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(絵画を趣味に・上)画材を買いに街へ出かけた

 学生の頃、美術部で絵を描いていた。経験豊かな部員が鮮やかな具象絵画を描くのを眺めながら、僕は突飛な抽象絵画を偏愛した(厳密には抽象絵画しか描くことができなかった)。満足のいく絵が描けた例は数少ないけれど、真っ白なカンバスと向き合っている時、自分を支配する様々なものから自由になったように感じられた。
 いま、社会人になって1年が経とうとしている。趣味といえるものを省みるに、使用していた画材は学部卒業と同時に美術部へ寄付してしまった。スイミングで身体を動かしたいのはやまやまだが、ジムの入会手続きを面倒に思っていたら、はや転勤の内示が伝えられる時期になってしまった。ふむ、足元で「趣味」といえるものは、読書くらいである。
 それでは、なんだか退屈だ。と、いうことで、「絵画」をあらためて趣味にすべく、画材を買いに行くことにした。向かったのは錦糸町駅南口から歩いて5分程度の場所にある、老舗の画材店。

墨田区の画材店

 店内には所狭しに画材が並んでいた。思い返せば、大阪で学生をしていた頃は、道頓堀近くにある画材店に通った。あの店もこんな感じだったなあと、妙に懐かしい気持ちになった。ひととおり店内を眺めた後、スケッチブックと絵筆を購入。本当は画材も買いたかったのだけど、アクリルの12色セットが品切れだったから、ネットで調達することにした。

購入したスケッチブックと絵筆

 ところで、僕が画材店に足を運ぶとき、ある母娘の記憶が蘇る。先の道頓堀の画材店で買い物をしていたところ、母娘と思しきふたりが店に入ってきた。母は芸大受験との文脈における「お受験ママ」で、高校生くらいの娘に厳しい口調で画材選びを強いていた。「落ちたらどうするの」。母から発せられる鋭い言葉が、店内を支配した。思うに、芸術への意欲は強いられることで生じるものではなく、潜在する創作意欲が何かの拍子に萌芽して、育っていくものであると解する。このことは、アロイス・リーグルの主張する芸術意志の理論に支援されるかもしれない。あの娘が無事に、芸大に進学したのかもはや知る由はない。ただ、いまもこの世界のどこかで生活していて、心から楽しみながら絵を描いていてくれたら良いなあと思う。

ひょっこり顔をみせる東京スカイツリー

 曇天に向かって突き抜ける東京スカイツリーを眺めながら歩き、アルカキット錦糸町内にあるくまざわ書店(関東圏ではメジャーな書店らしい)錦糸町店に向かう。興味を誘う帯の付された法律入門書や、表紙で踊る「マスコミはなぜ嫌われるのか」との文字につられて雑誌『世界』を斜め読みした。その後、催事売り場で開かれていた鹿児島物産展で「かるかん」を購入して家路についた。

(後編)


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