久生十蘭『墓地展望亭・ハムレット他六篇』
久生十蘭の短編集『墓地展望亭・ハムレット他六篇』を読んだ。ここ最近ずっと読み進めている山田風太郎の日記の中で、『ハムレット』が褒められているのを見て「へ〜」と思って読んだのだけど、面白かった。風太郎は読んだ本の感想はあまり書かないし、褒めることは稀なのでたまに褒めている本は気になる(と思って見返してみたら褒めていたのは『勝負』という作品だった。なぜハムレットだと思い込んだのだろう?)。以下、各編の感想。
『骨仏』
磁器の白さを出すのに人骨を使うという話、私が初めて見たのは二階堂奥歯の日記『八本脚の蝶』を読んだときだったかな。どことなくエロティックな趣で、十蘭や奥歯のような怪奇幻想好きには響く逸話だろうと思う。
この話では沖縄の琉歌に日本内地の和歌を被せて引用するシーンもよかった。浮世離れした話でありながら、ファイアンス焼きより白い磁器を発明できたら売れるだろうと算段していたりと妙に俗っぽい。幻想的・衒学的なモチーフと当世風俗に取材した地に足ついた描写が両立された、作者らしい掌編。
『生霊』
狐に化かされて踊っていると思っていたら、向こうもこちらを狐が化けていると思っていた話。結局この娘は狐なのか、主人公も幽霊なのか、曖昧なまま読まされてしまった。それにしてもあざといくらいの狐娘キャラだ。
『雲の小径』
雲中を飛ぶ飛行機が夢の世界や彼岸との通路になる感覚はわかる気もする。主人公は夢の中の雲の道を辿って現実に戻ってこれたけど、本当はどちらが夢だったのかこれもまた曖昧さを残して終わるのがよい。
『墓地展望亭』
正体を知らずに好き合った美少女が実は小国の王女だったという「ローマの休日」みたいな展開!初出はこちらの方が先だけれど。
主人公の龍太郎君は欧州放浪十五年のシティボーイなのに、発奮すると「おれも日本の男いっぴき!」と男塾じみた気合いを入れ出す愉快な男子です。全体的に『舞姫』の太田豊太郎にもっと気合いがあったら、というような話。
『湖畔』
この短編集の中でもベストの作品。
という書き出しで始まる、父から息子に宛てた殺害告白状。醜い容貌ゆえに誰にも愛されず傲慢卑屈に育った男が、初めて愛した少女を妻にするがコンプレックスから素直に愛情を伝えられず、寝取られ、そして悲劇へ……。
ヒロインの陶がとにかく天使のようでかわいい。そしてくだらない見栄にこだわって陶を衰弱させていく主人公が本当に憎たらしい。憎たらしいが、その気持ちはすごいわかるんだ。自分に自信がないから他人の好意を疑ってしまうし、嫌われるのが怖いから束縛してしまう。そんな人間が妻を寝取られて、世間体から妻を手討ちにしたことにしようとする。殺す意気地もないからこっそり陶を逃すが、陶は夫を思って自殺する。湖から上がった死体を見て男は初めて愛の真実を知り涙を流して後悔する。
つまり、寝取られでありながら純愛、そんな小説。
『ハムレット』
ハムレットを演じる役者が上演中の事故(実は仕組まれた事件)で記憶を失い、自分をハムレットだと思い込んで生活するようになる。このプロットだけでいろんな作品が書けそうだが、この『ハムレット』はいつしか記憶を取り戻したハムレットが、再び殺されないようにハムレットを演じ続けていたという二重構造になっている。自分をハムレットと思い込んでいるハムレット役のふりを演じる「佯狂と演技の時間」は、解説の川崎賢子が言うように、それが演じられた戦争中の時代と重ね合わされているかもしれない。
疎開する母校へ熱烈に愛国的な「訣別の辞」を捧げた直後に、
と日記に記した1945年6月17日の山田風太郎を思い出した。
『虹の橋』
出自の暗さを引きずる女性が、名前と経歴を他人といれかえて別の自分になり変わろうとする話。自分ではない別の誰かになりたいという思いはこの短編集の中で繰り返し取り上げられている。
『妖婦アリス芸談』
フランス、イギリス、アメリカを股にかけた女掏摸の一代記という体で、いろいろな史実の事件や人物をパロディしている。
という語り出しからグイグイ引き込まれる文章。他の作品もそうだけど、久生十蘭は書き出しがうまくて頭からストーリーに入っていきやすい。アリスが語る犯罪手口は結構ディテールが細かくてわくわくした。
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