだ。
二人一緒に渡るのは危険だと判断し、スリィを先に行かせることにした。
彼女は弱々しく歩く。ナインの補助がなければ歩行は難しく、手摺を掴んで何とか立っている。彼女は腹を庇いながらゆっくり、ゆっくりと前へ進み、隙間の開いた連結部を超えて次の車両に降り立った。
少女は何とか次の車両に渡ることができた。
次は俺の番だ、と足を踏み出そうとした瞬間。
がこん、と音を立てて車両が揺れ、ナインは体勢を崩して転がった。残った囚人たちが背景の谷間へと落ちていく。
「ナイン!」
スリィが叫ぶ。
背景の闇へと円形の何かが落ちていくのが見えた。おそらく列車の車輪であろう。爆発の規模を考えれば、今まで無事に走っていたのが不思議なほどであった。
そして車輪の外れた車両は脱線を起こし、火花を上げて列車の速度に負荷をかけた。
もちろん、その負荷は車両連結部にも及んだ。
大きな負荷がかかり、連結部が次々に解けていく。
「ナイン、早く!」
「ああああぁぁぁああ! クソ、クソ、クソ!」
ヴィエラの女は何とか立ち上がり、連結部まで足を動かした。不規則に揺れる車内では、非常に難易度の高いことだった。
ナインは何とか連結部に辿り着き、手摺に手をかけ、足を踏み出そうとした。
その時だった。
無情にも連結部は崩壊する。
後部の車両が完全に線路から脱線し、谷へと投げ出されたのだ。その衝撃によってナインのいる車両も外へと引っ張られる。
彼女は何とか手を伸ばそうとする。
だが、遠い。
次の車両は遠すぎた。スリィがこちらを見て何事かを叫んでいるのが見えた。時間が鈍化していき、彼女が何を叫んでいるのかわからなかった。
もういい。
ここでいい。
仲間は死んだ。
俺も死ぬ。
ここまで戦い続けてきたのだ。
ここが終わりなのだと誰かが言うのなら、俺はそれでもいい。
お前を生かせるなら、それでいい。
ナインは伸ばした手を下げようとした。
――その手を掴まれた。
「スリィ!?」
少女は最後に残った力で手を伸ばし、下がりかけたナインの腕を掴んだ。そして渾身の力でナインの体を引き寄せた。
その手は手摺を掴んでいない。もしスリィが手摺を掴んでいたのなら、ナインの腕には届かなかっただろう。彼女はほとんど見を投げ出すようにして腕を伸ばしていたのだ。
ナインは彼女の力によって落ちゆく車両から引き上げられた。
だが――入れ替わるようにスリィが宙へと投げ出された。
何も掴んでいないのだから、彼女を支えるものは何もなく、ナインとの位置交換と落下は当然で、必然で――。
「さよなら。大好きよ、ナイン」
「スリィ――!」
貨物車両の足場に着地したナインは叫んだ。
スリィは微笑みを浮かべた。
蒼白な笑顔もすぐに谷底へと消えていく。
車両とともに落ちていく。
ナインは手を伸ばしたが、その先には闇が広がっているばかりだった。
「……馬鹿野郎……」
死にたくないんじゃなかったのかよ。
クソ、クソ、クソ!
彼女は床に崩れ落ち、拳を叩きつけた。
何度も、何度も、何度も。
19.
████████████████████████████
████████████████████████████████████████████████████
██████████████
██████████████████████████████████████████████████████
████████五五年星二月九日
ナインは生きていた。
いや、違うだろう、訂正すべきだ。
ナインは死んでいなかった。
死んでいなかったから、彼女は列車から脱出することに成功した。
死んでいなかったから、山中を歩き、森の中に身を隠すことができた。
死んでいなかったから、歩くことができた。
スリィが――『死にたくない』と言っていた少女が、命を投げ出して、彼女を助けたから。だからナインは死んでいなかったのだ。
全身打撲による痛みは時間が経過するごとに酷くなっていった。最初は脳内麻薬が出ているから痛みが薄かっただけで、これが本来のものだ。彼女にとってはどうでもいいことで、むしろ痛みが自分を罰してくれるような気さえしていた。
罰?
何のための?
誰のための?
答えの出ない疑問が浮かんでは消えていく。自分は考えることが得意ではない。答えが出ないなら思考を停止すべきだし、考えるべきことはスリィが考えてくれる。
だけど今回は。
何度も湧き上がってくるのだ。
――ナインは当て所なく森を歩いた。行き先などない。本来なら帝国軍と合流すべきであろうが、それが本当に正しいことなのかわからなかった。後回しにした思考の中でも一番面倒なやつが鎌首をもたげる。
俺たちは謀られたのではないか、と。
わからない。
軍が何を考えているのか皆目見当もつかない。だが懲罰部隊に入れ込んでいたカスカ議員もろとも吹き飛ばされたことを思えば――軍にとって懲罰部隊が邪魔になったのだろうと予測はつく。
予測がついたところで、今後の方針が決まるわけでもない。首輪は相変わらず機能しているし、作戦地域を離れれば自動的に爆発するはずだ。だからこうやって当て所なく歩いているしかないのだ。
……いや、待て。何かが引っかかる。
ナインは乏しい思考力を目一杯使って、違和感を探り出す。
ああ、そうだ。
首輪だ。
俺たちが邪魔だったのなら、どうして即処刑しなかったのだろうか。
銃殺でもいい。
首輪を爆発させるのもいい。
軍にはそれができたはずだ。
だというのになぜ捕虜の救出という任務を与えてまで、回りくどい手を使ったのだろう。
違和感には気づいたものの、いくら考えても答えは出なかった。それを考えるには手がかりが足らず、代わりに考えてくれた友は、既にそばにいない。
やがて彼女は森の中で小屋を見つけた。
木造で古びており、湿気のためか外装は苔に覆われている部分も目立つ。猟師が狩りのために建てた小屋だろうが、何年も放置されていたもののようだ。その扉は開いており、中は暗闇に包まれている。
当て所なく歩くよりはいいかと思い、ナインはふらふらと小屋の扉へと導かれていく。その先に何があるのか予想も立てず、警戒もしていない。もし彼女の命を狙う者がこの場にいたとすれば、それはやすやすと成功していたことだろう。
半開きの扉を引いて中へと入る。中には一人の男が在った。暗灰色の口髭を蓄えたララフェルだ。
「セブンティワン?」
「やあ隊長、壮健なようで、何よりでさぁ……」
懲罰部隊インパヴィダス、囚人番号七十一。彼は腐った木造壁に背中を預けて座り込んでいた。その顔に血の気はなく、口の周りは赤で彩られていた。見れば小屋のところどころに血溜まりができていることに気づく。外傷は見当たらない。
ナインはすぐさま彼の元へ駆け寄り、屈んだ。
「大丈夫か?」
「いやぁ列車から落ちて助かったのはいいんですが、どうも内蔵をやったみたいでね」彼は力なく笑った。「駄目ですなこりゃあ。死にますわ」
「諦めんなよ、俺がどこか安全なところに連れて――」
「はははぁ、どこへ行くおつもりで?」
「それは……」
セブンティワンは悟っている。懲罰部隊の全滅を企図した人物がいることを。
ナインは答えに窮した。
そもそもの話。
今となっては己の身すら助かろうなどと思っていないのだ。
「いいですか隊長、それよりもだ。あたしのことは放っておいて、あんたはエオルゼアへ行きなさい。帝国ほど文化が進んじゃいないが、こっちにはねえ『自由』の気風がありやす。あたしゃあ元冒険者でした。あんた、知らない土地に行くのはお好きですか? もしそうだったら、冒険をなされよ」
「いや、無理だろ……」
セブンティワンは一気に喋ったのが堪えたのか、口元を押さえてごほごほと咳をした。液体の混ざった音がして、彼の手が真新しい赤色で上塗りされた。
「失礼、どうもだいぶキてるみたいでね……。それで話を戻しますが、隊長、あんたにこれを差し上げます」
彼は懐から何かを取り出し、彼女に差し出した。ナインは彼の手から布包みを受け取る。布をほんの少しだけめくると、中には青色と紫色の中間色のクリスタルが見つかった。手のひらほどの大きさだ。
「これは」
「あたしゃあ悪い方の人間ですからね。いずれこいつで上手くドロンするつもりだったんすが……こうなってみると無理みたいですからね。だから――隊長にやります。もうあたしらはおりませんから。あんたが守るべき人なんて、もうおりませんから。あんたを縛るものは何もねえんです。元より懲罰部隊なんぞあんたの居場所じゃあなかったんです」
彼が手渡したのは雷波妨害クリスタルだ。帝国に敵対してきた国が度々用いていた、特殊なエーテルを帯びた水晶であり、あらゆる雷波を妨害する作用がある。
それはもちろん、懲罰部隊に巻かれた首輪についても同じ作用を及ぼすだろう。布は見たところ、絶雷布だ。セブンティワンは自分の脱走のため、首輪を無効化するクリスタルを隠し持っていたのだ。
「あんたなら追っ手を排除することだってできるでしょう。あんただけが、あたしらが生きていたことを証明できるんです」
ララフェルはふっと微笑んだ。
「だから、おゆきなさい」
ナインは父親というものを知らない。故郷の森に住まうヴィエラは皆そうだ。ヴィエラの男の大半は繁殖のために故郷に寄る以外では常に集落の外で暮らしている。だから彼女は父親という存在を意識したことがなかったが――彼女は知らぬはずの父親を思い出した。
ナインはしばらく俯いていた。
しかし、彼女は顔を上げて立ち上がった。
「ありがとう」
「ええ。それではさらば、また来世! なんつってねえ」
「ああ。さよなら、セブンティワン」
彼女は小屋を出た。後ろを振り返ることはしなかった。
ナインは森に潜んだ。
故郷での経験、そして師の教えから山中での暮らしは難しいことではない。どのように雨水をしのぎ、どのように獲物を仕留め、どのように敵を遠ざけ、あるいは避けるのか。それらは全てナインの底に根ざしたものだった。それでも首輪の装置の解除にはかなり手間取った。
敵地の森林地帯とはいえ帝国軍は脱走兵を許しはしなかった。もしかすると懲罰部隊の兵士が行方不明、または生き残っていること自体が不都合だったのかもしれないが、とにかく追っ手は何度もかかった。雷波妨害のおかげで正確な位置は知られずに済んだため、ナインにとって追っ手を撒く、あるいは殺害するのは決して難しいことではなかった。
やがて彼女にとって帝国軍の兵士は獲物の一つでしかなくなった。生きる糧を得るための獲物。新しい武器や道具をもたらすための獲物。衣服や装備を得るための獲物。何十人もの追っ手を殺害し、彼女は西へ西へと向かっていった。
目指すはアルデナード小大陸だった。セブンティワンに言われたこともある。イルサバード大陸にいるよりも西州の方が追っ手がかかりづらいということもある。
そうして彼女はイルサバード大陸を越え、ギラバニアを越え――帝国軍駐留地域であるここでもいくつか問題は起きたが、解放軍との接触で何とかなった――、グリダニア領である黒衣森へ到着したのであった。
それまであらゆるものを見た。
山脈に住まう人々と澄み切った空、潮風の香る海辺の穏やかな街、砂嵐吹き荒れる荒野と強かな人々、肥沃な森林地帯と理解が難しい信仰。いろんな場所に、いろんな人間がいて、いろんな生き方があった。
黒衣森は外部の者を排斥しようとする気配があり、実際森林を警邏する鬼哭隊には一度不審者として捕まってしまった。いくつかの事実を伏せつつ事情を話したところ、グリダニアの都市内で解放されたが、追っ手から奪った路銀は尽きかけており、その晩の宿にも困る有様だった。
そのため彼女は傭兵を始めたのだ。結局のところ、彼女は力を振るうことしか能がない。《首斬り兎(ヴォーパルバニー)》と呼ばれた自分の能力を活かすには、これしかないのである。
そこで名前が必要になった。彼女はもう何年も名乗っていない名前のことをしばらくぶりに思い出したが、『それ』を名乗ることはしなかった。
「ナイン・フィアレス」
インパヴィダスの囚人番号九。エオルゼアでの共通語に置き換えるとこんな感じになるそうだ。
彼女はそう名乗ることにした。
彼らが生きた証が、己なのだから。
続く。
次:
感想・拍手などを投げ入れる箱(匿名可能・note登録不要):