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映画の感想をざあっと
見た映画の感想 2024年7月〜
SNSに書き散らかしていた映画、本、日本酒の感想と記録をまとめるためにこのnoteを始めた。まず、2024年7月から11月頭まで見た映画メモです。濱口竜介の著作『他なる映画と』を読んだことにより、見てみようと思った映画が多い。ネタバレなど気にせず書いています。
7/21/24
ハワード•スタイン『Rio Bravo』(1959)
濱口竜介が好きだというアクションつなぎ、そこには意識が向かわず。ジョン・ウェインの爺さんぷりと、若い女とちゃっかりうまくいくのがよくわからない。
7/25/24
83年の相米慎二『ションベン•ライダー』
DVDをDISCASでレンタル。永瀬正敏、坂上忍、河合美智子。14歳くらいか。危険なアクション、露出と暴力、今なら同じように撮るのは難しいだろう。冒頭から長回しと引きのカメラで一度にたくさんのことが同時に、しかも次々に起こるから混乱するのだが、これは映画に携わる人たちに多大な影響を与えた作品であることがすぐにわかる。子どもの時に見ても多分おもしろくなかっただろう。いま見ることができて良かった。
8/2/24
濱口竜介『寝ても覚めても』(2018)
なんとなく見るのをためらっていながら長い年月が過ぎ、今日ふと見てみようという気に。ホラーだった。終わり方の気まずい感じがたまらなかった。唐田えりかが堤防の先に見る海、その虚無の表情がおそろしい。震災後数年経って、帰省の際、ふと思い立ち地元から最も近い海岸へ行った。砂浜は高い堤防で覆われ、わたしが小さい頃スイカ割りをしたり唇を紫に震わせながら泳いだ海はそこにはなく、遠くに太平洋を眺めた。そのことを思い出した。
8/3/24
黒沢清『CURE』(1997)
黒沢清の映画を初めて見た。人物の動きに先回りしてカメラが右へ向き、誰もいない道を映しながら、その画面に再び人物が入り込んでくる場面でゾワっとしてしまう。これだけの動きで、こんなに恐ろしいのかと。20年以上前の映画が全然古びずにある事にも驚いた。
8/6/24
三宅唱『夜明けのすべて』(2024)
起こりそうにないことは起こらない、無理なご都合主義が無い、そういう映画はほとんどないのかもしれないし、そういう映画が成り立つことは奇跡的なのかもしれない。フィルム撮影なのかな、質感が良かった。淡々と退屈だが、場面場面で、うわ、きれいだな、と思う映画だ。
8/11/24
エドワード•ヤン『牯嶺街少年殺人事件』(91年)
昔、映画館で2度見ているはずだが、主要な場面以外はすっぽり忘れていた。暗闇の中で起こる暴力は何が何だかわからないゆえに怖さが増す。そして、なんと悲しい話なのだろう。当時はそう感じなかった。
8/12/24
濱口竜介『ドライブ•マイ•カー』(2021)
2回目鑑賞。途中までのつもりがおもしろくて最後まで。
8/14/24
エルンスト・ルビッチ『陽気な巴里っ子』(1926)
yumboの澁谷浩次さんがツイートで紹介していた。無声映画ゆえの大げさな動きと表情が志村けんみたいで笑ってしまう。踊り狂う人々が大勢で溶け合う万華鏡エフェクトのかかった舞踏会シーンは迫力がある。澁谷さんが字幕翻訳を手がけている。
8/15/24
『北極百貨店のコンシェルジュさん』(2023)
Netflixで鑑賞。絶滅した動物たちがいきいきと動き回るのがユーモラスで少し悲しくもなりつつ、絶妙な淡い色合いにため息が出た。雪もきれいだった。
8/17/24
フリッツ・ラング『スカーレット・ストリート』(1945)
濱口竜介の本で触れられていたので見てみた。火サスの原点みたいな話。最後行くところまで行くのは容赦ない。作中に登場する絵はとても良いと思った。
8/18/24
フリッツ・ラング『飾窓の女』(1944)
昨日見た『スカーレット・ストリート』の前年に同じ役者を使って制作された別の話。こちらの方が常にドキドキさせられて大変面白かった!フィルム・ノワールとはこういうものなのかと思った。夢オチでも全然残念とは思わなかったし。
8/20/24
映画ではないが黒沢清『花子さん』(2001)。京野ことみ、馬渕英里何、加藤晴彦、加瀬亮。引きの構図で歩く人の動きをカメラが水平移動で追いかけ、ズームしない。京野が教室に入り、中にいた馬渕が振り返らずカメラに背を向けたまま顔を見せない。そういうところが怖かった。
8/22/24
溝口健二『近松物語』(1954)
初めての溝口健二作品鑑賞。主演は歌舞伎俳優の長谷川一夫、ひたすら濃い顔。香川京子と南田洋子。素直に面白い映画で楽しく見れた。濱口竜介の本で語られていたのは、茂兵衛という主人公の名前がm音からh音へ、口を閉じてから息を吐き出し内から外へ響くことが、人物の感情の変化・開放と呼応している、ということだった。江戸時代に「おさん茂兵衛事件というのが実際にあり、これをもとに近松門左衛門や井原西鶴が本を書いた。『好色五人女』では主人公の名前が茂右衛門(もえもん)だそう。映画はもえもんじゃなくてよかった。もえもーん!と女が叫んだらお笑いになってしまう。
8/24/24
クリント・イーストウッド『ミスティック・リバー』(2003)
見終わってひとこと目の感想、 かわいそうすぎる!デイブがただただかわいそうで、google検索したら「ミスティック・リバー デイブ」と入れた時点で「かわいそう」と出てきた。みんな考えること同じ。
濱口竜介の本で「謎は解かない方が絶対面白い。ミステリーというのは絶対に面白くかつ絶対につまらない形式。謎解きにおいてミステリーがつまらなくなるのであれば途中でミステリーであることをやめてしまえばいい」とあり、途中でジャンルを変更したのが『ミスティック・リバー』。ミステリーから悲劇へ移行している。
『悪は存在しない』がまさに、ヒューマンドラマもしくは社会派ドラマみたいな感じが突然ミステリーに変わり、しかも解決されないまま終わる、という『ミスティック・リバー』とは逆パターン(?)をやってた。
8/25/24
ホン・サンス『正しい日 間違えた日』(2015)
主演のキム・ミニは『お嬢さん』という映画で少しトラウマになるくらい不気味な印象があった。この映画ではそれはない。
カメラがまず変。突然重要ではないところでズームし、何か良からぬことが起きるのでは?と不安を煽るが、特に意味はなさそう。ストーリーは男女の出会いから別れまで同じ話が2度繰り返される。2度目は最初と微妙に異なる会話や筋書きになっていて、些細な発話や行動の違いがあみだくじのようにパタンパタンとその後をわずかに変化させていく。不安定なものを見せられているという感じがこちらも不安にさせ、なにかイライラする。おもしろかったけれど。
9/1/24
相米慎二『雪の断章-情熱』(1985)
冒頭の少女時代のシーンが全てワンカットでスタジオ撮影だったのにはいきなり驚かされた。フェリーニや寺山修司みたいなイメージがポンポン放り込まれ、ストーリーの伝達をほぼ放棄してる感じがしてすごかった。公開当時見てたらどう思っただろうか?
9/3/24
ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』(1938)
キャサリン・ヘプバーン演じる女が迷惑過ぎて最初から最後までイライラし、豹と犬が戦うシーンは犬が殺されないかとハラハラした。全然コメディーではなかった。勉強にはなった。
スクリュー・ボールコメディーというのは常識にとらわれない登場人物、テンポのよい洒落た会話、つぎつぎに事件が起きる波乱にとんだ物語などを主な特徴とするらしい
9/5/24
相米慎二『台風クラブ』(1985)
バービーボーイズがガンガン流れて面食らうが内容は合っている。雨を降らせ過ぎ、カメラは遠過ぎ、そして暗すぎる画面。不安定にころころ変わる中学生の感情と台風が呼応し、痛々しい不穏な空気の中で短パン三浦友和の色気がすごい。この人を色っぽいと思ったことがなかったのでびっくりした。
9/8/24
ジョン・カサヴェテス『アメリカの影』(1959)
30年近く前に映画館で見た時もかっこいい映画だと思った記憶が蘇る。サックスやベースだけのミニマルなジャズが絶妙なタイミングで入ってくる。ニューヨークの街の風景、その時代の記録としても面白い。インプロ演出がそこまでインプロ感無い印象なのは、言葉使いが現代と異なるからかもしれない、と、ふと思った。今のスラングが使われてないから。
9/9/24
三宅唱『きみの鳥はうたえる』(2018)
途中まで集中力散漫に見てしまう。しかしクラブシーンのエキストラにトリプルファイヤー吉田くんらしき人を発見し盛りあがり、萩原聖人=間宮と足立さんのからみに心が踊った。そしてラストシーン、なんだと!と叫んでしまった。最後が良かったので良かったです。
9/10/24
濱口竜介『The Depth』(2010)
写真家がハッセルでモデルをフィルム撮影し、すぐに暗室で現像プリントしていく様子に、ロマンチックだな、という苦い思いがよぎる。映画に写真家が登場すると、その描写は大体チープになるものだが、ギリギリで免れている気がした。でも、しかし、やはり、2010年が遥か昔のような気がしてしまった。おもしろかったけどね。
シモキタエキマエシネマK2初めて。駅の目の前でびっくり。
9/12/24
相米慎二『あ、春』(1998)
初期の過激な展開や描写が無い分、地味な映画に見えるが好きだった。屋上シーンは、夕暮れの逆光によって生じるフレアやゴーストが長回しのカメラと一緒に移動する様子がきれいだった。そしてあの風が強い海での散骨があったからこそ、今後も記憶に残ると思う。
9/15/24
リドリー・スコット『ブレードランナー』(1982)
これまで見た事があったのは通常版ではなくディレクターズカットだったのでラストシーンやナレーションの追加が気になってしまった。しかし何度見ても雨が止まない街の景色や光の使い方に息を呑んでしまう。古びない。
9/16/24
角川春樹『REX 恐竜物語』(1993)
飛ばしながら見ただけでも暗澹たる気持ちに。お金をたくさんかけてこんな映画作っちゃったのか、と。
9/17/24
小津安二郎の無声映画を3本。
大学は出たけれど(1929)高田稔と田中絹代が洗練された佇まいで内容も一気に面白くなる。
突貫小僧(1929)子どもたちが男を追いかけていく野原の景色、向こうに立ち並ぶ工場。
和製喧嘩友達(1929)主人公の男2人がトラックで電車に並走しながら女とその夫を見送るシーンの迫力。
9/18/24
濱口竜介『PASSION』(2008)
『寝ても覚めても』と通じるものがあるように思った。人の気持ちは変わっていくのだということを全くご都合主義ではない形で見せる。mc sisterのモデルだった優恵が出ていてびっくり。姪役の占部房子と顔が似過ぎて実際に血縁関係があるのかと思ってしまった。工場の煙突から流れ続ける煙の前で遠くから歩いてくるふたりが向かい合い、影で顔の一部が見えないまま交わされる会話の途中、完璧なタイミングで後ろをトラックが通る場面は、心のなかで声が出た。暴力について中学生と先生が話す場面はそこだけ異質で別の一本の映画になってしまいそうな緊張感があった。すごいな。シモキタエキマエシネマK2にて。
10/1/24
ジョージ・キューカー『フィラデルフィア物語』(1940)
キャサリン・ヘプバーンが富豪の令嬢、その元夫にケーリー・グラント。令嬢は炭鉱王との再婚を控えている。それを追うゴシップ記者にジェームズ・ステュワート。本当は作家希望で、令嬢は彼の小説を読み興味を持つ。この辺りから会話劇としてちょっとおもしろくなってくる。彼女は記者といい感じになり、そのせいで式の直前に炭鉱王と別れる。そして、めまぐるしく話が展開し、なんと元夫の方と再婚するという、ちょっとどうなのかという結末。ケーリー・グラントがキャサリン・ヘプバーンに対し、彫像のように自分を崇めてくれる男を求めているのだろうと指摘するが、それに対して自分を崇められるのではなく人間として見られたいと涙ながらに語る場面など、会話の流れや言葉遣いがおもしろいと思った。
10/5/24
ロベール・ブレッソン『ラルジャン』(1983)
原作はトルストイ。無実の男が偽札の濡れ衣を着せられたことをきっかけに雪だるま式に不運が重なり収監され、娘は病死し妻は離れ、刑期を終えて出所してから殺人を犯す。救いの無い不条理な不幸の連鎖。腰や足を映し動きを追う映像が不穏。しかし80年代初頭のパリの街並みは素敵で、すべての車がかわいい。バゲットはやはり持ち手の部分だけ紙でくるんであるしおいしそう。またパリに行きたいな。もう10年以上行ってないや。
10/12/24
エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』(1983)
ビーチでバカンスを過ごすフランス人たちの恋愛のごたごた。女性デザイナーといとこのポーリーヌ15歳、デザイナーの元カレ、プレイボーイの中年、ポーリーヌと同世代の男の子、キャンディ売りの女。ごちゃごちゃと問われても、「わたしはまだ若いからそれはわからない」というポーリーヌの線引きがむしろ周りの大人たちより大人に見える。彼女は地味に登場するのに話が進むにつれてとても魅力的になる。愛についてよくそこまで語ることがあるものだ、と呆れつつ、語らなければいてもたってもいられない人たちの話はおもしろい。劇伴は流れず、セリフのみ。キャンディ売りの女が大変良いスパイスで、彼女の存在が小津安二郎『秋日和』における岡田茉莉子みたいな雰囲気だな。
10/14/24
東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻
設立20年記念上映会で濱口竜介の学生時代の作品を見る。
『(入試三次課題作品テーマ)差別』ワンショットで長セリフを語る役者たちがテイクを重ねるごとに良くなっていくのがわかる。また、この時点から濱口竜介は濱口竜介だった。会話の積み上げ方、その崩し方が。
『遊撃』男女が海岸で花火、カミングアウト、その緻密さと不完全さ。
『記憶の香り』 脚本は小林美香という人。バスで迎えが来る夜の照明は幻想的。
『SOLARIS』 男と、死んだ恋人の亡霊のようなもの。それぞれのトラウマとの対峙。どの会話もおそろしく緊張感があり、最後まで途切れない。渋川清彦はここでも突然入り込んできて奪う。ザ・俺たちの衝動、渋川清彦、とても好きな俳優。
10/19/24
カサヴェテス『FACES』(1968)
多分30年ぶり2度目の鑑賞。John Marleyら男たちの身勝手な欲望、Gena Rowlandsを口説こうと陽気にはしゃぎすぎて見苦しく、そうかと思えば蔑み威圧的で、なんなんだこいつらは、とイライラする。しかし、妻であるLynn Carlinが夫に離婚を切り出されてから奥様仲間たちと夜遊びするシーンはおもしろい。若い間男Seymour Casselが女たちと口論になるシーンは本音バトルで緊張感があるし女の言いたいことも男の言いたいこともわかる。睡眠薬自殺未遂の妻を間男が蘇生させる場面はいつのまにか女の服も破けるほどの凄まじい緊迫感。そして夫が帰宅、間男が見つかり屋根伝いに逃げる場面と、ラスト、カメラ据え置きで映し出される家の階段。これだけはおぼえていた。ここ最高だな、これで終わるからこの映画はかっこいい、と以前も思った。
10/24/24
山田太一『岸辺のアルバム』(1977)
全15話を見終えた。主婦(八千草薫)の浮気を発端に家族の様々な問題が重層的に進む。戦争を体験した夫(杉浦直樹)と武器を輸出しようとする部下の対立など、会話のどこかに刺さる瞬間が必ずあり、些細に見えても無駄なやりとりは無く練られているのがわかる。『ふぞろいの林檎たち』は茶番を無理やり見せられている感じがあまり好きではなかったけれど、遠い記憶なので今見たら違う感想になるかもしれない。時折カメラワークに実験的映像への意欲を感じつつ、テレビ独特のべったりしたライティングはしょうがないのかな、それもまたこの時代の記録。実際の災害時のニュース映像もまじえて描かれる様子を見ると、政府対応はこの当時のほうがいまより確実に手厚いように見えてしまう(実際は裁判は長く続いた)。約半世紀のあいだに気候も人心も変化したと思わされる。しかし、「この家族がその後どのような体験したかは読者の想像におまかせする」というオープンエンドは、雨降って地固まるといった単純なものではない厳しさで、ドラマ史上に残る名作と言われる理由が理解できた。
10/28/24
ホン・サンス『夜の浜辺でひとり』(2017)
『正しい日、間違えた日』に続くキム・ミニ主演。前作よりこちらのほうが好み。キム・ミニは映画の中で俳優を演じている。のらりくらりとした会話が突然感情爆発して大声になるのが見ていて不安になる。また、現実か空想かわからない謎の男が突然キムを担いで立ち去ったり、ベランダでずっと窓を拭いていたりして怖い。彼女は夢の中で、不倫相手だった映画監督と再会する。ホン・サンス監督は実際にキム・ミニと不倫の末パートナー関係にあり、この映画の中で起こっていることは現実をなぞっているようなものだ。監督役の俳優はキムに対し「後悔も長引けば甘い、だからなるべくずっと後悔していたい」と語る。このセリフをここで言わせるなんて、ホン・サンスはとても残酷だなと思った。夢から覚めた女の目の前には、以前と変わらず海がある。しかし日が高いところから動いて女に影が差している。夢の時間は束の間かもしれないが、それが悲しい。反芻する美しさがある映画だった。
10/29/24
ホン・サンス『逃げた女』(2020)
「夫婦はなるべく一緒にいるべきだ」というセリフをキム・ミニに3回繰り返させた上で、同じ口から「テレビで同じことを繰り返し話すのは意味がない」と言わせるんだな。きもちわるいくらい痛烈だなあ。しかし作品には見たことのない美しさを感じるからおもしろいと思う。なんか、ちょっとクセになるというか。この店のこのぬか漬けがうまい、みたいな感覚に近い。
10/30/24
黒沢清『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985)
冒頭、洞口依子が歩いて行くのを横移動で追うカメラワーク、その1カットが素晴らしくて興奮した。また、ゼミ生たちが次々にセリフを放つ場面も圧倒される。好き放題撮ってるように見える。最初、これはポルノなんだと思って見始めたらエロシーンが中途半端に短く、客は暴動起こさなかったのかな?と心配になったのだが、もともとロマンポルノとして撮影したのに日活に納品拒否され、一般映画として再編集したという経緯を後から知る。伊丹十三演じる心理学教授、その著作のサブタイトルが「知れば知るほど恥ずかしくなる」で笑った。彼だけ身のこなし方が訓練を受けた人のそれで、バイオリン弾く真似とか完璧だった。小さい頃に見てた伊丹十三のイメージは気持ち悪い人だったが、とてもかっこいい人だということがわかった。
11/1/24
山中遥子『ナミビアの砂漠』(2014)
長いな〜 途中辛かった、長くて。唐田えりかと河合優実が歌うのはマイク真木作詞作曲『キャンプだホイ』という曲だということを知れたのが今日の学び。女が「頭で考えてることとやってることが違う人ばかりだと考えると、怖くないですか」と精神科医役の渋谷采郁(しぶたにあやか)に質問すると「なぜそれが怖いと思うのですか?」と答えるセリフ。また、「周りの人は100年後には誰も覚えてない」という唐田えりかのセリフ。このふたつは驚きがあった。あと、冒頭の喫茶店シーンで話が隣席と混濁するときの悪意は相当なものだった。帰宅して監督インタビューを読んでみる。女が妊娠したというのは嘘という設定は、単に私がぼーっと見てたせいで分からなかった。また、女が倫理的に破綻していても自分の足で立っている様子、男女間の権力勾配についての微妙な感覚、自分世代(監督は27)が感じるモヤモヤを描きたい、と。語る通りの物語だったのでは。その結果できあがった映画は、私には長かった。
11/2/24
伊藤ガビンさんが久々に見返しておもしろかったと書いていたので、黒澤明『羅生門』(1950)を初めてちゃんと見た。顔に激しい反射光、降らせ過ぎな雨、三船敏郎のこどもみたいな悪漢ジェスチャー、木立の光と影、モノクロのコントラスト、さらに、イタコ経由で死人の証言まであり、過剰さが大渋滞。それに対して、刀で立ち回る場面のへなちょこ具合がすごいへなちょこで笑う。まるで、実は戦いに慣れてない人々が初めて戦ってる感じだ。それぞれが目撃したことを証言する場面では、話者が前に大きく映し出され、それを聞くものたちが後ろに小人のように映っている構図。なんともでこぼこしていびつな映画で印象に残った。
ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』(1973)
多分5回目くらいの鑑賞。こんなにもフォーカスのピントが合ってない場面がそのまま使われているのかと気付いた。それほど、その場一回限りの、起こった出来事の記録でもあるのだろう。景色!黒目!黒目!景色!黒猫!景色!黒目!素晴らしいなあ。
11/7/24
タルコフスキー『惑星ソラリス』(1972)
最初と最後を除き原作にほぼ忠実な作りであることがわかる。72年の映画に古さを感じない。濱口竜介版もこのタルコフスキー版を踏襲しているんだな、と思った。冒頭、故郷の池の水草がゆらゆらする様子からして相当不気味ですごい。第一部はスリリングなのに比べて第二部はトーンダウンするが最後まで面白かった。唐突に東京の首都高を走る場面が挟まれ、これがすごく良かった。記録として、またタイムトリップとして、なんかクラクラするような感じ。
レムの「ソラリス」を読むと、翻訳者によるあとがきで、タルコフスキーとレムは映画に関して激論を交わした末に物別れに終わったという。原作者は映画の結末が矮小化されたとして納得していなかった。人と人の話ではない、人と惑星、あくまで未知の理解できない星であるソラリスとの話だと。
11/8/24
ビクトル・エリセ『瞳をとじて』(2023)
映画の中からこちらを見つめる人たちの瞳、犬のつぶらな瞳、アナが再び「ミツバチのささやき」のように「私はアナ」と言って閉じる瞳。昔の恋人にあげた本を古本屋でたまたま見つけたことがきっかけで久々に交わされる会話、もう営業していない古い映画館の映写機から映し出される未完成の映画、すべて美しく、すべて人生で、胸がいっぱいになった。宝物。
11/9/24
ホン・サンス『クレアのカメラ』(2018)
カンヌの海がきれいな水色のまま波高く荒れている。クレア(イザベル・ユペール)は、写真を撮ったらその人は別人になる、と言う。なるほどそうか、そういう見方をしたことなかった。悲惨な過去が語られてもなおクレアの人生が少しも垣間見えず、明るい黄色の衣装に象徴される淡々とした様子はむしろリアルに思った。監督役の男がマニ(キム・ミニ)に対して自分を安売りするなと乱暴に言う場面は非常に胸糞悪く、あなたは安売りしたことは?と問い返す女へ拍手を送った。そのあと、マニはクレアの前で下着をハサミで切り刻み、すっきりしたと語る。ソフィ・カルみたいにこの破片を作品にしたらいいのに!そして、ブラの破片をこっそり胸に当ててみるクレアの仕草が即興的で愛らしく素晴らしい。