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日本社会党とは何だったのか 雑感-ウクライナ情勢の見解への二転三転-

一方的に削除された記事

 (社民党は公式見解の重みをどれだけ理解しているんだろうか。)そんなことを2022年2月23日付の社会新報の記事が党の公式ホームページから何の通告もなく削除されたという記事を読んだときに感じた。(※1)

 当該記事によると、ロシアとウクライナの緊張関係の背景には、NATOの東方拡大や、2014年2月にネオナチ勢力によって親露派大統領が政権を追われて以降アメリカが30億ドル以上の武器をウクライナに供給していることにあるとした。これらの行為についてロシアは懸念を示しているが、国際社会はロシアの懸念を正当なものと認め、アメリカにロシアとの交渉を促すべきであると主張した。また、ロシアの侵攻可能性を示唆する情報は不確実なものであり、侵攻説はバイデン政権とアメリカの主要メディアが拡散しているものであるとした。(※2)

 当該記事がホームページに掲載された2月18日時点ではロシアはウクライナへの侵攻はなされていない。(※3)ただ、全体としてロシアのウクライナ侵攻がないと解釈できる当該記事は見通しが甘かったと言える。また、当該記事では親露派大統領が政権を追われたのはネオナチ勢力の暴力があったからだとしているが、ネオナチ勢力のソース、根拠は当該記事では示されておらず、その点でも主張の正確性を疑わせるものであった。それらに加え、理由も示さずに一方的に党のホームページから当該記事を削除したことは有権者に対する不誠実であると同時に、ご都合主義的な態度の表れでもあり、公党にあるまじき行為であった。(※4)

社民党の釈明

 3月3日社民党は同党公式ホームページで、2月23日の当該記事は誤まった情勢認識の上に執筆、公表されたものであり、党の立場とは異なるものであると発表した。同記事を誤って掲載したのは校正・管理体制の甘さにあるとし、それらの点についてお詫びするとともに当該記事を撤回し、再発防止に努めると発表した。また、併せて一切説明なく一方的に削除したこと、ミスにより再度ホームページ上に掲載したことについてもお詫びするとした。(※5)

 しかし社民党の釈明には、なぜ社民党は情勢認識を誤ったのか、校正・管理体制の甘さの原因は何か、そして一切説明することなく公式ホームページから当該記事を削除した原因についての言及はなかった。再発防止に努めるというのであれば、情勢認識を誤ったことおよび当該記事を一方的に削除した原因などについての説明があって然るべきだ。仮にこれらの原因について調査、分析を行っている段階であったとしたら、調査、分析中であること、原因が判明した段階で調査結果を公表し再発防止策を有権者に示すことをはっきりと公の場で言明することが公党に求められる責務である。そうした責務を果たす発想がない時点で社民党は公党としての役割を放棄していると言わざるを得ない。

北朝鮮による拉致事件への対応と共通する体質

 社民党の党としての無責任さとそれに関連する形でのいい加減さは今回に限ったことではない。社民党は「月刊社会民主 1997年7月号」に北川広和論文「食糧援助拒否する日本政府」を掲載した。北川は論文の中で北朝鮮による拉致事件は根拠がなく、北朝鮮への食糧支援を拒否するために使われたものであると主張した。だが、2002年の日朝首脳会談で当時の国防委員長金正日が拉致を認めたことで北川論文が批判されると、社民党は党の見解ではなく幅広い識者の見解を掲載しただけとする一方で(※6)、「拉致問題の真相糾明のため十分努力しなかった点を認める」として当時の党首土井たか子が謝罪をした。(※7)

 社民党はいろいろな見解があるとして、社民党に共感する識者の主張を自由に(放任する形で?)党の機関紙に掲載、公表するも、事実関係が異なることやずれていることで世間から強い批判が出ると、自分たちとは関係がないとして北川論文掲載の責任を回避しながら、拉致問題についてお詫びをした。だが、こうした態度は公党として何がしたいのかという思いを有権者に抱かせるだけである。

無責任の政治の枠にあった日本社会党・社会民主党

 以上のような無責任でいい加減な体質の社民党から、私が思い出すのは丸山眞男の論文「超国家主義の論理と心理」である。私は日本という社会全体の体質として責任をいかに回避するかという点では、十五年戦争中の国家の指導者も社民党も同じなのではないかと考えずにはいられない。

 社民党がかつて日本社会党として活動をしていた際には、少なくとも建前においては従来の保守政治とは異なる新たな価値観に基づく政治を目指しており、丸山の「超国家主義の論理と心理」に見られるような政治家、指導者とは異なる新たな体質による政治を行う可能性を秘めていた。だからこそ、高畠通敏は日本社会党を「『封建的』な社会慣習と闘い、生活の合理化をすすめる生活革新の党だった」と主張した。(※8)

 しかしこれらの経緯から言えることは、しょせん日本社会党、社民党も無責任という点で従来の保守政治の枠を超えることができなかったということである。日本社会党も社民党も体質においては保守政党同様であったというのは皮肉としか言いようがないだろう。

皆が集まっているイラスト1

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(※1)

(※2) 

(※3) (※1)で引用をした記事も2月21日の記事で、ウクライナへの本格的な侵攻は2月24日のウクライナ時間の午前5時頃のため、削除を指摘した記事の段階でも本格的な侵攻はなされていない。

(※4) そもそも社会新報の記事は既に紙面の形で配布されており、ホームページ上から削除しても社会新報の記事自体を抹消することはできない。

(※5)

(※6) 現在は党の公式見解が削除されているため、社民党の機関紙の責任者の見解を掲載する

(※7)

(※8)  高畠通敏編「社会党」「Ⅲ 社会党にもの申す」「一  社会党はいま、何をなすべきか」 P127


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