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開いてしまった知覚の扉と、深いケア STスポットオープンデー2022

人は表現をしあうことで会話をする。それはとても当たり前のことだが、実はとてもむずかしいことだ。その難しいことを、楽しく成り立たせてくれる会話の時間が好きだ。

自分の言葉や身振りを見た人が、それを解釈してべつのかたちで表現してくれて、それに対してまた応答する、みたいな、そういう雑談がとまらなくなるような時間がぼくは好きで、それはオンラインではなかなか難しいし、まして、子育てをしていると得難い時間になってくる。

お酒が入ればそんなふうに会話が止まらなくなることもあるだろうが、ぼくは第二子が生まれたことをきっかけに、ピタッとお酒をやめてしまった。別に飲みたくないわけじゃないんだけど。

だからなんだか、お酒を飲まずに、人と、話をし、話したことについてまた話を重ねるような、表現の連鎖の渦のような場所に身を置くことが難しくなったように感じる。

自分の表現が、他者によって別の表現にされていく。あるいは他者の表現を、自分の解釈で別の表現に変えていく。こうした表現の連鎖には深いケアがあるように思う。これは、有名なアートセラピストであるナタリー・ロジャーズが名付けた「クリエイティブ・コネクション」というセッションの方法にも似ている。

クリエイティブ・コネクションは、人が描いた詩をダンスにし、そのダンスを絵にし、絵を歌にする。そのようにして、ある表現を別の表現に翻訳し続けていくものだ。これによって、普段は蓋をしている知覚の蓋を開け、自分や他者のことを異なる知覚で体感していく。普段用いている「会話」や「雑談」といった手段とは全く異なる知覚を用いたコミュニケーションは、お酒とは異なる酩酊感を引き起こす。

この感覚を、ぼくは今日、STスポットというパフォーミングアーツのための小さな場所で経験した。

作曲家の西井夕紀子さんがディレクターをつとめ、ゲストにダンサー・アーティストのAokidさん、ミュージシャンの東郷清丸さんを迎えたかたちで行われた、ダンス音楽絵画が混じり合う参加型パフォーマンスイベントだ。

Aokidさんとは2019年からコネリングスタディというプロジェクトで一緒に活動をし、非常に感銘を受けた。ブレイクダンスとコンテンポラリーダンスをルーツにもつダンサーであり、ドローイングも弾き語りもこなす多様な表現手段を持つアーティストだ。こんなに溌剌とした体をもち、懐かしくて、あの甘酸っぱい爽やかな夏を思い出させ、遠くまで連れて行ってしまう彼の表現にすっかり魅了されている。

そんなAokidさんがゲスト参加し、しかも子どもも参加してOKとのことで、パートナーや友人をさそって、子どもを連れて横浜まで出かけて行った。

会場について、中に入ると、会場のまんなかに小さなビニールプールがあり、そこに水風船が浮いている。左側には大きな岩の絵があり、クレヨンやペンが置いてある。正面にはビニールシートが天井から垂れ下がっている。右側には大きな巨木が描かれていて、その前にはギターやピアノ、アコーディオンが置いてある。

「遊んでいいんだって」と子どもたちに伝えると、すぐさま水風船を釣りはじめた。そんななか、Aokidや西井さんが、声をかけてくれる。「セッションしてみましょうか」とか「詩を書いてみましょう」「踊ってみましょう」と、え、そんな急に言われても!というようなことが話しかけられ、戸惑いながらもなんとなく、リードされるままに一緒にやっていく。

子どもたちは水風船で遊んだり一緒に踊ったり歌ったりを気まぐれに繰り返していく。僕たち大人は、子どもの様子をみつつ、おもにAokidに巻き込まれながら、表現を重ねていく。

合計2.5時間の物凄いボリュームの即興セッションだったのだが、それを2日で4公演もやったというのだから、出演者・スタッフのみなさん本当におつかれさまでした。

2.5時間は、濃密な時間で、それはなんというか、ぼくにとって深いケアだった。コロナ禍で人と触れ合えない時期が長く続き、今年の後半に入ってようやくムードも代わり、演劇やダンスに触れられるようになったとはいえ、まだまだ冒頭に書いたようなとりとめもない表現をしあう会話の渦に酔うような経験はできていなかった。もちろん、子育てが忙しいというのもあるが。

深いケアだったと実感するシーンが一つある。

「川についての詩をかいてください」

と、Aokidが言った。それをきいたパートナーが、短い詩を書いて、最初は躊躇していたものの、Aokidに誘われてその詩を手渡していた。その詩をもとに、Aokidが短いシークエンスのダンスを踊った。きらめく水面と時間、予感、という言葉が綴られたとても短い詩だったのだが、想像以上に長く、さまざまな展開をもって踊っていた。手の煌めき、流れるような動きと、じっくりと流れに耐えるような肉体のこわばりとの拮抗、水面下でとぐろをまくような水の動き…。そうしたものが表現されているように感じた。

帰り道、パートナーがそのシーンを振り返ってこう語った。

「川ってさ、結構人生の大事なシーンを象徴してたりするじゃん?川の記憶なんて、よほど印象にのこってないと思い出さないでしょう?私は20歳のころのある出来事を思い出しながらあの言葉を書いたんだけど、その記憶にさ、Aokidが参加してくるわけじゃん。すごいことだよね。自分のなかにとどめてた記憶が、解けて流れて、いつのまにかAokidが参加してきてダンスになっててさ。そこにいなかった人が、いつのまにかその記憶の登場人物になるってことじゃん。それはケアだよね」

と。

わかる気がするし、まだ全然わからない気もする。だが、確かにそれは、言い表しようのない深いケアだった。ぼくにとっても。

パフォーマンス時間が終了したあと、Aokidは弾けるように「表現したくなっちゃった」といって、ダンスを一緒にセッションしようと呼びかけ、一曲歌っていいですか!といって歌い始め、西井さんと東郷さんもそこに応じていく。1人フリースタイルラップもはじめる。迸る表現の嵐のなかに、放課後の観客たちもすっかり魅了されてしまった。

10人程度の観客/参加者のための小さな場だったが、自分が書いた詩がダンスになったり、ダンサーが歌うその歌に声で参加したりして、自分が普段閉じていた知覚の扉がすっかりひらいて、なにか遠い場所にきてしまったような感覚になっている。

普段滅多に、夕食後にお腹が空くことなんてないのだが、今日はどうにもお腹が空いてしまい、子どもたちが寝静まったあとに、買ってあったカップヌードルを食べながら、妻と今日のことをふりかえっていた。

今日、恥ずかしがらずにもっとラップしたりダンスしたりすればよかったかもな。まだぼくにも開いてない知覚の扉がある。

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