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ベアテ〜VUCA時代を生き抜いた女性〜

こんにちは。
きょうもわたしのすきなひと。
それは、ベアテさん。
みなさんベアテさんをご存知ですか。

ベアテとはどんな女性か一緒に見ていきましょう。

オーストラリア、ウィーン生まれのベアテ・シロタ・ゴードン。ユダヤ系ウクライナ人。ナチスの迫害から逃れるため5歳から15歳までの約10年間、日本で過ごす。家庭では両親の日本語の「通訳」を担い、日本語、フランス語、ドイツ語、英語など言語が堪能な活発な女の子に成長する。そして日本で生活うちにある一つの気づきを得ていたよう。

ヨーロッパで勃発した戦争の影が日本にも忍び寄りベアテ自身の危険を感じたため、ご両親を日本に残し単身で、1939年にアメリカの大学へ進学。
在学中にはスペイン語も習得して、なんと6ヶ国語もつかいこなせる才女に!

その後、日本にいる間に習得した「通訳」という技術を活かし大学卒業後は「タイム」雑誌社でリサーチアシスタントとして働くことになる。
ほんとうは「記者」志望だったであるにも関わらず。。

その時代、アメリカでも男女平等ではなく「記者」の仕事は男性にのみ与えられたものであったらしい。
そう、在学中の成績も優秀で6ヶ国語をあやつる翻訳家、ラジオ放送局に勤めていたベアテですら記者を掴み取ることができないくらいアメリカも男女平等ではまだまだなかったんだって。
ベアテはその環境に違和感、疑問を抱くこととなるが、それは過去に日本で過ごしていた時と同じような気づきであったよう。

1945年に太平洋戦争が終結を迎えると敵対国であった日本へ入国するためにGHQの職員に応募し「第二のふるさと」に帰国。
ついに、アメリカでもずっと持ち続けていた違和感、気づきをクリアにするために、ベアテは日本国憲法の草案をつくることになる。おそらく、その中で女性はベアテだた一人!

その気づきとは、男性と女性の立場が異なるという紛れもない事実があるということ。

ベアテはその事実を日本の社会に伝えるべく「男女平等の概念」を日本国憲法に落とし込むこと、日本国憲法の草案を作成することに熱中する。
それは、これまで身につけてきた能力により、多角的に物事を直視し洞察できる才能があり、日本に育ち、日本を深く知っているベアテだからできたことであったんだね。

そして、ベアテの思いはカタチになり日本国憲法第24条は条文化されている!
1946年に時点で男女平等が憲法に明記されたことは、世界的に見ても大変異例なこと。
「人権宣言」が有名なフランスですら男女平等の条項ができたのは日本と同じ1946年のこと!

なんとアメリカは未だにアメリカ合衆国憲法には男女平等の条項はない。
(ただそれはアメリカは州憲法が上位に位置するからでもある。)

でもそれくらいベアテが成し遂げたことは偉業であったのだ!そのうえ故郷ではない日本でというのはなおさら!

ベアテはVUCA時代の日本の女性たちに、希望を与えたひとだったんだね。

現在はさらにその時代以上に、取り巻く社会の複雑性が増し、次々と想定外の出来事が起こり、将来の予測が困難な状況であるハイブリットVUCA時代!

昨日と今日と明日は

そんな時代でも、しなやかになめらかに生き抜けるよう、変化をチャンスと捉え、ベアテのように意思を持ってわたしたちも前にすすんでいきたいですね。

ひとりでも生き抜くことは大変なこの世の中。事業者のみなさまの環境はさらに複雑で過酷だ。




<今日のことば>
VUCA(ブーカ)
社会やビジネスにおいて将来の予測が困難になっている状態を示す造語。
Volatility(変動制)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字から