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瞑想から考えるファシリテーションの技術
こんばんは、臼井隆志です。アートの探索マガジンを更新します。
今日は、ぼくの密やかな趣味である瞑想について、ファシリテーションの技術と類推しながら考えてみます。
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今日は祝日。都内は40度に達すると言われる。昼間は子どもたちと散歩もできないだろうと考え、早起きして6:30から娘を連れて散歩にでかけた。
台風のなごりで風が強く、まだ涼しかった。セブンイレブンでサラダパスタと冷凍のぶどうと牛蒡のサラダを買い、公園のベンチで2人で朝食を食べた。日が高くなり、暑さが強くなってきたので、娘と家に帰った。
午前中は妻に子どもたちをみてもらい、少し仕事をこなした。午後は妻がつくったお弁当をみんなで食べた。午後はぼくが子どもたちを見る。子どもたちとベランダでプール遊びをし、絵本を読んだ。妻はその間、『大豆田とわ子と三人の元夫』をNetflixで堪能していた。
夕方、保育担当を交代し、少し本を読んで、マインドフルネスのアプリを開いた。瞑想アプリなどをやっているというと、ちょっと恥ずかしいのだが、いろいろと気づいたことがあるので書き留めておく。
ぼくはずいぶんと心が弱い。不安や苛立ちに支配されると、感情と身体を統制できなくなってしまい、ため息がでる、悲しくなる、子どもたちにいい加減にしてくれと叫びたくなる。この状態はまずい。
だから、マインドフルネスのアプリ「Headspace」を購入し、実践している。しかし、2年ほどただ聞き流しているだけなので、如何せん自分のなかに実践知が蓄積されていない。というのも、マインドフルネスの経験について他者と対話し、言葉にする機会などほとんどないからだ。しかし、言葉とは侮れないもので、自分の感覚を貯蔵するのに活用できるはずだ。だからちょっと、ここで言葉にする練習をしてみる。
そうすると、意外にもファシリテーションとの共通点が見えてきた。
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